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23 白い海

 ソフィアはそれから、ずっとその青年……狼と歩き続けた。

 狼は絶え間なく話し続け、自身の仕事についてや、ある町のこんなイベントが楽しかった、など様々なことを話し続ける。

 そう語る狼の表情は、仮面で隠されているにしても、分かるくらい朗らかだった。


「この道がマクトリアに向かう道だけど……こっちの道は、マクトリアのはずれにある集落につくんだ。私もそこに行ったことがあるけど、たった一日だけの付き合いだというのに本当によくしてくれた。いい思い出さ」


 どこか寂しそうな、それでいて懐かしさを感じるかのような表情で、示した先を眺める。

 彼女はそんな彼の様子に、思わず口を出してしまう。


「随分とこのあたりに詳しいんですね」

「そうだね。私はこの世界が好きだから」


 彼女の隣を歩く狼は、顔を前に向けたまま話を続ける。


「誰もが望むものがすれ違う、ままならない未熟な世界。傷つく人のなくならない、悲しい世界。それでも、誰かを守ろうとする不器用で暖かな光を感じられる。そんな世界だから、今ここにいる私があるのだと思う」

「ふふっ、なんですかそれ」

「あ、初めて笑ったね」


 狼は顔を彼女に向けて、嬉しそうに笑う。


「心配だったんだ。君はずっと、眉間にしわをよせて、何か思い詰めていたかのようにしていた。それがどんな悩みかは、私にはわからないけどね」

「……狼さん」

「狼でいいよ。敬称をつけられるほど、立派な存在じゃないから」


 狼は少し笑ったのちに、また前を向いて歩きだす。

 その後ろをついて行くソフィアは、知らずのうちに口を開いていた。

 突拍子のない話題だけど、それでも彼なら受け入れてくれると信じて。


「……あなたは、私の知っている人によく似ていますね」

「なんだって?」

「誰よりも優しくて、温かみを持った人間。そんな人に会ったのは、あなたで二人目です」

「……そっか。照れるな」

「それで……その、聞きたいことがあるんですが、いいですか?」

「うん。構わないよ。私で答えられることがあるのなら」


 青年はそう言って、柔らかく笑う。

 そんな彼の表情やしぐさ、ひとつひとつが彼女の知っている彼……ラザレスを彷彿とさせた。


「……でも、その人はまるで人が変わったかのように、残酷で、冷酷になって……。教えてください、どうすれば彼を助けられると思いますか。どうすれば、その人のことが理解できますか!?」

「……」

「ごめんなさい。……わからない、ですよね」

「ううん。わかるよ」


 彼は前を歩きながら、振り返らずに答える。


「その人はきっと今、何かに悩んでいるんだと思う。自分の思い描いていた理想と違って、苦しんでるんだと思う。でも、彼はきっと立ち上がるさ。『俺』が保証する」

「……狼」

「憶測だけどね。……私はその人のことを知らない。そんな気がするってだけさ」


 彼はそう言い切ると、咳払いをして話を切り上げる。

 彼は憶測と言った。それでも、彼女の中ではそんな彼の言葉が真実だとしか思えなかった。


 しばらくの間彼女たちを包む静寂を傷つけないようにするかのように、優しい声色で彼は言葉を発する。


「町が見えたね。でも、ちょっとだけ見せたいところがあるんだ」

「……あまり寄り道している時間はないのですが」

「いいから。質問に答えた例だと思って、さ」


 強引に話を続ける彼に、ソフィアは仕方なくといった風にうなずく。

 彼はそれを見て満足げにすると、町から外れの方、少し高い丘にそれはあった。


「……これは」

「綺麗だろう? 私もここがお気に入りなんだ」


 丘から見下ろす、一面の白い海。

 風になびき、それらを彩っている花々が揺れた。

 空に、数枚の花弁が散る。

 彼はそれを見送り、ぽつりぽつりとつぶやいた。


「私は、一人の友達を探しているんだ。そのために、各地を回っている」

「友達、ですか?」

「ああ。あいつは今、一人で頑張ろうとしてる。立ち上がろうとしている。それでも、いや……だからこそ、私はそいつの側で、見守ってあげていたいんだ」

「……見つけられるといいですね」

「ありがとう。それと、もう一つ尋ねていいかな?」


 狼はソフィアの方を向き、一瞬何かをためらったかのように黙り込むと、ゆっくりと口を開いた。


「君の名前を、聞かせてほしい」

「あ……。ごめんなさい! もしかして、まだ名乗ってはいませんでしたか?」

「ああ、いや。こちらも偽名だから、気負わなくていいんだ」

「……ソフィアです。ソフィア=ベテンブルグ。イゼルに仕えています」

「イゼル、か。あそこも、いい国だよね」

「はい! ……でも、今はその陰はありません。賢者の法が……フォルセが、それを奪っていったから」

「……」


 彼は黙り込み、視線を白い海に向ける。

 構わず、ソフィアは話し続けた。


「フォルセが、賢者の法を匿っていなければ、こんなことにはならなかったんです! あいつらを匿うなんて、フォルセはどうかしてしまったんですか!?」

「違うよ。フォルセは、あの国の先代国王は心の底から『恒久的な世界平和』を望んでいる。私はそんな彼を心から尊敬しているんだ」

「だからって……!」

「でも、賢者の法が君たちを傷つけたのは事実だし、当然、今回悪いのはあちらだ。だけど、イゼルにだって非はある」

「何が言いたいんですかっ!?」

「イゼルにおいて行われる魔女の奴隷取引。知らないわけじゃないよね」

「それは……」

「彼らもこの世界の人間との平等を望んでいる。だけど、彼らを受け入れない選択をしたのは、君たちじゃないか」


 ソフィアは、表情を曇らす。

 それでも、彼は話し続けた。


「厳しいことを言っているのは自覚している。彼らを擁護するわけでも、君たちを罵倒するわけでもない。どちらかだけが完全に悪だと決めつけられるほど、君は物事を知っているわけじゃないだろう?」

「……っ! じゃあ、平等が目的ならどうして賢者の法はイゼルと話し合おうともしなかったのですか!?」

「『ごめんなさい』、『わかりました。仲直りしましょう』。それじゃあ収まらないんだよ。大人の喧嘩は」

「それは、そう、ですけど……」

「君たちだって、賢者の法が今更降伏してきたからといって、受け入れられる国民はきっと数えられる程度だ。イゼルも、賢者の法も、どちらもこぶしを振り上げてしまったんだよ」


 狼は立ち上がり、すれ違いざまにソフィアの肩に手を置いた。


「だけど、この戦争はどちらかの滅亡で終わらせる気はないよ。少なくとも、私たちにはね」

「それは、『牙』の隊長としての言葉ですか」

「ああ。両方とも共に生きていける、そんな世界にするために、『俺』たちはここに来たのだから」


 言い切り、彼はそのまま歩いていく。

 ソフィアがその真意を訪ねるべくすぐさま振り返ると、もうその場所には誰もいなかった。

 そんな彼女の目の前で、一筋の風が、ひとひらの花弁を空へと送った。

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