22 矛盾の徒
フォルセに戻ると、そこには先代国王……ガゼルが門の前で立っていた。
重鎮が門の前で護衛も持たずにただ立ち尽くしている。その異様な雰囲気に、周りの門番も何も言えずに黙っている。
さっきまで嬉しそうに鼻歌なんて歌っていたレオナルも、その光景をのむと息をのんだ。
「……来たか」
ガゼルが口を開くと、レオナルは馬を止め、馬車から降りて頭を下げる。
彼はその姿を一瞥すると、その眼をそのままこちらに向けてきた。
「再度確認する。貴様の要望、それは彼女たちに住む場所。そして、学ぶ機会を与えろ、ということだったな」
「ああ。俺はもうカレンのような子を出したくないんだ。この世界のこともよく知らないのに、過酷な運命を背負わされるなんて、間違ってる」
レオナルが俺の物言いに驚いたのか、目を見開きこちらのわき腹を小突いてくる。
……痛いからやめてほしかった。
「それは、貴様の自己満足ではないのか?」
「……なんだと?」
「貴様が弱いから。みじめだから。だから、より弱い人間を近くにおいて、優しくして、人格者とみなされたいだけではないのか?」
……昔、俺はそれと似たようなことを言われた。
その当時は、どうだったのかなど今の俺には分からない。
だけど、今ここにいる俺にはそんなつもりなんかないと断言できる。
「俺は、イゼルで多くの人間を死に追いやった。罪のない、真実を知りえない無辜の人々を」
「それが?」
「だから俺は、傷つけた人よりも、多くの人を救う。この託された命、それだけのために使うつもりだ」
「……下らんな」
ガゼルそう言い切り、俺の肩の先にいる子供たちをねめつける。
俺はその視線を遮るように、彼の前に立ちふさがった。
「貴様の意見は正しいように見える。だが、同時に矛盾している。イゼルの民を傷つけたことを贖罪するというのに、貴様はイゼルの者を傷つけ、彼女らを奪い取った。違うか?」
「そうだな。矛盾している」
「救われるべき命。救われてはならない命。その優劣をつけ、贖罪だと? 笑わせる」
「ああ。そうだな」
彼の言っている論理に、一ミリの隙もない。
いや、隙なんてあるはずもないのだ。彼の言っていることは、正しい。
だけど、俺はこう続けた。
「――それでも、だ」
「む?」
「それでも、俺は歩き続ける。矛盾の徒に堕ちようとも。自身の命を懸けて、未来を、少女を守ろうとしたあいつに――」
「俺は、救世主になりたい」
その言葉を尻切れに、静寂が辺りを包む。
しばらくした後に、彼が……ガゼルが、手を叩き、賞賛の意を表していた。
「それでいい。我々の目指す理想は、平等と自由。それらは正しいがゆえに、歪だ。いかに取り繕うとも、それだけは隠せん」
ガゼルはそれだけ言うと、踵を返し、背中越しに話を続ける。
「我々は『平等を目指す国家』という、存在そのものが矛盾しているものの一部だ。そのことを自覚しろ。我々こそが、異端なのだ」
「……ああ」
「それと、もう一つだ」
彼は一度息をつくと、そのまま歩き出す。
そしてそのまま、振り向かずに言葉を吐いた。
「貴様は今日からフォルセの兵士だ。その言葉遣いを直せ」
「わかっ……わかりました。国王陛下」
俺の身を差し出すこと。
それが、この契約の対価だ。
分かってはいたことだが、この男に敬語を使うのはどうにも慣れない。
「よかったな、ラザレス! お前、陛下にかなり気に入られてるじゃねえか!」
「……気に入られてるのか、あれで?」
「お前、まさか知らねえのか? 陛下は傑物で、お考えを口にすることなんてほとんどないんだぞ?」
「そうなのか、それよりも……」
俺は話しかけてくる彼に、一度頭を下げる。
その行動が理解できなかったのか、戸惑いながらも、俺の名前を呼んだ。
「助かった。本当に、ありがとう」
「お、おい。ラザレス、やめろって、照れるだろ?」
「そうか。でも、本当に助かった。多分、生きて帰れたのもお前のおかげだ」
「……そこまで言うなら、一つだけ俺の我儘を聞いてもらおうか。それで、今夜の貸し借りはチャラだ」
「ああ。といっても、金銭の持ち合わせは……」
「そうじゃねえよ。その我儘ってのはだな……おっと、それよりこのガキどもをどうするか」
レオナルは俺に向けていた視線を足元の子供たちに向ける。
そして、一度しゃがみ込んで子供たちの視線に合わせた。
「さあてガキども。俺はレオナル。ここの兵士だ。俺のことは、レオナルさんって呼んでもいいぜ?」
