24 鴉
俺は揺れる視線を固定するかのように、壁に手をついて歩いていた。
レオナルの言っていた我儘。それは、いかがわしい店に付き合え、というものだった。
当然、俺にそんなものの体制などあるわけもなく、言われるがまま飲まされて今に至る。
「くそっ、頭いてぇ……」
前に歩くのも、ほとんど困難だった。
今にも倒れそうになる体を足で支えつつ、前に進む。
そうして、苦闘の末ようやく自宅についた。
「……ただいま」
既に時刻は日をまたいでしまっている。
俺はすでに寝付いているであろう三人を起こさないようにして、こっそりと帰宅したことを伝えた。
既に家の中に明かりはともっておらず、唯一の光は店の中心にあるテーブルの上のわずかなランタンの火だけだった。
俺は定まらない視線で、その机に突っ伏している何者かを見る。
「だれか、いるのか?」
俺はその存在に近づいて、近くにある椅子に倒れこむように座る。
そこまで近づいて、ようやっとその存在がカレンであることに気付いた。
「……カレン。起きてくれ。こんなとこで寝てたら風邪をひくぞ」
俺は体をゆすり、彼女を起こそうとするが、一切起きる様子はない。
それどころか、その体の揺れに安らぎを感じているのか、言葉になっていない寝言を口から出す。
こうなってしまってはもう俺にすることはないため、彼女の軽い体を持ち上げて、彼女の部屋に運ぼうと立ち上がった。
「……酒くさい」
その時、胸元にいる彼女がそうつぶやいて、寝ぼけ目を開けた。
俺はそんな彼女の様子を見て微笑んだ。
「悪いな。飲んできちまった」
「……ん。まってた」
「そっか。それは悪かったな。じゃあ、部屋に行くか」
「うん」
俺はよろめきながら階段を上り切り、カレンの部屋のベッドに彼女を寝かす。
そのまま布団をかけると、彼女は俺の手をつかんできた。
「ラザレスは、今日は何をしてきたの?」
「俺? 俺は……大したことはしてないよ」
「そう。でも、とっても嬉しそう」
「……隠せないな。ああ、本当はとても、とても嬉しいことがあったんだ」
賢者としての俺を恨まないでいてくれる人に出会えた。
俺の存在を必要としてくれる人に出会えた。
自身の居場所を見つけられた。
自分の気持ちを、言葉に出来た。
「ラザレスは、今幸せ?」
「ああ。幸せだよ。凄く、幸せだ。やっと……」
そこで言葉を紡ぐ。
これ以上は、ずっと喋ってしまいそうだ。
俺は彼女の頭に手を置いて、サラサラの髪をすくように撫でる。
そのまま、彼女はくすぐったそうに目を細めて、されるがままにしていた。
……まだ、すべてが解決したわけじゃない。
ベテンブルグの存在や、シルヴィアの存在。賢者の法の今後。イゼルや、ソフィアたちの未来。
だけど、それでも、そのどれもが今の俺にとっては前に進めているかのような気がしていた。
「……ん」
彼女は突然そう言って、俺の手を取る。
……以前振りほどいてしまった手。
だけど、今の俺なら取ることができる。
「……ありがとう」
「え?」
「ありがとう、カレン。俺はもう、逃げないよ」
――――
ノックの音が響く。
それと同時に、柔らかい男性の声が部屋の中に響いた。
「失礼します。入ってもよろしいですか?」
「ん? ああ、いいけど、君は……」
中にいた中年の男性が扉の方を向く。
開かれた扉からは仮面をかぶった青年が姿を現し、月明かりがその姿を照らしていた。
「……ああ。なるほど。面白い来客がいたもんだ」
「流石です。もうすでに私の正体に気付かれるとは」
「そこまで耄碌しているつもりはないからねえ。それで、何の用だい?」
「いえ、彼を救ってもらった礼をしに来ただけですので、お時間は取らせません。彼女、どうやら興奮しすぎて自制が効かなくなってしまったようで」
