34 勇者
灰色の雪の中、彼女は雪を拾っていた。
元々それは、彼女の家族が住んでいた家だ。
暖かな陽気に包まれた、多くの人が肩を寄り添いあって暮らしている、変哲のない街の、一角の普通の一軒家だった。
魔法が、炎が、彼女のすべてを奪っていった。
ただ、この場所が、戦渦に巻き込まれただけだというのに。
言葉はない。
音も、全て灰の雪に吸い込まれてしまっているのだろうか。
嫌になるほど、静かだ。
そんな時、背後から足音が聞こえた。
「……君は、生き残りの人、だよね?」
「……」
少女は振り向く。
そこには、どこかもの悲しそうな顔をした、茶髪の青年の姿があった。
「えっと……何て言葉をかければいいのか……」
「……助けて」
「え?」
「勇者様が、仇を討ってくれるんでしょ? こんなつらいこと、もう起きないんでしょ? 勇者様が……助けてくれるんでしょ?」
思っていたのとは違い、どこか成熟した考えの彼女に、青年は少し驚いた様子を見せる。
そして、しばらく考えた後に、彼は口を開いた。
「……ああ。彼ならきっと、やってくれるさ」
この世界は、魔法とともに、勇者という不可欠な存在に支えられていた。
しばらくして、青年は彼女を引き取った。
青年の名は『ミケル』。彼女の名は『ダリア』。
魔力の力で多くの機械を動かしている、発展した都市の隅で、彼らは日々を過ごしていた。
「おはよう、ダリア。よく眠れたかな?」
「……うん。眠れた」
「そっか。今日は勇者様がこの国に訪れてくれる日だもんね。楽しみで眠れなかったらどうしようかと思ってたよ」
「子ども扱い、するな」
ダリアはそっと片手で彼の頭を殴った。
彼は殴られた場所をさすりながら、窓からの景色に目を落とす。
茶色のレンガが敷き詰められた街に、色とりどりの服に身をまとった行き交う人々。
馬車などの往来もあり、いつもよりにぎやかに感じられた。
「見て、ダリア。皆楽しそうだ」
「……ミケル。それ、楽しいの?」
「それ? ああ、こうして外を見ることがってことかな? うん、とても楽しいよ。今こうして楽しそうな人たちを見ると、自分まで楽しくなれそうな気がしてこないかい?」
「ミケルは変だ」
「変じゃないさ。ダリアだってこの楽しみにいつか気付く時が来る」
「へ」
彼女は小ばかにしたように笑う。
青年はいつものことなのか、気にしたそぶりもなく、そのまま窓の下を眺める。
そして、そのまま振り返らずに背後にいるダリアに話しかけた。
「つまみ食いはだめだよ、ダリア」
「足りない」
「じゃあ、今夜も頑張ろうか。君が頑張ってくれないと、僕も飢え死にしちゃうから」
「その言い方、ちょっとやらしい」
「……何を思ったかは聞かないよ。まあ、あまり公に出来ない職業ってところは、同じかもしれないね」
彼はそう言うと、座っていた椅子から立ち上がり、近くにいたコートを肩にかける。
それを見たダリアも椅子から立ち上がった。
「それじゃあ、そろそろ行こうか。勇者様に会える日なんて、めったにないんだから」
「うん」
扉を開けて、真っ直ぐ街の中央まで歩いていく二人。
しばらくしてたどり着くと、そこには今まで見たことないような人だかりができていた。
「うわあ、凄い人気だね。ダリア、見えそう?」
「無理、かも」
「……肩車する?」
「気持ち悪い」
心の底から嫌悪するダリアを見て、困ったように笑うミケル。
しばらくして、前にいた女性から、黄色い歓声が聞こえた。
「あ、どうやら来たみたいだね」
「ん、んー……見えない」
「僕も見えないや。いいなあ、最前列の人は手とか握ってもらえるのかなぁ」
「……ミケルがもっと早くに外に出ればよかったのに」
「ダリアがもっと朝に強かったら考えたかもね……あ、どうやら僕たちにも見えそうだよ」
ミケルが指さす方向には、周りよりも一段高い台のようなものに乗った、勇者の姿があった。
そんな時、彼らの背後にいる旅人風の男性が、意外そうな声を漏らす。
「おいおい、ありゃ勇者様じゃねえか。なんたってこんなとこにいるんだ……?」
その疑問に答えるように、同じくミケルの隣にいた男性が振り向く。
「なんだよ、知らねぇのか? 隣の国がこの街に進攻しようとしていたのを、勇者様が一人で食い止めてくれたのよ」
「へえ? なんでこの街が?」
「この街は魔力で生活してるんだ。水や炎、果ては工業まで、魔力に依存している。それが悪だって、奴らの逆鱗に触れたんだってよ」
