20 解放
俺は、カウンター越しにいる目の前の彼らに料理を運ぶ。
それと同時に、口火を切った。
「一つだけ、頼みごとをしてもいいか?」
目の前にいる彼ら四人は、以前俺に昔話を聞かせてくれた人たちだ。
彼らとは、あれから多少なりとも交流はあった。
だからこそ、信頼のおける彼らにこの仕事を頼むことにした。
「へえ、なかなか面白そうじゃねえか」
「給料はどうなんだ?」
「ああ、その点に関しては問題ない。国が援助してくれるからな」
「国!? そりゃまた、超大きな仕事じゃねえか!」
四人がどよめく。
当然だろう。この仕事は、きっと俺よりもさらに重要な立場なのだから、尻込みもする。
しかし、彼らは少し考えたのちに頷いてくれた。
「いいぜ。ラザレスの頼みだ。やってやろうじゃねえか!」
彼らは口々に、似たようなことを言ってくれる。
「……ありがとう」
俺はそんな彼らに、深く頭を下げた。
――――
俺はガゼルに招かれたぺスウェンの書斎で、ニ冊の本を書き続けていた。
内容は、一切の嘘偽りのない、本当の歴史の記述。
そして、もう一冊は、魔法がどのようにできているか、という原理の解明についての本。
どちらも俺の関わってきたことだが、あまり文章を書きなれていないため、どうしても時間が食ってしまう。
だが、筆を折るわけにはいかない。
これは、ガゼルに出された、協力条件の一つだ。
そして、もう一つは、俺がこの国に仕え、一生を尽くすことである。
両方、俺のやるべきことをするには、安く感じた。
「……ふう」
俺は息をついて、少し目を休ませる。
そして、また続きを書き続ける。
静かな書斎に、ペンの走る音が響き続ける。
その時、俺の肩に手が添えられた。
振り向くと、そこには俺と年はそう変わらないくらいの鎧を着た金髪の青年が、微笑みながらこちらを見ていた。
「よっ。どうだい先生、進捗のほどは?」
「……お前は?」
「俺? ああ、俺はこの資料室の警備を任されてる『レオナル』って兵士さ。世紀の書物の完成に立ち会った第一人者でもあるな」
「先生ってのはよしてくれ。ラザレスと、そう呼んでくれていい」
「はは、そうか。それで、どうだ? 終わりそうか?」
「そろそろだな」
実際、魔法の方はほぼ書き終え、歴史の方に着手している。
どちらも数万文字程度のものだが、ガゼルはそれで構わないと言った。
それでも俺には、これで二日潰れるほどには遅筆であった。
書くことなど決まっているというのに。
「……よし」
俺はペンを置き、ざっと二冊分の紙の束を読む。
どちらも、稚拙な文章で事実が淡々と綴られている。
俺はその青年にその二冊を渡した。
「良ければ、呼んでくれないか?」
「俺が? 無理無理、俺あんま字とか読めないし」
「……そうなのか?」
「ああ。でも、きっと大丈夫だと思うぜ? ラザレスがあんなに真面目に書いた本なんだ」
「……ああ。ありがとう」
彼は少しもためらわずに、笑いながらそう言い切ってくれた。
俺はそんな彼の笑顔に背中を押され、駄文と一笑に付されそうな紙の束をもって、俺はガゼルの下へ向かった。
――――
その夜に俺は、フードのあるローブを着て、夜のイゼルを歩いていた。
フードを深くかぶって、夜ということもあり、俺は特に咎められることもなく入国することができた。
俺は以前一度も行こうとは思わなかった、イゼルの北東部へ向かう。
その道中、何度か下卑た表情を浮かべた男どもとすれ違ったが、俺が向かうのはそう言った場所だ。
丸々肥えた男が、大男の奴隷を連れていたり、若い女性の奴隷を連れていたりしている。
何か話しているようだが、聞きたくもない。
しばらく歩き、俺は男たちがごった返している場所についた。
そこで数分ほど列で待たされると、数人の男たちに囲まれ、中に入っていく。
その中は、……ひどい有様だった。
石材で出来た壁に、それぞれ個室へ入るための扉。
