25 平穏
槍を振り下ろし、彼は最後の一人の息の根を止めた。
かつて慈愛の街と呼ばれた場所。その場所は紅く染められ、今やここで生きている人間は誰もいない。
彼はその街の中心部にある人々の山の頂点に腰掛け、高いところから街を見下ろしていた。
「素晴らしい。短期間でこれほどとは」
背後から聞こえる声に振り向く。
そこには四年前彼と敵対した、先代のベテンブルグが立っていた。
「ありがとうございます。これもすべてあなた方の『力』のおかげです」
「謙遜することはない。いや、君のことをドラ息子だとばかり思っていて悪かったね。今の君は、例えるならそう――」
「我々の『爪』だ」
ベテンブルグは邪悪な笑みを浮かべ、高所にいる彼を見上げる。
彼は感情のない目でベテンブルグを見返していた。
「獲物を引き裂き、我々を支えてくれる、大事な部位。君がいるといないとでは、大きく異なってくる」
「ありがとうございます」
「ふむ……。さて、改めて一つ聞こう。君はその力で一体何をするつもりかね?」
ベテンブルグの言葉が引き金になったかのように、彼は立ち上がり下にいる人間に思い切り槍を突き刺す。
まるで自身の苛立ちを彼らで発散するかのように。
「私は、私を否定した人間全員に復讐する! 私を見てくれなかったもの、全員だッ!」
「素晴らしい。最高だ。それでこそ我々の仲間にふさわしい。さあ、ともに人々を見下す側に回ろうじゃないか」
ベテンブルグは死体の山を登り、手を差し伸べる。
醜く、歪みきった笑顔とともに。
「フィオドーラ=イフ君?」
――――
「28……29……」
腕の筋肉が震える。
頭からこぼれる汗が、地面に模様を描く。
「30!」
俺はその数字を叫ぶとともに、地面に寝転んだ。
そのまま呼吸を整えながら空を見上げていると、覗き込むかのようにレオナルが現れた。
「よっ。お疲れさん」
「……ああ」
イゼルの兵士となって、数日がたった。
俺は今、新人として先輩のレオナルに鍛えられている。
といっても、敬語は彼が『いらない』といったため、使ってはいないが。
長距離走、腕立て伏せ、腹筋……といった、基礎的なトレーニングだが、これらも元々運動など意図してしてこなかった俺には厳しい課題だった。
「さてと、これで午前の鍛錬は終わりだな。後はまあ、見回り警備だな」
「わかった」
「その前に、だ」
仰向けになっている俺の体の上に、軽い木製の短剣が投げられる。
それが意味することは一つだ。
「ちょっとだけ遊んでこうぜ、ラザレス」
「お前は随分と元気だな、レオナル」
「そりゃそうさ。こんな鍛錬すぐに慣れなきゃ、ここでやっていけないぜ?」
「ああ、そうかよ」
俺は短剣をもって立ち上がり、その剣先を彼に向ける。
この数日、剣の構えや振り方。その他もろもろをみっちり彼から教えられた。
まだあいつには届かないが、以前よりもはるかに剣が使えているとは思う。
「そうこなくっちゃ。よし、それじゃあ……行くぜ」
彼はその言葉とともに、足で地面を踏切り、その慣性を残したまま俺にとびかかってくる。
そうして振り下ろされた剣をまともに受け、鍔迫り合いの体制になった。
「本当、ラザレスの反射神経だけは凄いよな。剣の腕はまだまだだが」
「さて、それはどうかな?」
「え?」
俺はその鍔迫り合いに込めていた力を抜き、剣身で彼の剣を滑らせる。
そうすると、バランスを崩したレオナルが大きな隙を見せ、その瞬間に俺は剣先を彼ののど元に突き付けた。
はず、だった。
彼は態勢を崩したのを利用し、そのまま空中で回転したかと思うと、着地してそのまま俺の背後を取る。
そのあまりに型破りな立ち回りに呆然としていると、俺の背中に固い剣先がちょんと当たった。
「ま、入ったばかりの新人に先輩が負けてられるかよって話だ」
得意げにそう言うと、彼は俺の手に握られている短剣を取る。
今まで俺は、何度か彼と試合したが、それでも勝ち星は得られてはいない。
俺が剣に慣れていないのもあるだろうが、それ以上に彼の剣捌きにはどこか洗練されているものを感じていた。
「けどまあ、いい線いってるとは思うぜ? 俺には程遠いがな!」
言い切って、大きく口をあけて笑う。
俺はそんな彼にため息をつきながら、微笑して手を振り、別れの挨拶を告げると、それに応答するように微笑んでくれた。
街の高台にある、木造の一軒家。
周りよりも一回り大きく、その場所には広い庭があった。
俺はその庭を突っ切り、家の戸を叩く。
「ただいま。元気にしてたか?」
俺の声を聴いて、扉の向こう側にいる気配が、カギを開けてくれる。
俺はそれを開くと、俺の胸に飛び込んでくる小さな影があった。
「先生、おかえりなさいっ!」
「お、っと……。俺は先生じゃないよ。ラザレスでいい」
「え? でも、勉強とかを教えてくれる人は先生っていうんじゃないの?」
目の前の少女の奥には、二人の兵士が立っていた。
彼らも、俺と同じイゼルの兵士であり、レオナルや俺の知り合いの一人でもあった。
大方、彼らが入れ知恵をしたんだろう。
「今日は二人が見ててくれたんだな」
「ああ。どうだ、ここでの暮らしになれたかよ、先生?」