「なるほどな」
旅人風の男が納得したようにうなずくと、しばらくした後に、勇者と呼ばれた金髪の青年が手を振る。
その意図に周囲の人が気付いたのか、しばらくして周りが静かになった。
「皆さま、わざわざ私のためにお越しいただき、ありがとうございます。何故私が皆様方を集めたかというと、礼がしたかったのです」
礼。
それが勇者の口から出てきたのが意外だったのか、周りの人々がざわめき始める。
それを少し待った後、彼は話を続けた。
「私があの国を亡ぼすことができたのは、ひとえに皆様の声援、そして、笑顔が、私を勇気づけてくれたからです。本当に、感謝の言葉もありません」
そう言って、勇者は深々と頭を下げる。
そんな丁寧な態度を見た人々は、どうしたものかとざわめき始める。
だが、それを見ても彼は何事もなかったかのように話し続ける。
「私は、皆様のご存知なように、魔法による戦争を根絶させたい、という理念を持ち、戦いに身を興じてきました。ですが、この街のありようは、私にとって大きな影響を与えてくれたのです」
そう言うと、彼は片手を広げ、魔法を燃料としている工場を示す。
「見てください。本来戦争の道具でしかなかった魔法を生活の基盤にする。実に素晴らしいアイデアです! 命を奪うことしかできなかった魔法が、人々の命を支えている。これこそが真のありようなのだと、気付かされました」
既に、周りの人は勇者の話に夢中だ。
だが、ミケルだけは、彼の手の先ではなく、彼の目だけをじっと見据えている。
「……失礼、興奮してしまいました。ですが、今は私はあなた方のような時代に名を残すべき平和の先駆者様が目や耳をそろえて私のつたない話を聞いていただけている状況。多少の暴走は、大目に見ていただけたら、と存じます」
ご清聴、ありがとうございましたと話を切り、台から降りて人ごみの中へと消えていく勇者。
その背中を輝かしい目で見続けるダリアが振り向き、今の気持ちを伝えようとすると、そこには首を傾げているミケルの姿があった。
「……ミケル、何その眼」
「ああ、いや。とりあえず、お店を回ろうか」
「回りたいけど、お金あるの?」
「あるとも。ずっと貯金してきた分が。今日くらいは散財しないと、ね」
彼は麻袋を懐から取り出すと、確かにそれはダリアが今まで見てきたそれよりも、ずっと膨らんでいた。
「ミケル、貯金できたの?」
「僕はそんなに金遣いは荒くないよ。……多分」
「でも、この前だってよくわからない帽子を買ってきてた」
「僕だって年ごろなんだ。おしゃれにだって気を遣うさ」
『あれで?』と口にはしないが、顔に出しているダリアを傍目に、ミケルはどこかを見据えていた。
ダリアがその方向を見ると、そこには先ほど注目されていた男性……勇者がそこに立っていた。
だが、打って変わって服装は茶色で、どこか地味な印象を受けるものを着こなしていた。
「こんにちは、二人とも。先程の演説、聞いてくれたかな?」
「え、え、何で、勇者様がここに?」
「しっ。今はお忍びだから。二人だけなのかが気になってね。お父さんや、お母さんは?」
「両親は、いません……」
「……ああ、それはごめんね」
勇者は茶色い帽子を深くかぶり、表情を隠す。
それを見たダリアが、たどたどしくも、自分の言葉を話した。
「は、初めまして……ですわ。わ、わた、私は、ダリアと申します」
ミケルは突然のダリアの様子に、思わず吹き出してしまう。
その笑い声を聞いた彼女は、思い切りミケルの足を踏み抜くと、目が点になっている勇者に向き直る。
「あ、あの……魔法を根絶、していただけますのよね?」
「え、ええ」
ダリアのことを知らない勇者も彼女が無理をしていることが明らかなのか、ミケルと話す時とは違い、つられて敬語になってしまった。
「まあ、魔法の根絶というよりも、魔法による戦争の根絶です……だから、この街には手を出さないよ」
「そう、ですか」
ダリアはほっとしたように胸をなでおろす。
それを見ていた勇者がクスリと笑うと、二人を交互に見た。
「楽しい人たちだね。また会えたら、話しかけてくれると嬉しいな」
「ええ。ありがとうございました」
「いえいえ。では、またいずれ」
勇者はそう言うと、人混みの中に消えていく。
しばらくすると、足を抑えていたミケルが顔を上げた。
