19 決意
それは、町のはずれの、名もない場所。
鬱蒼とした木々の生えた丘の、小さな場所。
星空の下、俺は地面に手をついて空を見上げていた。
……静かだった。
既に酒場も街も寝息を立て始め、今となっては虫の鳴き声の方が耳障りになってしまった。
俺はそんな街を見下ろし、何も言わずにただ息をついた。
マクトリアへ向かう。
そして、シアンに会う。
それで、俺の旅路は終わる。
だけど、何故だろう。
俺は……旅路が終わるのが、怖かった。
彼女たちと離れるのが、怖かったんだ。
自分は散々大切な人を奪ったのに、いざ奪われるとなると、怖くて仕方がなかった。
生きていたかった。
こんな、何も得ないまま死にたくなかった。
苦しくて、切なかった。
「……死にたく、ない」
気が付けば、そんな弱音を吐いていた。
いつ以来だろう。弱音を吐いたのは。
俺は、あの日から強くなった。ずっと、ずっと強くなったんだ。
……だけど、俺の力を認めてくれる人はいなかった。
理解して、慰めてくれる人はいなかった。
でも、彼女らはそんな俺を家族として受け入れてくれた。
ああ、同じだったんだ。俺も、あいつも。
お互いに、受け入れてくれる人がいた。
だけど、あいつは死ぬのを怖がっていなかった。
自分の命を賭して、俺が世界を、ソフィアを助けてくれるって、信じてくれたんだ。
……ああ、俺は何をしていたんだ。
胸に思い切り、息を吸い込む。
「――あああああああああっ!」
叫ぶ。
今までの何かを振り払うように。
肺の中の空気を、振り絞るかのように。
月に向かって。
……消えてしまった、何かに向かって。
それを聞きつけたのか、背後の木々が不自然に揺れた。
こんな夜更けだ。あまり気持ちのいい連中ではないだろう。
「……出てこい。相手をしてやる」
俺は……そいつらに向けて、剣先を向けた。
剣術は苦手だ。今だって、別に使える訳じゃない。
だけど……もう、逃げるつもりなんかない。
未来を切り開く意思。俺が掲げたあいつの剣には、そう言った思いが詰まっていた。
「ラザレス」
「ザール……?」
意外だった。
……ザールが何故ここにいる?
それに、何故か彼の体の傷が完治していたため、違和感を覚えた。
多分だが……これは、本物の彼ではない。
「何故、ここにいるんだ?」
「お前がいると思ったから、では理由としては不十分だろうか」
「……そうか」
何か、変だ。
彼の口から曖昧な言葉が出るとは思わなかった。
それに、彼の目からはどこか……不愉快なものを感じた。
「ラザレス。もう一度、イゼルとともに戦ってはくれないか」
「……」
「ラザレス」
「悪い。俺はもう、イゼルに戻る気はない。いや、戻れない。俺は多くの人を殺した」
「なら、このまま奴らの言いなりになるつもりか?」
「……それも、今宵でおしまいだ」
俺は月を仰ぎ、彼に言う。
「もうすぐ、今日も終わる。それでもって、俺は賢者の法を辞めるんだ」
「は……?」
「俺はあの時言われたんだ。メンティラに、『二つもの世界を滅ぼそうとしてる張本人』って。多分、あの人はきっとこの世界を救おうとしてる。それに……かけたいと思うんだ」
「……なんだ、それは。今更、良識者ぶるつもりか!?」
「そうじゃない。俺は……あいつに、託されたんだ。この世界の行く末を。彼女の未来を。それに……俺も、守りたい人たちが出来た」
「だから、もう悪夢はおしまいだ。俺は前に進む。だから、きっと今のお前が何を言っても無駄だ。ザールぶった誰かさん」
「……気付いていましたか。ですが、惜しいですね。あなたは今、賢者の法を辞め、メンティラにつくと言いました。裏切りの言質は、既にとっています」
ザールの……彼の皮が所々裂け、グレアムが姿を現す。
その眼は敵意に満ちると同時に、どこか勝ち誇っていた。
「ああ、やっぱ腹立つな、その眼。諦めたような目をしてるくせに、俺と同じような目をしてくるくせに、心のどこかで諦めきれてない、その無様な目が、腹立つんだよぉっ!」
彼の糾弾を合図に、周りからぞろぞろと信徒が現れてくる。
誰も彼もが武器を持っていて、こちらに敵意があるのはまるわかりだった。
俺も、剣を構える。
その時、だった。
「やめろ」
低い声で、周りに制止を促す。
そこには、ぺスウェンの先代国王……ガゼルが立っていた。
彼の言葉に、グレアムを筆頭に多くの者たちが動揺した。
「その者に手を出したものは、私が許さん。私の言葉は、国民全員の総意だと思え」
「……ハッ。命拾いしましたね。まあ、死ぬのが若干程度遅くなっただけですが」
グレアムはそう言うと、信徒を連れて闇へと消えていく。
ガゼルはそんな彼が去ったのを認めると、俺の方へと向き直る。
「貴様か、時計塔の使用者は」
「ああ」
「驚いたな、記憶を維持しているとは。あの時計塔にて時渡りを行ったものは例外なく記憶を失うはずだが?」
「失ったさ。記憶よりも大きなものをな」
「……ほう?」
興味深そうにこちらを見る。
俺はその眼をまっすぐ見つめ返した。
「俺は、この世界を救いに来たんだ。俺達がたどった結末を、回避するために」
「それで、何を失った?」
「そうだな、俺は……」
息を吸い込み、一度息を吸って吐き出すように言葉を吐いた。
「友を、失った」
「……友、だと?」
「ああ。俺の中にはもう一人、力のないバカ野郎がいた。だけどあいつは俺に託して消えた。だから、俺は今ここにいる」
「二重人格、というやつか」
彼は踵を返すと、背中越しに俺を見る。
そんな彼の眼は相も変わらず鋭かったが、どこか試されているかのように感じた。
「それで、貴様はこれから何をなすつもりだ? 賢者の法に従い未来を創ることが正しいことだと?」
「俺にそれの答えはわからない。だけど……今までの俺じゃ、何も変えられない。それはわかっているんだ」
前に踏み込む。
もう、目をそらして腐ったりなどしない。
「だから……俺がこれからすることを、手伝ってくれないか?」
「それが下らんことなら、私はここで去るぞ」
「下らないことかもな。だけど、俺の思い描いていたアイツなら、きっとこうする」
「……何を」
俺は思い切り月に向かって拳を突き付ける。
それが、今までの俺への決別の意だった。
前を向いているふりをしていた、今までの俺への。
「俺は……」
目を閉じて、息をする。
彼女の、目を見たことを、思い出した。
彼女が、どういう扱いをされていたのかを、思い出した。
彼女が、どんな人なのか、思い出した。
「この世のすべての奴隷を、開放する」