33 譲渡
燃え盛る街を、俺は駆け続けていた。
通りには、数えるのさえ億劫なほどの死体の数。
……見知った顔も、あった。
「……クソッ」
俺は彼らから目をそらして、一目散に狼に皆がいると言われた城を目指し続ける。
日常の音が掻き消えた不気味な街の中、俺は一つの考えに至った。
何故、誰もいない?
俺の目の前の景色を形作るのは、死体の山と、町を埋め尽くすかのような炎。
それ以外には、何もなかった。
静かすぎるという、感想以外には。
もしかしたら……と考えもしたが、そのような可能性は認めたくないし、今そう考えたとしても思考の邪魔だ。
だが……その刹那、俺は確かに立ち止まっていた。
そのおかげなのか、俺は背後に立つ何者かの気配にようやく気付くことができた。
「……何者だ。返答しないのなら、問答無用で殺す」
氷で形作った剣を片手で握り、背中を向けたまま闇に語りかける。
彼がいかなる行動をとろうが瞬時に殺すように心がけていたが、聞こえてきたのは、予想外の……倒れるような、音だった。
「……何を」
している、と続くはずだった言葉は、目の前の景色に遮られる。
そこには、孤児院の建築に携わった一人である、見慣れた男性が腹から血を流して倒れていた。
「おい! 大丈夫か!?」
「ああ、気付いてもらえてよかった……。悪いことは言わねえ、この国はもう駄目だ。兄ちゃんだけでも、早く逃げてくれ……」
「何が、何があったんだ!? くそっ、傷の手当てを……」
「魔女が……突然、魔女が俺たちを、襲い始めたんだ……」
……魔女が、という部分が気になった。
一瞬賢者の法のせいかと思ったが、彼らがこの国を攻撃する理由は薄い。
だが、そんなことよりもだ。
「今傷の手当てをする! 喋らないでくれ!」
「ユウちゃんたちは、兵士さんが城へ連れてってくれていた……。きっと、大丈夫だ……」
そう言うと、せき込むと同時に口から血を吐き出す。
その姿はとても痛々しく、楽しそうに酒を飲んでいた彼の姿はどこにも見当たらなかった。
「もういい! 喋るなって言ってるだろ!」
治癒魔法を彼の体にかける。
だが、その傷はふさがるどころか、回復の兆しさえない。
こんなことは、初めてだった。
「なんで、なんでだっ! クソッ、どうして……!」
「もう、いいんだよ、兄ちゃん……。俺は十分生きた……。ろくでなしだった俺には、十分すぎるほど、楽しい時間をさ……」
「頼む、喋らないでくれ! 必ず、必ず治すからっ……!」
怪我は治らない。
言葉は空しく響く。
半ば半狂乱になってしまっていた時に、彼は俺の手首を弱弱しく握り、無理やり笑みを作って言った。
「兄ちゃん……幸せに、生きてくれ。あんたは、いい人なんだから、幸せに生きる権利はある……」
「……っ」
傷から垂れ流しにされている血が、素人目から見ても明らかに手遅れだということを示唆している。
それでも、諦めたくない。
今ここで諦めたら……いや、理由なんてない。
俺が、彼を助けたいんだ。
「俺が城まで運ぶ! それまで持ちこたえてくれ! そこなら医者だって……」
「ああ……。なんだ、お前ら。全員そろって……」
「っ! 待て、待ってくれ!」
「はは、みっともねえとこ見せた、な……」
俺の手首を握っていた手が、弱弱しく地面に落ちる。
その瞬間、俺は形容しがたいほどのどす黒い感情に心が覆われる感覚に陥った。
怨嗟といっても、差し支えないほどに。
「……せんせー? せんせー、だよね?」
振り向くと、そこには俺が保護した子供たちの一人である少女が立っていた。
気が付くと、俺は自分でもわからないうちに、口が開いているのに気付く。
「……お前も」
止めろ。
その先は、言うな。
「お前も、そうだったな」
「……え?」
気付いてはいけない。
言葉にしては、いけない。
それをしてしまったら、俺は……。
「お前も、『魔女』だったな」
俺は、兵器に戻ってしまう。
ゆっくりと、少女に近づいていく。
頼む、誰か、頼む。
オレヲ、止メテクレ。
「ごめんなさい、私、せんせーのことが心配で……」
歩みは、止まらない。
少女も、俺の異変に気付いていないのか、一歩も動かない。
吐きそうなほどの頭痛に襲われる。
そんな時、俺の目の前に、今一番会ってはいけない存在が目に入った。
