29 兆し
暗く、冷たい場所。
ああ、またここだ。
また俺は、この場所にとらえられている。
薄暗い明かりに、目の前に張り巡らされた鉄柵。
乾いた石の地面に、手足につながれた鎖。
そういえば、ラザレスの奴も一度捕まっていたな。
その時はマリアレットの奴に助けられていたが、今回はそうもいかないだろう。
ニコライも、今は子供たちを守ってくれている。
「……まずいな」
死ななかっただけマシではあるが、今ここでつかまっていたら、子供たちに心配させてしまう。
それに、まだまだ勉強だって終わってない。あの子が知りたがっていた花の名前や、お話の続きだってまだ話せていない。
こうなれば、力技で……。
「ラザレス、ですよね?」
聞いたことのある、声色。
あいつが恋焦がれていた、数奇な運命を背負った少女。
ソフィアが、鉄柵越しに、そこに立っていた。
「……ソフィア、か」
「お久しぶりです。……ようやく、またお話ができますね」
「悪いが、こちらは話すつもりはない。子どもたちの面倒を見なくちゃいけないんだ」
「子どもたち? ラザレス、まさか……!」
「俺の子じゃねえよっ! 孤児院の子どもたちってことだ!」
なるほど、と何か勘違いしていたであろう胸の内をなでおろす。
……おかしいな、俺はなぜこんな会話にムキになっているんだ?
「ラザレス、その子たちって、もしかして……」
「もしかしなくても、お前たちイゼルの国民の奴隷になる一歩手前だった子どもたちだ」
「……」
「だけど、お前たちだけの責任じゃない。俺が、あの子たちの世界を壊したから、ああなってしまったんだ。だから、責任を負う。それだけだ」
「……ふふ」
ソフィアが、そっと笑う。
……何かを馬鹿にされているかのように感じて、彼女の目を睨むと、誤解を解くように顔の前で両手を振った。
「違うんですよ! そうじゃなくて、ラザレスは、やっぱりラザレスなんですね」
「……俺が、ラザレス?」
「ええ。責任感が強くて、優しい人。昔から、変わりませんでしたね」
「俺の正体は、ザールから聞いたんだろ?」
「聞きました。あなたがラザレスを苦しめていた賢者の正体だってことも。でも、あなたを含めてラザレスはラザレスだったって、ずっと信じていました」
「……は。そいつはどうも」
「なんて、嘘です。ごめんなさい、最初貴方と会った時、『あんなのがラザレスなわけがない』って、あなたを散々に言ったことを覚えています」
随分と、正直な少女だった。
言わなくていいことまで、わざわざ言わなくてもいいだろう、と口を開きそうになるほどに。
……俺も、お節介になったのだろうか。
「ラザレス。あなたがこれからどんな道を選ぼうとしているのか、私には見当もつきません。でも、つらい時くらい、私に話してください。友達、じゃないですか」
「……それは」
「勘違いしないでくださいよ? あの夜のこと、イゼルを襲ったことを許したわけじゃありません。あなたは国を滅茶苦茶にした犯罪者です。でも、……それ以上に、友達じゃないですか」
……あいつが、この女の子にお熱だった理由がよく分かった。
認めよう。彼女は魅力的だ。
だけど、俺はこれ以上彼女に踏み入る気はしなかった。
ソフィアが話しているのは、俺じゃなくてラザレスだ。
「……俺らは友達じゃねえよ。俺は俺、ラザレスはラザレスだ。一緒にすんじゃねえ」
「なら今、友達になりませんか? それなら……」
「うぜえよ。ほら、出してくれないならとっととどっか行け」
「……そうですか」
「それとな、最後に本当のことを教えてやる」
「ラザレスは、お前の知っているラザレスは、もういないんだ。未来を俺に託して、死んでいった」
これだけは、本当だ。
胸の内のどこを探しても、彼の名残はない。
彼の感情の残り香さえも、残ってはいない。
これが、俺の持てる内の、最大級の彼女への拒絶だった。
だけど、彼女は少し考えた後に、寂しそうに微笑む。
「ええ。知ってます」
……精一杯の、強がりなのだろう。
目じりに、涙が浮かんでいる。
胸が痛くなるような錯覚に陥り、目を伏せる。
そんな時、目の前から聞いたことのないような声が耳に響いた。
「随分と幼稚な真似をするじゃないか、ラザレス」
顔を上げると、そこには銀髪を後ろでまとめた、仮面をつけた男が立っていた。
……仮面の、男。
奇しくも、隊長から聞いた仮面の男についての特徴と、一致していた。
「……誰だ、お前はっ……!」
「ご挨拶だな。お前は私を知らないだろうが、私はお前を知っている。ああ、気持ち悪いくらいなんでも知っているさ」
「ふざけるなっ! 仮面を取って、名前を名乗れ!」
「私は傭兵部隊『牙』の隊長、狼だ。訳あって仮面は外せないが、名くらいは名乗ってやろう」
やはり、知らない。
傭兵部隊『牙』? 狼?