「先生じゃないって。俺はただのラザレスでいいよ」
「いいじゃねえか、先生で。その方がお前が彼らにとってどういう立場なのかわかりやすいんじゃねえのか?」
「そうかもしれないけど、俺はこの子達に先生なんて言われるようなことは……」
俺の返答がまだるっこしかったのか、彼らは前髪とともに頭をかき上げる。
「へーへー。それじゃな、先生。また今度飲みに行こうや」
彼らはそれだけ言うと、家から立ち去り、元々の場所の警備に戻る。
俺はそんな彼らを見送ると、足元にしがみついている少女に目を落とした。
「まったく、しょうがない奴らだよな。あんな奴らになっちゃだめだぞ」
「あの人たち、悪い人たちなの?」
「悪い人じゃないけど、駄目な大人だ」
「ふーん」
俺は今、国営の孤児院の責任者を任されている。
この木造の家は、高台に作られていて、そこから街を一望できる。
家々からは離れているが、その分街の中の騒がしさとは無縁だった。
それにも、理由があった。
元々、この場所には何もなかった。
草が風になびき、街を一望できる場所。
ただ、それだけだったのだ。
だが、居酒屋での一件で、俺は彼らにこの場所で家を建ててほしいと頼み込んだ。
この場所なら、人々がどういった暮らしをしているか、よくわかると思ったから。
そして、理由はもう一つある。
「先生、そろそろみんなのとこ行こ? 私、先生連れてくるってみんなに言ってたんだ!」
「ああ、そうだったんだ。それじゃあ急がなきゃだ」
「うん!」
大きくうなずいて、俺の手を引いてトテトテと元気よく走る少女。
向かった先には、白い百合の花畑が広がっていた。
見回す限りの、白。
これが、俺がここを選んだ本当の理由だった。
「あ、先生が来た!」
「遅いよ、先生!」
次々に俺を見ては反応してくれる子供たち。
まだ全員が俺と話してくれるというわけではないが、それでも彼らに迎えられることは俺にとってかなり嬉しいことだった。
「ただいま。みんなはここで何をしてたんだ?」
「えっとねー、はなかんむり作ったりー、鬼ごっこしたりー、あ、でもかくれんぼは迷子になっちゃうから駄目だーってあの人たちに言われたよ?」
「はは、そっか。それじゃあ、そろそろ……」
「くらぁ、ラザレス! サボってんじゃねえぞ!」
低くしゃがれた怒鳴り声が、俺の背後から聞こえる。
その声には、聞き覚えがあった。
振り返り、その声の持ち主を呼んだ。
「隊長。俺の持ち場はここですよ。隊長こそ、こんな場所で何をしてるんですか?」
「がははは。生意気なこと言うじゃねえか。俺はな……聞いて驚くな、花冠を作りに来たんだ!」
口を開け、豪快に笑う白髪の大男。
彼……『ルーファウス』は、俺達イゼルの兵士を束ねている、所謂団長だ。
気取ったところがなく、部下の愚痴にも付き合ってくれるため、彼を心から尊敬するものも多い。
そんな俺も、その一人だった。
「あ! 隊長のおじちゃんだ!」
「おう! 実は俺はな、お前たちに会いに来たのよ!」
「花冠を作りに来たって言ってたじゃないですか」
「馬鹿野郎、ありゃ冗談だ冗談。花冠なんざ、誰に送るんだよ。この国にお姫様なんぞ……」
「いるじゃないのさ、ここに」
突然俺たちの背後から聞こえた声とともに、一つの手が伸びる。
その手は迷いなくルーファウスの左耳に飛び、つかんだと思ったら思い切り上に引っ張った。
「いでででで! おい、やめろ馬鹿! ちぎれるちぎれる!」
「まったく、仕事ほっぽってまあたこの子達に会いに来てたのかい? 隊長なんだから、サボってて示しがつかなくなったらどうするの!」
「わかった! わかったよ!」
ルーファウスの言葉を聞いて、パッとつかんでいた手を放す女性。
淡い栗色の髪を後ろで束ねた女性……『エミル』は、ルーファウスの妻にあたる女性だ。
エミルは無償でこの孤児院にご飯を提供してくれたり、俺の留守の間はここでこの子達を見守ってくれている。
心の底から、彼女には頭が上がらなかった。
「エミルさん。いつもありがとうございます」
「いいんだよ、好きでやってることなんだから。それに、ここにいるこの子達はもうアタシたちの子どもたちみたいなもんだ。勿論、アンタも含めてね」
「……ありがとうございます」
深々と、彼女に頭を下げる。
その姿を見たであろうルーファウスが、突然声を上げた。
「あ、そうだった」
「なんですか?」
「いや、なんかお前宛に手紙を渡せって言われてよ。仮面をかぶったあやしー奴だったぜ」
「なんだいそりゃ? ラザレス、変な奴らとあんまり関わっちゃだめだからね」
「仮面をかぶった男?」
聞いたこともない。
顔を隠してまで、俺に手紙を渡しに来るような存在など、思い当たる節もなかった。
俺は彼から手渡された便箋を見て、やはり文字に見覚えがないことを認める。
内容も、『そろそろ時が来る』という、訳の分からないものだった。
「おいおい、ラザレス。大丈夫か? なんだったら、俺が捨てといてやろうか?」
「いえ、一度持ち帰ってから考えようかと。ご心配、ありがとうございます」
俺はその手紙をポケットにしまい、花畑で戯れる子供たちを遠い目で眺めていた。




