12 感情
雨上がりの石畳を踏み、案内された場所……つまりは、教会にたどり着く。
見張りのようなものはいないが、扉に鍵などかかっていないため、重苦しい音をたてながら扉が開く。
暗く、淀んだ場所。
床に敷かれた赤いカーペットのほかに、黒い床や壁。
勿論、規則的に置かれた光源はある。
しかし、この教会をうずまく雰囲気自体が重苦しく、息がしにくい場所という言葉がこれ以上ないほど当てはまった。
俺がそんな協会の入り口で息をついていると、青い髪の白い肌が特徴的な男性が燭台を持ちこちらへと近づいてくる。
「……ようこそ。私はあなたの案内役をさせていただく、グレアムというものです。以後、お見知りおきを」
「ああ。よろしく。俺は、自己紹介は必要ないよな」
「ええ。存じております。裏切り者の賢者殿」
何か含みのあるように笑うが、いちいちそんな挑発に突っかかるつもりもない。
彼はそれがおもしろくないのか、一度舌打ちをすると、そのまま踵を返して歩き出す。
俺もそんな彼の後を続いて、ゆっくりとカーペットを踏みしめた。
しばらく歩き、俺の身長の五倍ほどはある巨大な扉をグレアムが開け、手で入るように促す。
俺はそんな彼を一瞥した後部屋に入ると、今度はこの教会すべてに響き渡るほどの轟音とともに、扉が閉じた。
「……そういえば、まだ貴様はダリアだったのだな、魔核」
「おや、これは面白い客が来たな。ニコライ、これは貴様のサプライズか?」
「ええ。そうです。気に入っていただけましたか?」
「ああ、気に入った。気が利く男は嫌いじゃないぞ?」
その言葉に、ニコライは肩をすくめて答える。
ダリアは教会の半分はあるだろう部屋の奥にある、巨大な黒い椅子に足を組んで座っている。
その背後には、巨大な紫色の宝石……魔核が、女神のような天井に届くほど魁偉な銅像の胸にはめ込まれていた。
「その口ぶりだと、魔核そのもののようだな」
「そう語る貴様の目は、昔の貴様そのものだな。どうやって戻ってきた、賢者。我が息子よ」
「時計塔だよ。お前たちと俺は、悪魔に負けた。いや、ベテンブルグとシルヴィアにな。結局お互い、踊らされただけで終わったんだよ」
「記憶が残っているということは、ゴミは排除できたのだろう?」
「当然だ。俺にあんな感情は必要ない」
俺はただ殺せればいい。
殺して、世界のためになればいい。
それが、賢者のあるべき姿なのだから。
それが、救世主の姿なのだから。
「よしよし。ならば今から貴様の質問に答えてやろう。今日は気分がいい。なんでも聞くとよい」
「じゃあまず、一つ目だ。俺たちがイゼルを滅ぼした後はどうする? 魔女の国でも建国するのか?」
「ふふ、それもいいだろうが、我々は何をするつもりもない」
「……は!?」
何を言っている?
悪魔を滅ぼして、何もしない?
イゼルを滅ぼせるほどの地位や力があれば、以前よりも巨大な魔女の国……いや、四大国に名を連ねることだって可能だろう。
「我々は、地位を得て、済む場所が確保すればいい」
「ふざけるなっ、それだと平等とは――」
「言えない? ふふ、果たしてそうかな?」
彼女はそう言って妖艶に笑った後、足を組みなおして少し体制を前かがみにする。
「四大国は、それぞれ特出した部分がある。我らがフォルセは金鉱。マクトリアは産業。ぺスウェンは武力。そして、イゼルは知識だ」
「……それがなんだ」
「地位という名の差別を生み出すのは、知識に他ならない。ゆえに今、イゼルからは多くの同胞が奴隷として売り出されている。知識があるからこそ、我らという存在のイレギュラーさに目を付けたのだろう」
「つまり、この今の魔女の立場はすべてイゼルのせいであると?」
「そういうことだ。我々は地位を得たいだけであり、そのためにイゼルを滅ぼす。それだけでしかない。そもそも、世界全土を支配するなど、肉体を持たない我々にはおこがましいとは思わんか?」
「俺は……」
何も言えない。
だが、なんだろうか、この違和感は。
本当に、それだけなのだろうか、という思いが脳裏から離れない。
それに、そう思案している俺の表情を見る彼女の顔から、どこか蛇のような視線を感じた。
「次だ。次は俺の記憶に関する質問をさせてもらう。俺は、ザールやシアンを殺したのか?」
「ああ。貴様は『奴』を殺し、賢者の地位を得た。私がその孤児院を経営していたのだ。貴様を成長させるためにな」
「……まず、何故俺は孤児院にいたんだ?」
そういえば、俺は気が付いたらあの孤児院にいて、日々を過ごして……賢者になった。
だが、まず何故俺達はあの孤児院へと向かったんだ?
