15 無駄
俺は、目の前にいるメンティラに、出し惜しみなどせずに氷柱や、火柱を押し付ける。
だが、彼は勇者だ。魔法なんて、全て消されるに決まっている。
俺は肉弾戦は苦手だ。つまり、たとえ奇跡が起きたって目の前の彼には勝てる訳などないのだ。
「もう諦めなよ。君は賢者で、ラザレスじゃない。剣だって、まともに使えないじゃないか」
「……その言い方は気に食わないな。まるで俺がラザレスに劣っているみたいじゃないか」
「そうだよ。だから、そう言ってるんだ」
彼はその言葉とともに、瞬時に距離を詰め、持っていた剣で俺の頬を撫でる。
撫でられた部分からは血が噴き出るが、いまさらそのことを気にしている余裕などない。
それに……もうやることは終わった。
これさえ成功したのなら、俺自身の役目そのものが終わったも同然だ。
イゼルを滅ぼすという、その役目が。
なら、目の前のアイツに一発くらい食らわせてから死ぬとしよう。
俺はそう思い、今まで彼に向かって放っていた魔法を一度手を休め、そのまま彼に向かって走り出す。
それは流石の彼も予想外だったようで、彼の頬に思い切り俺の拳が打ち付けられる。
「……ハッ。このまま無傷で俺に勝てるとでも思ったか?」
歯を食いしばり、笑みを作る。
その表情が彼の逆鱗に触れた様で、先ほどよりもさらに表情が険しくなる。
それと同時に、俺の腹部から鈍い衝撃が伝わってくる。
下を向くと、彼の剣の柄頭の部分が俺の腹部にめり込んでいた。
全身の空気が抜けるとともに、俺の意識が次第に手放されるのが分かる。
……ここで死ぬのなら、まあ、別に悪くない結果だろう。
その時、隣にいる彼が呟いた。
「……死ねるなんて思うなよ」
その言葉は、今まで聞いたどの言葉よりも冷たく感じた。
―――
『ぼく』は、この場所にいた。
どこにもない、どこかにある世界。
『ぼく』はそこから、何万年、何億年と色々な世界を見てきた。
生まれる世界、寿命を迎えて滅ぶ世界。
ある世界では、『ぼく』のことを、神様と呼ぶ人たちもいた。
ある時『ぼく』は、一人の『ニンゲン』を見つけた。
彼は、ひとりぼっちで、悲しそうに泣いていた。
『ぼく』はある時、その『ニンゲン』に興味を持った。
でも、『ぼく』はここからは出れなかった。
『ぼく』は、『ニンゲン』じゃない。
死ねないし、感情というものがわからない。
彼らのように笑えないし、泣けないし、誰かを愛することもできない。
それに……『ぼく』が干渉したせいで、滅んでしまった世界だってある。
だから、『ぼく』は『ぼく』に、世界に干渉しない、という約束をした。
でも、『ぼく』は、ついにその『ニンゲン』に会いに行ってしまった。
一人じゃないよ。『ぼく』がずっと見守ってる。
その一言を伝えに、『ぼく』は『ぼく』との約束を破ってしまったのだ。
――そこで『ぼく』は、一人の少女と、一人の少年と出会った。
声が聞こえる。
「……メンティラ様、先ほどはザール隊長の恩人とは知らず、申し訳ありませんでした」
「構わないよ。僕の指揮じゃきっと君たちをうまく扱えなかったからね。それに、彼をとらえられた。これだけで、賢者の法はかなり弱体化させられただろうから」
目の前で、メンティラと、騎士の一人だろうか? その二人が話している。
だが、俺とその二人を遮るかのように、鉄格子がそびえ立っていた。
手足首は、それぞれ鎖で縛られ、動くことすらままならない。
それに、何故だか魔力も体の中には残っていなかった。大方、メンティラの仕業だろう。
「それで、メンティラ様はこいつをどうするつもりで?」
「……僕はこいつには興味なんてない。君たちがどうにかすればいいよ」
「では、処刑は我々が……」
「うん。でも、その前に……」
声の方向が、こちらを向く。
今度は先ほどの穏やかな声じゃなく、腹の底から煮えくり返ったかのような声で、話しかける。
「ラザレス、起きているかい?」