彼はそんなくだらないことを言いながら、目の前にいる少年の頭を乱暴に撫でる。
少年はそれをただ受け入れるかのように、一切の抵抗をせずされるがままの状態を保っている。
「……なあラザレス。こいつら、俺の言ってることわかってるのか?」
「わかってないと思うぞ。この世界と魔女の世界は言語が違う。こればかりは、もうどうしようもないとしか言えない」
「そうか。なら、ラザレス。伝えてくれないか?」
「俺に? さっきの言葉をか?」
「違う違う」
彼は片目をつぶって人差し指を左右に振り、チッチッと舌を鳴らす。
その小馬鹿にしたような態度に思わずため息がこぼれ出た。
だが、そんな彼の態度にも拘らず、口から出た言葉は至極まっとうだった。
「『お前たちは、俺達の家族だ』って、伝えてやってくれないか?」
「……え?」
「俺もさ、実言うと孤児だったんだ。まあ、親父もおふくろも両方ともクズでさ。俺よりも自分のことしか見てなかった」
「……」
「おいおい、暗い顔しないでくれよ! 今は今、過去は過去だろ。それに俺は、フォルセという希望があるからな」
彼はそう言うともう一度、目の前の彼の頭を撫でる。
今度は先ほどとは違って繊細なガラスを扱うかのように丁寧で、少年も気持ちよさに目を細めていた。
「平等と自由を目指す国家。そんな国なら、クソッタレな俺でも、誰かの役に立てるかなって思ってさ。実際、他の連中もみんないい奴なんだ」
「……そうか」
「ああ。そうだ」
彼はそう言い切り、地面に胡坐をかいて両手いっぱいに子供たちを抱きしめる。
そして、振り向かないまま俺に言葉をつづけた。
「頑張ろうな。お互いに」
「ああ」
「それじゃあ、俺はこいつらを指定された孤児院に連れていくわ。お前も当然来るよな?」
「当然? ……まあ、いいが」
「それからよ。俺様の、『我儘』は」
先程の雰囲気とは打って変わって俗っぽい雰囲気を出す彼に、苦笑を禁じ得なかった。
――――
満天の星空の元、彼女……ソフィアは鬱蒼とした木々の真ん中で、薪の光に一人で照らされていた。
何度も何度も、繰り返すため息。
彼女は今、マクトリアとイゼルの道中にいた。
「……明日には、到着できますかね」
手元の地図を見る。
そこには、今まで通ってきた道のりと、これから通るであろう道のりが、赤裸々に綴られている。
図で見ると近いが、実際は鬱蒼とした木々の森や山を越えるため、彼女の体力はすでにほとんど限界だった。
だが、馬車も救護のためすべて出払っていて、個人で使えるものなどない。
「……疲れました」
彼女らしくもない、弱音を吐く。
その言葉に反応するかのように、彼女の背後にある木々が不自然に揺れた。
彼女はすぐさま剣を取り、背後に意識を割く。
「出てきてください」
それだけ言うと、その木々からは、一人の青年が手を上げながら堂々とこちらに向かってきた。
その青年はソフィアより頭一つ分身長が高く、長い銀髪を後ろで縛っていて、白い服に身をまとっていた。
それよりも特徴的なのは、顔につけられた目を覆い隠すかのような仮面だった。
「……仮面を取ってください」
「ごめん。それはできないんだ。これは身体的な問題でね。見せたくない、という我儘は通らないかい?」
「わかりました。では、武装を解除してください」
彼女の言うことに従うかのように、青年は青く薄い長剣を二本、地面に置く。
そして、そのまま彼女の方を向いた。
「信じてもらえないかもしれないが、私はここを彷徨っていただけの旅人でね。あなたに危害を加えるつもりなんてさらさらないんだ」
「……そうですか。なら、なぜわざわざ木陰から私の様子をうかがっていたのですか?」
「盗賊が近くにいるのかと思ったんだ。でも、ここにいるのがあなた一人だったから。それで、道を聞こうと思っただけなんだ」
「信じられると?」
「そうだね。君の言う通りだ。じゃあ、自己紹介くらいはさせてもらおうかな」
「私は『牙』という傭兵部隊の隊長を務めてる『狼』という者さ。以後お見知りおきを」
「……牙、ですか?」
「おや、知らないかい? 世界最強の傭兵、なんて呼ばれているんだ。といっても、事実無根だけどね」
そういって皮肉交じりに笑う狼。
だが、それがどういった意味なのかは、顔を隠している彼には分からなかった。
だが、ソフィアはそんな彼に対し、まるで昔から知っているかのような懐かしさを感じていた。