30 別世界
「さて、お前のこれからについて説明するぞ」
狼はそう言って、目の前の席に座る。
白狼もその隣について、メニューを開いた。
俺達が今いるのは、マクトリアの一角にあるレストラン。
見かけとしては、別にほかのレストランと目立って変わっているところも見当たらず、お昼時なので、ほとんどの席に人がいる。
その一つのテーブルを囲って、俺たちは座っていた。
「待った。その前にお前たちは一体何なんだ? それに、その……」
前の世界では、なぜ何もしなかったのか。
それを確認したいが、どう話せばいいかわからない。
それを察したのか、狼が口を開いた。
「初めに言っておこう。私たちはこの世界のものではない。かといって、お前の知っている世界のものでもない。第三の世界から、私たちはこの世界に仇為すベテンブルグを殺しに来た」
「……どうして、ベテンブルグを知っていたんだ?」
「奴には、世界を渡り歩く力がある。彼女……白狼も、奴に世界を滅ぼされた一人だ」
世界を渡り歩く力。
それではまるで、メンティラの呪術そのものだ。
だが、それでは彼は一体何を対価にして呪術を使っているというのだ?
「なあ、それって呪術のことか?」
「呪術ではない。奴の生まれ持っての性質だ。奴は出自が少々特殊で、世界を自由に渡り歩ける。そう言った存在なんだ」
「……なんだよ、それ」
「信じられないかもしれないが、事実だ。そういった存在、もしくはそれに組する存在を、まとめて私たちは『鴉』と呼んでいる」
「じゃあ、お前たちはどうやってこの世界にわたってきたんだ!?」
「それは言えない。だが、いずれわかる」
「いずれって……」
彼はそれきり話を打ち切り、白狼から渡されたメニューに目を落とす。
そんな彼を呆然と眺めていると、不意に白狼が俺を見つめていることに気付いた。
「……なんだ?」
「『久しぶり』、だそうだ。彼女は喋ることができない。何を言っているか知りたかったら、私に聞け」
「お前はわかるのか?」
「当然だ。長い間共にしてきたからな」
多少誇らしげに胸を張ると、彼女は相も変わらず答えを待っているかのように見つめてくる。
否定しないということは、どうやらその通りなのだろう。
「なあ、なんであの時お前は、その……楽しそうだったんだ? 戦いに快楽を見出すタイプなのか?」
彼女は首を振る。
だが、それなら彼女は何故あんなに楽しそうだったんだ?
「戦いにおいて彼女が楽しそうな表情をしたところは見たことがないが……ああ、いや、一度だけあったな」
「一度?」
「そう、一度だけ。理由は……ふふ、いずれわかるさ」
どこか嬉しそうに笑う狼に、似たように笑う白狼。
そんな二人を見て、ふと気になったことがあった。
「二人は家族だったりするのか?」
「家族……そうだな、家族だ。血のつながりはないがな。言うなれば、私が兄で、彼女が妹だ」
彼がこともなげにそう言い終えると、少したってから急に顔色が悪くなった。
「……わき腹をつねるな。痛いぞ」
見ると、頬を膨らませている白狼の姿があった。
……なんとなく、言いたいことはわかる。そんな気がした。
「さて、本題に入ろうか。といっても、元々本題だったが……まあ、いいだろう」
「鴉を、倒すんだな」
「ああ。だが、その前に一つだけ、知っておいてもらいたいことがある」
「なんだ?」
彼は一瞬息を吸って、もう一度言葉を切り出した。
「私たちは以前、鴉に敗れた」
「……なっ!?」
「思えば当然だ。私たちは二人。そして、あちらは三人と一人。いくら彼女が強いと言えど、この結果は見えていた」
「三人と、一人? 何故四人って言わないんだ?」
「ああ、一人は……敵とさえ呼んでいいかわからない、歪なものだからだ。不安定すぎる。強靭すぎる力故、暴走を起こしていると言った方がいい」
「そいつをなんとかして仲間に……」
「無理だ。それだけははっきりとしている」
……強靭すぎる力故に暴走。
そんな奴が、この世界に……いや、あちら側にいる。
「名前はなんていうんだ?」
「『フィオドーラ』。イフ家の末裔」
「……フィオドーラ」
あまり、印象はない。
確か、あいつとの戦いがきっかけで、ラザレスは俺に力を求めてくるようになった。
彼視点からだと思い入れの深い人物かもしれないが、俺から何か感じることはない。
「それと、ベテンブルグ、シルヴィア……あと一人は誰だ?」
「さてな」
「『さてな』って、知らないのか?」
「ああ。そいつは私たちのことを奴らに伝えることしかしなかった。だが、鴉にかかわる理由など、たかが知れている」
「……理由?」
「『不死』だ。シルヴィアは命を移動させる呪術を使うことができる。それは言い換えるとしたら、死ぬことのない完璧な体にすることだってできる」
『不死』。
そんなもののために、この世界の敵に協力するというのか?
