11 答え
雨は降り続いている。
しかし、二人の間は無言だった。
俺の足元には、雨に混ざった血が伸びていた。
「……はあ。この雨じゃ炎も使えねえ。さらに剣も持ってねえお前に、どうやって負けろって言うんだよ」
俺は壁に寄り掛かり座り込んでいるザールを見下ろして、吐き出すように言う。
対するザールは、ただ黙り込んでうつむいていた。
「……チッ。じゃあな、ザール。今度こそあの世に送ってやるよ。あの時はしくじっちまったけどな」
「あの時だと……?」
「あ? なんだよ、覚えてねえのか? 孤児院の時、俺はお前を殺そうとした。シアンと一緒にな。……まあ、しぶとく生き残ってやがったみたいだけどな」
「待て、お前は何を言っている? あの時お前は、私たちを見逃したはずだ」
「……は?」
ザールは嘘をつく性格ではないことはわかっている。
だが、あまりにも俺の記憶とは食い違っている言葉に、引っかかりを感じた。
……だが、もしかしたらこうして会話を引き延ばすこと自体が、奴の目的なのかもしれない。
そう考えると、氷を握る腕に力が入っていくのが分かった。
「もういい。これ以上お前と話すつもりなんかない」
「……ラザレス」
「さよならだ。安心しろ、イゼル国民も、シアンも、何もかもを貴様のところへ送ってやる」
俺は自分の力を込めて、腕を振り上げる。
……だが、振り上げただけで動くことはなかった。
「……またか。いつまでも、いつまでも……っ! つけあがるなァ、ラザレス!」
「……ラザレス、お前は、まさか……」
「俺はお前とは違う! 俺は、お前みたいな、奴がァ、奴がなァ!」
続く言葉が出てこない。
『憎い』。その二文字を言えずに、口を開いたり閉じたりする。
不愉快だ、気持ちも悪い。
「……ザール、覚えておけ。次に会ったら、今度こそ貴様を葬ってやる」
俺は鳴りやまない頭痛を抱えながら、雨の中を走っていった。
しばらく走っただろうか。
既に雨も小雨になり、空も黒く染まっている。
俺は自分の家の扉を押し開け、玄関で倒れた。
「……ハァッ、ハァッ」
俺は腕で目を隠し、そのまま胸を上下させ、酸素を肺に入れる。
既に意識は朦朧としていて、頭痛が鳴りやまない。
そんな時、俺の頭をそっとなでる存在があった。
「おかえり。客人が来ているぞ」
「……ユウ。客人って?」
「ソフィア、って名前の人だ。知っているだろう?」
勿論、知っている。あいつが来てるんだ。なら、着ているであろうことにも。
だが、俺は彼女にどんな顔をすればいい。
俺は奴に、ソフィアを許してほしいと言われた。
だが、具体的には何をすればいいのだ?
殺すな、ということか?
それとも、味方であれ、ということか?
どちらにせよ、両方無理だ。
「……ああ。体を拭いたらすぐに行く。待ってるように言っといてくれ」
「わかった。それよりも、何の用事だったんだ?」
「ああ、いや。俺は賢者の法に入る手続きがまだだったから、ニコライ……さ、まに呼び出された。それだけだ」
……勿論、そんなわけがない。
明後日、俺たちはイゼルへとようやっと歩を進める。
俺の復讐の幕開けの日が、告げられたのだ。
だが、俺はなぜ彼女にその事実を隠した?