誰だ、こいつは……?
どこを見つめても、やはり見覚えのある特徴はない。
声さえも、聞いたことがない。
そうなると、前の世界では目立たなかったか、偶然会わなかったか、だが……どちらも、違う気がした。
考えに耽っていると、不意にその男……狼の背後から、見覚えのある女性が、顔を覗かせた。
褐色の肌に、銀色の髪。そして、青い目。
「……白狼っ!」
忘れもしない、あの夜。
誰しもが俺を殺そうと躍起になっていたのに対し、彼女だけは俺との戦いを楽しんでいた。
その事実が、彼女を忘れさせてはくれなかった。
「ソフィア、一つだけお願いがあるんだ。大したことじゃない」
「……お願い、ですか?」
「ああ。なに、簡単さ」
彼はソフィアから目をそらさないまま、俺の方を指さす。
「こいつを引き取り、私たちの部隊に迎えたい」
その言葉は、あまりに突拍子がなかった。
何故、俺なんかを仲間に加えようとする?
だが、俺の懸念をよそに、彼はソフィアに話し続ける。
「大丈夫だ。既に、イゼル、マクトリア両国王から許可は得ている。彼の今後を任せてほしいという願いを叶えてもらった。少量のお金を使ってね」
「狼は、彼をどうするつもりなんですか?」
「殺しはしないさ。だけど今ここで彼を拘束していたら、間に合わなくなるんだ」
「間に合わなくなるって?」
「……とにかく、今ここで彼を拘束するのは悪手ってこと。うまく説明はできないけど……時が来たら、必ず話すから」
「わかりました。ラザレスのこと、お願いしますね」
「ああ。悪いようにはしないよ」
彼はそう言うと、牢屋のカギを懐から取り出し、そのまま中に入ってくる。
「おい! 俺はお前たちの仲間になんて……!」
「黙れ。お前に選択の余地などない。それに、お前はここにずっとはいられない理由があるのだろう?」
「……ッ! 何故それを……!?」
「言っただろう? 『気持ち悪いくらいなんでも知ってる』って」
「だから……!」
だからって、そもそも何故こいつは俺についてここまで知っているんだ?
俺はこいつに会ったことはない。だが、こいつは俺の身の回りに突然現れた。
俺に手紙を書いたのも、俺に意味深な言葉を送ったのも、すべてこいつだ。
「誰なんだ、お前はッ! どうして、どうして今突然ここに現れたッ!」
「そうだな。貴様が私たちを信用するように、一つだけ情報を与えよう。そうでなければ、永遠に貴様は叫んでいそうだからな」
彼はそう言ってしゃがみ込み、俺に目線を合わせ、言い放った。
「私と貴様は同じだ。この世界の結末を見た者同士だ」
「……まさか、時計塔を!?」
「さてな。知りたければ、私たちに協力しろ。あの老人を叩きのめさなくてはならないのでな」
あの老人……考えるまでもない。
アイツやソフィアの育ての親であり、全ての黒幕。
ベテンブルグ。
「……ああ、わかった。手を貸してやる。お前たち二人についても、聞かなくちゃならないことも山ほどあるからな」
「それでいい。ようこそ、牙へ」
彼がそう言って指を鳴らすと、俺の手足を縛っていた鎖が落ちる。
俺はその時、確信した。
目の前の二人は、強い。それも、今まであった人の中で、誰よりも。
この二人なら、きっと……いや、絶対に勝てると。
「立て。ようやっとこの世界に光を灯す兆しが見えたんだ。行くぞ、ラザレス」