「ああ、なるほど。まったく、彼女少し強すぎやしないかい? 逃げるのがやっとだったよ」
「おや、ご謙遜を。彼女、あなたの腕前を相当気に入っていましたよ? もう一度試合いたいとも」
「冗談。それに、彼女はしゃべらないだろう?」
「喋れません。それでも、目を見ればわかりますよ」
「流石、噂名高い『牙』の隊長さんだね」
「ありがとうございます」
白髪交じりの頭を掻き、男は彼にニヤリと笑った顔を向けると、その顔を正面から受けた青年も微笑む。
その二人の間はどこか旧友のような温かい雰囲気に包まれていた。
「改めて……。お久しぶりです、ニコライさん。あなたに何度も助けられた返礼をしにまいりました」
「俺からしたら初めましてなんだけどな」
「……それと同時に、殺されそうにもなりましたけどね」
「それはお互い様だろう、狼君?」
ニコライが皮肉に笑うと、狼と呼ばれた青年も似たように笑う。
「はは。一瞬私の名前が呼ばれるかと思って焦ってしまいました」
「『私』、ね。はは、年がたつと一人称まで変わるのかい?」
「ええ。真摯な対応が傭兵部隊の隊長の心得ですから」
「それだけかい?」
「……それと、私の身分を隠すためにも」
彼の腹の内を明かしたことで満足感を得られたのか、ニコライはベッドから起き上がって近くの椅子に座る。
それから、彼は話し出した。
「君が出てくるのは予想外だったんだけどね。それほどまでにこの世界の存続は難しいものがあるのかい?」
「……ええ。言いにくいですが、かなり」
「成程。それは、彼がかかわっているのかい?」
「それは申し上げられません。未来の出来事に干渉してしまうことになりますので」
「相変わらず頭が固い」
「それはあなたもご存じのはずでは?」
「ああ。その通りだとも」
「……ですが、たった一つだけ言うとすれば、一つだけ裏で『余計なお世話』が働こうとしています」
「余計なお世話、ね」
「ええ。まあ、それは私が何とかしますので、これはいいのですが……。それよりも、『鴉』の動きについて、です」
「鴉、ね」
ニコライが眉を顰める。
彼はそんな彼の動向を見た後、しばらくしてから喋り出した。
「ええ。鴉は、二人ではありません。あと一人ほど、協力者がいます。それと、もう一人」
「要は、二人ってことかい?」
「いえ、もう一人は協力しているといっていいかどうか……。ですが、もう片方はかなり厄介です」
「厄介、というと?」
「今は大方の記憶を失くしていますが、勇者とのつながりを持つ一人です。……もし記憶を取り戻したら、きっと我々は――」
「おっと。狼らしくないじゃないか、弱音なんて。世界に仇為す『鴉』を殺す『牙』。それが君たちだろう?」
「……ええ。すみません」
狼は深くうなずいた後、窓からこぼれる月光に目を向けた。
「我々は何千という世界を救えなかった。ですが、まだ我々はあきらめるつもりなどありません」
「その調子だよ。さあ、立ち上がるといい。君もまた、託された一人なのだろう?」
「ええ。それじゃあ、私はこれで。引き続き監視をお願いします」
「ああ。願わくば互いの道に幸運あれ、ってね」
狼は立ち上がり、背中を向けると同時に、片手をあげることでその言葉に返答した。
ニコライの家を出た後、彼は舗装された夜の道を歩き続ける。
誰もいない道の中、彼の口から言葉がこぼれる。
「時計塔……か」
彼の脳裏によみがえる、この街のシンボルともいえる建物。
彼はその建物がよく見える位置のベンチに座り、時計塔の針を眺めた。
彼の終わりを告げ。
彼の始まりの背中を押した。
「……終わらせるか」
彼はそうつぶやいて、立ち上がり、夜のとばりへと消えた。