「……っ、悪いな。気分が悪いんだ。一人にさせてくれないか」
「わかった。それじゃあ体を拭いて、服を着替えてからくるといい。体、びしょぬれだぞ」
「わかってる。その……」
「ん?」
「……ありがとう」
何故だか、その言葉が言いたくなった。
だが、俺はどうやら器用ではないらしく、耳に熱を籠っていくのが分かる。
それを見て面白く感じたのか、ユウは少し笑うと、どういたしましてと言ってくれた。
俺は体をふき終え服を着替えてると、部屋にノックの音が入ってくる。
……正直なところ、まだ心の準備は出来ていなかった。
だが、避けては通れないことは理解できている。
「入れよ。与太話に付き合ってやる」
「……っ。失礼します」
……やはり、ソフィアだった。
待っててくれと言ったのだが、ユウかリンネがしびれを切らして教えてしまったのだろう。
「……ラザレス、ですよね」
「ご挨拶だな。そんなもん見りゃ分かんだろ? ラザレスだよ」
この体はな、と心の中で付け加える。
「どうして、どうしてここにいるんですか?」
「……ハッ、俺が何を信仰しようとお前には関係ねえだろ。それともなんだ? 俺はイゼルから出ることすらもできねえってのか?」
「ラザレス……?」
今の彼女の様子を見て、ようやく確信した。
彼女は、俺が賢者であるということに気付いていない。
まあ、本当なら俺たちはほとんど初めましてなのだ。無理もないだろう。
……なら、利用するのも手だ。
「……クク。なあ、ソフィア。一緒に賢者の法に入らないか? 一緒に世界を正しく作り直そうぜ?」
「……」
「おい、だんまりかよ。こっちは善意で提案してやってるってのによ。それに、あんなクズどもお前が守る価値があるとでも――」
「――もういいです。もう、喋らないでください」
ソフィアはそう言うといきなり立ち上がり、部屋から出て行ってしまう。
……残念ながら、勧誘は失敗してしまったらしい。
失敗したのに……何故か安堵してしまっている自分がいた。
それに、俺はなぜ彼女が泣いているのに気付けたんだ?
「……チッ」
ベッドに横たわり、体を預ける。
あの時、ザールが言っていた言葉がひっかかる。
俺は、確かに殺した。
奴の死体を、確認もした。
……なら、何故奴らは生きている?
シアンは魔女だ。蘇っても何ら不思議ではない。
だが、ザールは違う。
だが、そもそも何故ザールは生まれたのだ?
俺たち魔女が人間となるのは、聖核を通し器となる人間に自身の核となる魔力が注がれた時だ。
だが、俺たちの世界には人間はいなかった。
となると、ほかの世界とどこかでつながったと考えるのが自然だ。
それに、まだ魔女がこちら側に来れた理由はわからないままだ。
「……扉、か」
今の俺なら、開けるはずだ。
だが、俺たちの世界は滅びた。今開いたとしても、いくら魔女だとしても存在してはいないだろう。
大方、膨大な魔核の一部になっているのがオチだ。
その時、ある人物が脳裏をかすめ取った。
異世界と異世界を移動できる、唯一の人物。
「……メンティラ」
あいつなら、ザールを人間にすることなどたやすいだろう。
だが、何故という疑問も残る。
しかし、彼を疑い始めると、辻褄が通るところもあった。
彼とベテンブルグは、以前親しかったという情報もある。
それに、前の世界では賢者の法のトップにいたダリアと和解していた。
何にせよ、この世界の結末に何かしら関与しようとしていたことは間違いないだろう。
しかし、根本的な『何故』という部分には程遠い。
そんな時、俺のベッドから伸びる影から、一人の男が姿を現した。
「やあ。君からそいつの名前が出るとはね。驚いたよ」
「……ニコライか。雨の中ご苦労様だな」
「雨の日は太陽が隠れていいね。好きなように移動できる」
それよりも、と言いながら彼は椅子に座り、こちらに向き直る。
俺はそんな彼を寝ころんだまま見つめ返した。
「その名前が出たら、そろそろ真実にたどり着くころかなって思ってね。そこで一つ、提案しに来たんだよ」
「……なんだ?」
「そう身構えるもんじゃないよ。君にとっても悪い話じゃないと思うぞ?」
「ついてきなよ。魔核に会わせてあげよう」
彼はそれだけ言うと、返事も待たずに、それじゃと付け足して影の中に溶け込んでいく。
……そもそも、答えなど俺の中ですでに決まっている。
話を聞いて、明後日悪魔を滅ぼす。
それで俺の人生は終わりだ。
……だが、何故なのだろう。まだ、何も終わっていないという思いが、俺の心を波立たせていた。