記憶は不確かだが、確かに俺達には両親がいたはずだ。
「なるほど。貴様は忘れたのか。クク、いや、無理やり忘れたと言った方が正しいのか?」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。私が貴様の肉親としてふるまうよう手配した男女のことだが……」
「貴様の魔力にあてられ、狂っていったぞ」
彼女は心底愉快そうに目を細め、訳の分からない言葉を発した。
狂った? 俺の魔力で?
何を言っている?
「ああ。貴様はむしろ影響を与える側なのだから、知らなくても無理はないだろう。元々魔力で体が構成されている魔女は、他者の魔力からの影響を受けやすいんだ」
「そうなのか?」
「つまりは、貴様の魔力とその男女の魔力が交わり、魔力のうちの記憶や感覚、感情がその男女の思考に影響を及ぼした、ということだ」
そう言われて、俺の頭の中の靄が晴れていくかのように感じた。
俺は、両親のことを思い出した。思い出してしまった。
あの夜に、別物になってしまった両親のことを。
「だが、なら何故シアンは影響されていないんだ!? 肉体を持つザールならともかく、シアンは……」
「狂っていたとも。彼女もすでに、壊れていた。いや、孤児院にいた者すべてが、狂ってしまっていた。そして、奴も……」
そう言って妖しく笑うと、愛おしそうに片手を俺へと差し出してくる。
「なあ、貴様は今立っている世界が私と同じに見えているか? この壁は白か? それとも黒か? 私は今何と言っている? もしかしたら、暴言かもしれないのだぞ? それに、今こうしている間にも、貴様を殺そうと模索しているのかもしれない者が近くにいるのかもしれない。それに、この現実は、貴様の頭の中の出来事ではないのか?」
「……っ!?」
「なあ、覚えているだろう? この感情を、恐怖を、貴様は誰よりもよく知っているはずだ。『貴様が狂っていないという事実など、存在しない』と」
……彼女の言葉は、よく知っていた。
俺は、孤児院にいる奴は、シアンとザール以外とは話したこともなかったはずだ。
一度、狂ってしまった両親を見て、誰も信じられなくなってしまっていたのだ。
星空を眺め、俺はいつも願っていたことも、思い出した。思い出してしまった。
こんな現実、消えればいい、と。
「だが次第にシアンは、貴様から送られてくる感情を、いつしか『悪』と断定するようになった。不要なものだと、忘れて、次に進まなくてはならないと、忘れ去ろうとした」
「……」
「だが、貴様は捨てきれなかった。その恐怖故に、貴様はシアンとザールを殺した」
「なあラザレス、お前は本当に弱いな」
……その通りだった。
子供のころから、俺は弱かった。
弱くて弱くて、その弱さを排除できない弱さも、俺をさらに弱くしていった。
だから、俺は殺した。
自分を、殺した。
名前を捨て、自身というものを完全に殺した。
「……最後の質問だ。メンティラは、俺たちの敵か?」
「良い質問だ。彼は……」
そう言って彼女はニヤリと笑い、もう一度足を組み替えた。
「我々魔女の敵であり、人類の裏切り者だよ」