「……ひどいじゃないか、ダリア。いや、にしても……ふふっ」
「死ね」
「死ね、『ですわ』?」
「うざい。調子に乗るな、ミケルのくせに」
「まあまあ、そこの店で何でも奢るからさ、機嫌を直しておくれよ」
「……まあ、それなら」
ミケルは心の奥にある、ダリアをまだからかいたいという欲求を腹の奥に押しとどめ、店の中へ入っていく。
店の中は外にいる勇者を一目見たいという人が多いのか、客は誰もいなかった。
彼は周りを見渡してから、一番端の席に着く。
「……それで、なんだけど。怒らないで聞いてほしいな」
「安心しろ。もう怒ってる」
「そっか。なら安心だ」
彼は彼女の言葉に笑って頷く。
それからしばらく黙り込んでから、ひそひそと周りを伺うかのようにして話始めた。
「……勇者様の演説? スピーチ? まあ、どっちでもいいんだけど」
「それが何?」
「何か、変じゃなかった?」
「変?」
「いや、なんというか……あの内容なら、わざわざみんなを集める必要はなかったんじゃないのかって。いや、皆が勝手に集まったのかもしれないけどさ。それでも、なんというか……僕たちに好かれようとしてやっている感じがしたんだよね」
「……気のせいじゃないの?」
「それならいいんだけどさ。でも、なんか……」
胡散臭い。
その単語を発する勇気は、今の彼にはなかった。
しばらくしてから、ダリアはとなりにあったメニュー表を手に取った。
「ミケルが嫉妬する気持ちもわかる」
「そうじゃなくて! いや、そういう気持ちはあるかもだけど……」
「ほらみろ」
「……でも、これだけは妙だって思うところが、一つだけ。僕、見えちゃったんだよ」
「何が?」
「……」
ミケルは一瞬言うべきか迷った後、おずおずと口を開いた。
「……彼、僕が両親がいないと聞いて、笑ってたんだ」
月が雲に隠れ、大の大人でさえ寝静まっているころ、二人は戦場出会った場所を訪れていた。
そこには、いまだ手つかずで放置された死体が残っている。
力仕事も知恵もままならない彼らが生きるために得た仕事は……そういった死体を、あさることだった。
「……」
二人に言葉はない。
もう、二人とも手馴れていた。
物言わぬ死体を見ても、血の付いた家族からもらったであろうお守りを見ても、何も感じないほどには。
しばらくして、ミケルが立ち上がる。
「あっちを見てくる」
ダリアは彼の目を見もせずに、一心不乱に死体をあさっている。
ミケルもその反応を気にも止めず、歩いて行ってしまう。
そんな時、だった。
「……夜分遅くまでとは。せいが出ますね、二人とも」
その言葉とともに、鉄拳が、ミケルの顔に飛んでくる。
見ると、そこには昼間会った、勇者が立っていた。
「戦場漁りはご法度。ご存じない、と言い訳はできませんよ。その手つき、相当熟練のものでしょう?」
「ゆ、勇者様! ごめんなさい、これには……」
「聞きたくありませんね。ですが、私から君に言う事はあります」
彼はバランスが崩れしりもちをついているミケルの顔の近くにより、整った容姿が崩れるほどの醜い笑みを浮かべた。
「あなたの両親は、生きてましたよ」
「……え?」
「ええ。生きていました。隣国に。あなたの似顔絵まで書いて、懸命に探していました」
「まあ、私が切り落としたのですが」
自分でそう言い切った後に、くつくつと笑いだす勇者。
ミケルは、何が起きているのかさえ、わからなかった。
「死ぬ時まで、『ミケル』、『ミケル』、と。くく、特にあなたの似顔絵を抱いて死んだあと、その似顔絵を引きずり出して破いたときなど、言葉では言い表せないほどの快感でしたよ」
「……なに、いってるんですか」
「ですが私にも慈悲はある。その破れた似顔絵を頼りに、このあたりの国王全員に聞きだしたのですよ? まあ、一発で当たりましたが」
まあ、ようするにと彼は少し笑うと、背中に差していた長剣を抜き、彼の首に当てる。
「地獄で再開させてあげますよ。勇者様に成敗されなさい、悪魔さん」
「な、ぜ……」
「そりゃ楽しいからでしょう? 私は人を見下すために強くなった。あいつは無様だと、哀れな奴だと決めつけるために、強くなったのです」
そこで、ミケルはようやく悟った。
彼は狂っている、と。
「ダリア、逃げろ!」
叫ぶ。
彼女だけでも、逃がそうと。
だが、それさえも。
勇者からしたら、遅すぎた。