この世界が亡べば、そんなものは意味がなくなるというのに。
「……ああ、いや。フィオドーラだけは違ったな。奴は不死など望んではいない。奴が望んでいるのはただ一つ。『承認』だ」
「承認?」
「ああ。奴はただ、誰かから認められたい。優れた存在でありたい。それだけのために、この世界から寝返った。一見ふざけた理由だが……気持ちがわからないわけでもないだろう?」
「……ああ。だが、それは俺達じゃダメなのか?」
「それも考えたが、駄目だ。奴はもう、ベテンブルグの言葉によって、心の檻に閉ざされている」
誰かから認められたい。
そんな純粋な願いさえ、奴は……ベテンブルグは、利用するというのか?
はっきり言って、邪悪そのものに感じられた。
「……奴は……ベテンブルグは、何がしたいんだ?」
「知るか。だが、崇高な理由は期待しないほうがいい。奴の根元にあるものは、悪だ」
白狼がうなずく。
彼女も、そのことには同意らしい。
「さて、それでだ。私たちはお前に一つ、伝えなくてはならない」
「なんだ?」
「世界を救うため、お前には……」
「『魔核』を体に取り込んでもらう」
ガラスから差し込む月明かりが、灰色の廊下を照らす。
子どもたちの相手をして疲れ切っていた彼は、息をつきながらその廊下を歩いていた。
コツコツと、足音だけが鳴り響く。
だが、彼の意識はそこにはなかった。
『子どもたちを頼む』とだけ言い残し、消えた青年。
今日も、そのことばかり子どもに聞かれたという事実が、漠然と彼の中に居座っていた。
そんな時、ふと背後から気配を感じた。
「出てきなよ。別に取って食おうってわけじゃないんだから」
振り向かず、背後の気配に語り掛ける。
しばらく時間をおいてから、おずおずとその気配の正体が姿を現す。
金髪の、背の低い幼い少女だった。
「こんなところに何しに来た? 悪いけど、もう子供の面倒は見たくないんだ」
「あ、えっと……」
おどおどと、反応に困る少女。
その少女は、整った容姿をしていて、高そうな衣服に身を包んでいる。
だからだろうか。彼は、気付かなかった。
――彼女の、背後にまとった膨大な魔力を。
「……ッ!? お前は……!」
「やっと気付いたか。やはり、奴の魔力程度ではこれが限界か」
「随分と姑息な真似をするね。そんな少女の体を乗っ取るとは」
「乗っ取る? 差し出したの間違えだ。彼女は随分と優しくてね。弱ったふりをしたら、直ぐに渡してくれた」
「ハッ。それの真偽はどうだっていい。それより聞きたいのは……」
彼は振り向いて、少女を目前に構える。
「何故ここに来た。『他世界の魔核』」
「……はは、はははは。簡単だ。私はこの世界を壊しに来たのだ。私を世界から切り離し、長い間不愉快な安眠に落としてくれた礼としてね」
「それは、随分と良い話を聞いた。なるほど、余計なお世話とはこのことか」
「……? なんのことかわからないが、こちらへ来い。貴様は、私たちの仲間なのだから」
「何を……ぐ、うっ」
突然、激しい頭痛が彼を襲う。
脳の神経の一つ一つを、電気のようなものが駆け巡っていく。
「わか、り……ま……」
彼は体が勝手にその言葉を紡ぐのを精神で押さえ、息を吐きながら目の前にいる彼女を睨んだ。
彼女は、目の前にいる彼……魔力の塊を置き換えようとしたのだ。
この世界にいる魔核の魔力から、彼女自身の魔力へと。
「随分と……は、ぁっ。姑息な真似をしてくるじゃないか……」
「ほう、これを耐えるか。随分と強い自我を持っていると見える」
「おほめに預かり光栄だが、悪いけどここから先は通せないね」
「何故だ?」
「ハッ、アンタが一番わかってるだろう?」
意地の悪い笑みを浮かべた彼女に、息も絶え絶えながら彼は言い放った。
「この世界の魔核は、取り込ませはしないよ」
「なら、精々あらがって見せろ。私を退屈させるなよ」