「……あ、ああ」
「……せんせー?」
「ああ、ああああァ! ああああああああァッ!」
最早、言葉にさえならない獣の咆哮。
気が付くと、俺の体は飛びつこうと、宙を舞っていた。
そして、目の前の存在の名前を呼ぶ。
「ダリアァァァァァァ!!」
空中で、体重を乗せた剣先が、彼女に振り下ろされる。
その大ぶりの攻撃は済んでのところで回避され、その場を中心に、大きなくぼみが出来上がった。
そうすることでようやく俺の以上に気付けたのか、少女が悲鳴を上げてその場から遠ざかる。
「……お前は」
「殺す、お前は絶対に、今ここで殺すッ!」
がむしゃらに、剣を打ち付ける。
それを、彼女は指に挟んでいる薄い針のようなもので容易く受け止めた。
剣戟の音が、誰もいなくなった周囲の音を染める。
「何が、『何もしない』だ! 何が、権利を得られればそれでいいだっ! 返せ、俺の平穏を返せッ!」
「……」
「何か言い返してみろよっ! お前の考えの崇高な考えを、聞かせてみろよッ!」
「……けた」
「は?」
「負けたんだ、我々は。……いや、私は」
「……何を、言っているんだ?」
明らかに様子がおかしいダリアに、俺の中の怨嗟よりも、疑問の方が強くなる。
いつものように悠然と構えている姿勢もなく、どこか諦めたかのような、そんな表情をしていた。
「他世界からの魔核に、私は負けたんだ。私の魔力で出来ている魔女は、もうほとんどいない」
「……どういうことだ? 他世界の魔核?」
「私の魔力は、奴に奪われた。私の魔力だった魔女も、ほとんどが奴の支配下に置かれてしまった。置き換えられたんだ、魔力を」
「じゃあ、子供たちは……っ!」
振り向いて、先ほどの少女を見る。
先程は冷静さを欠いていたため気付かなかったが、見ると、今にも泣きだしそうな顔で地面を見つめていた。
「みんな、急に暴れだして……助かったのが、私だけで……」
「……君だけ、なのか?」
「……うん」
そこでようやく、俺は気付いた。
前の世界でこの国が妙に静かで、気味の悪い場所だった理由が。
どうしてイゼルだけでなく、他国にまで干渉していたのか。
ダリアの中の魔核は、もうこの時点でいなくなる運命だったのだ。
「ダリア、俺に力を貸せっ! お前の魔核まであいつに取られたら、本当に取り返しがつかなくなる」
「……断る。お前如きに力を貸すなど論外だ」
「私情が挟める事態じゃないんだ! 俺の肉体という籠があれば、魔力を置き換えたりはできないはずだろ!?」
魔女は、魔力をそのまま肉体にしている不完全な存在だ。より強い魔力があれば、意識を狂わせることは可能なのだろう。
……俺が自身の母や父をそうしたように。
だが、肉体という籠があれば、自我ごと乗っ取られる可能性はないはずだ。
なにより、前の世界のラザレスがそうされていない時点で、その理論は実証済みのはずである。
「信じてくれ、俺のことをっ! 俺はあの子たちを失ったまま生きていたくなんてない! お前だって、そいつに利用されて終わりだなんて嫌だろう!?」
「……」
「今ここでやらなくちゃ、本当に終わりなんだよ! お前はこの世界が憎いかもしれないが、俺は……」
「憎くなどないさ」
予想外の言葉に、口をつぐんでしまう。
その言葉は、俺が彼女に抱いてきた印象とは、真逆に感じられた。
「……憎く、ない?」
「ああ。……元々私は、ダリアという肉体は、これでもこの世界の人間だった。魔法が普通にこの世界に存在していたころの、な」
……きわめて真剣に、俺の目を見る。
初めて、彼女の心に触れたかのような気がした。
「……いいだろう。力を貸してやる。だが、この条件は飲んでもらう」
「なんだ?」
「きっとお前の魔力に私の力が注ぎ込まれるとき、私の記憶が見えるだろう。その時、『私に協調を示してはならない』」
「……何故だ?」
「感情が同調さえしてしまえば、魔力は簡単に一つになる。私と貴様の魔力は膨大だ。その二つが重なれば……お前は、悪魔そのものとなってしまう」
「悪魔……」
「さあ、手を出せ。精々私に呑まれるな」
俺は前に手を突き出すと、彼女はその手首を取り、無理やり自身の胸を貫かせた。
その瞬間、俺の意識は暗い闇の底へと置いて行った。