「……起きてるよ。お前が俺を殺さなかったせいでな」
「殺す気なんてないよ。君を殺すのは僕じゃない。君を憎んでいる人が、きっとどれほどこの世界にいるだろうね」
「……さあな」
「君は殺した。誰かにとっての母を、誰かにとっての父を、兄弟を、姉妹を、友達を、何もかもを。君が一日で壊したんだ」
「……」
「……それがどれほどのことか、わかっているのか?」
そう言って、彼が鉄格子をつかみ、身を乗り出す。
文字通り、牙をむくかのように。
「わかっているのか!? 君は救えた命を、君自身が殺したんだぞ!!」
「……それが、なんだ。俺に後悔でもしてもらいたいのか? それとも、謝罪でもしてもらいたいのか?」
「貴様ッ!」
隣にいる騎士も吠える。
本当に、うるさい連中だ。
俺は世界を救おうとした賢者だというのに。
『救世主』、だというのに。
「もう少し、賢い人間かと思った」
「言っただろう? 俺は賢者じゃなく、愚者だって。だけど俺は、これでも世界を救うつもりでいたんだぜ?」
「……君は」
彼は何かを言いかけ、途中でかぶりを振ってどこかへと歩いて行ってしまう。
今は、残された兵士が俺に聞くに堪えないほどの罵詈雑言を投げかけるだけの時間となった。
『悪魔』だの、『狂人』だの。
一体、それはどちらだ。
俺はそれをうつむいて聞き流すが、それは一度何者かに止められた。
「……ザール隊長」
「席を外してくれないか。一度、話したいことがあるんだ」
「ですが……ッ!」
「頼む」
目の前で、ザールが頭を下げる。
そういえば、ザールが誰かに頭を下げるのを、俺は初めて見たような気がした。
「クク、お前が誰かに頼み事するなんてな。珍しいこともあったもんだ。なあ? ザール」
「……ラザレス」
「……殺しに来たんだろ。今のうちにした方がいいぜ? 賢者の法自体は、滅んでねえんだからよ」
「私は、お前を許してなどいない。だが、話すことがあるだけだ」
そう言って、ザールは鉄格子の近くの地面に座る。
そうして、ただ語り掛けるように、ぽつりぽつりと言葉を吐き出した。
「……いつも、お前は面倒くさがりだったな」
「……あ?」
「遊んでいる最中に、私とシアンを置いて、帰ってしまったり、夕食の皿洗いを手伝わずに寝てしまったり、今よりずっとずっと、いい加減な性格だった」
「ああ。だから何だ?」
「……いつから、お前はそうやって一人で何かを背負い込むようになったんだ」
……いつから、か。
具体的には、彼もきっと思いついているだろう。
あの日以外、俺が大きく変わった日なんてない。
「俺は、自分の母親と、父親を殺した。あの日、逃げようと決めた日に」
「……知ってるさ」
「俺はその時からずっと彼らと……彼らの血と、決別したと思ってた。俺はあんな奴らみたいにならないって思ってた」
「……」
「だけどさ、笑っちゃうよな? 俺とアイツらに血のつながりなんてものはない。俺は、魔核から生み出された魔力の塊でしかないのだから」
彼らは、魔核から遣わされた者たちにすぎない。
俺のことなど、きっと家族とさえ思っていなかったのだろう。
「それに、あいつらが狂ったのは俺のせいなんだってよ。あいつらも俺も魔力の塊だから、より魔力の多い俺にあてられてああなったらしい」
「……ラザレス」
「俺は生まれた時からまともに生きれないってわけだ。なら……俺は自分の使命を全うして、死ぬ」
俺はイゼルに復讐する。
彼らと同じ人間という立場で、復讐したかった。
この現実に。
運命に。
何もかもに。
それきり黙り続けると、ザールが呟く。
まるで、息を吐き出すように。
「……貴様にとって、この世界はなんだった?」
「……無駄な時間だった。俺は、あの時死ねば楽だったんだろうとさえ思う」
「そうか……」
それきり、ザールは立ち上がってどこかへと歩いて行ってしまう。
そして、どこか悲し気な沈黙だけがこの場所に残された。