そして、その扉の隙間から、少女の悲鳴が漏れていた。
俺は元々低い今の気温が、さらに冷え切っていくのをはっきりと感じる。
だが、それを顔に出すわけにはいかない。
しばらく黙ってどうするべきか考えていると、一人の男が話しかけてきた。
背の低い、出っ歯が特徴的なニヤついた男だ。
「旦那、もしかしてここは初めてですかい?」
「ああ、そうだな。ここに来れば、殺しても問題のない奴らに会えると聞いたが」
「ええ。ええ。そりゃあもう。ここにいる奴隷どもは全員が従順で、旦那様が剣を抜けば、自ら喜んで首を差し出すでしょう」
「そうか。クク、それは良いことを聞いた」
俺は、おもむろに剣を抜く。
それを見て、目の前にいる彼は多少動揺したのか、声が震えている。
「旦那、まだそれを出すのは早いですぜ。ここはまだ周りのお客様がいる廊下。逸る気持ちはわかりますが……」
「剣を抜けば、自ら首を差し出すのだろう?」
俺はそう言って、一閃。
その剣筋は、彼の頸動脈をしっかりと捉えていた。
しばしの静寂の後に、周りの男たちが恐怖からか叫び始める。
俺はそんな彼らの表情を、冷めきった目で見ていた。
「……一瞬過ぎて、聞こえなかったな。さて、他に俺に声を聞かせてくれる奴はいないのか?」
「クソッ! 野郎ども、出番だ!」
一人の男の声とともに、複数の大男が現れる。
その誰もが武装していて、まっすぐに俺を視線にとらえていた。
そして、怒号とともに俺に向かってくるが、そのどれもがあまり素早く感じられず、いなすことは簡単に感じた。
だが、あまり彼らと遊んでいる時間などない。すぐさま俺は短剣を逆手に持ち替え、そのまま彼ののどを掻き切った。
それを見て彼らも怖気づいたのか、次々に逃げ出していく。
そのことを咎める男だけが、この場所に残された。
阿鼻叫喚の声だけを、この場所に残して。
「……素敵な夜だな、店主? クク、こんなにも活きのいい純粋な悲鳴が聞こえるなんてな」
「や、やめろっ! 一体何が目的だ! 金か、金なら……」
「要らねえよ。これは俺が慈善でやっていることだからな」
その言葉とともに、俺の短剣が振り下ろされる。
断末魔が部屋の中に鳴り響くとともに、静寂に包まれた。
灰色の壁が、血に染まっている。
たった二人殺しただけというのに、もうこの場所には彼ら以外誰もいなかった。
俺は近くにある扉を開けて、手錠と鎖につながれた少女を助ける。
その体のほとんどは青あざに覆われていて、見ていて痛々しいと感じるほどだった。
「……っ。ちょっと待ってろ」
俺は鎖を凍らせるとともに、そのまま握力で粉砕する。
手錠はあまりにも分厚く、俺の腕力でも壊すことはできなかった。
少女はそれを見て、こちらに向かって何かをしゃべりかける。
それは、俺の世界の言語だった。
「……あなたは、魔女ですか?」
「ああ、魔女だ。賢者ともいわれていた」
「あなたが、賢者様……?」
しばらく彼女は俺の顔を見上げると、そのまま俺に抱き着き鳴き始めてしまう。
……ああ、そうだった。メルキアデスによると、魔女はほとんど俺を探してこの世界へと渡ったのだった。
そうなると、俺は彼らがこうなった間接的な原因ともいえる。
だからこそ……。
「助けに来た。ここにいる奴隷全員を連れて、この国を出るぞ」
俺はそう言って立ち上がり、彼女の手を引く。
その手はあまりにもやせ細っていて、ほとんど皮と骨だけの状態だった。
「こいつらも大概だが……それでも、君をこうしたのは、俺だ。恨むなら、憎むなら、好きにしてくれて構わない」
「恨みません」
「……え?」
「助けに来てくれた賢者様を、恨みなんかしませんよ」
少女はそう言って、まっすぐにこちらを見る。
その眼に嘘偽りは感じられなかった。
だが、彼女がまっすぐに俺の眼を射止めるたびに、心を罪悪感で押しつぶされそうになる。
「……行くぞ」
俺はその考えを振り切って、奥へと進んだ。