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5 幻想

 先ほどまでの喧騒が嘘だったかのように、町は静まり返っていた。

 俺は先ほど寝たためか、妙に寝付けない。

 そのため、ベッドに座り燭台の近くで自身の日記を眺めていた。


 とはいえ、本当にただ眺めているだけで、中身を読む気にはなれなかった。

 ……俺はあいつとは違う。

 感傷に浸るつもりもない。


 そんな時、俺の前に突然何者かが表れる。

 ……いや、俺はそいつの存在をよく知っていた。


「……ニコライ」

「やあ。どういう風の吹き回しだい? 賢者の法に力を貸してくれるとは」

「時計塔。……まさか、知らないわけじゃないよな」

「なるほど。じゃあ今の君は、純粋な賢者様というわけだ」

「ああ。理解してくれるのなら、話は早い」


 俺はそう言って、隣に日記を置く。

 そして、彼のニヤニヤした顔に向き直る。


「じゃあ俺は君を何と呼べばいいのかな? 賢者様」

「それで構わない。ラザレスでも、そっちでも」

「……意外だね。君の妹がつけた名前をそのまま使うとは」

「そうか? ……そうか。そうだな」


 ……ラザレス。

 シアンがつけた、この体の名前。

 だが、持ち主はとうに流産で死んでいる。


 なら、俺のもう片方の人格は一体誰だったのだろう。

 ……今更答えを知ったとして、何になるというのだろうか。


「さて賢者様、君が俺たちの味方になるってことは、悪はそっちだったってことであってるかい?」

「さてな。ただ確実なのは、悪はイゼルの方だ。こちらが善とはいいがたいがな」

「おかしなことを言うね。善の反対は悪、強者の反対は弱者。この世の摂理だろう?」


 自覚があろうとなかろうと、悪魔を守ろうとしている奴らは間違いなく悪だ。

 だが、全人類を滅ぼそうとするこちらも間違いなく悪なのだろう。


 なら、善はどこにある?


「そんで、俺の入会は認めてくれるのか?」

「ああ、歓迎しよう。何だったら明日にでも……」


「魔核に会わせてあげよう」


「随分と簡単に存在を明かすんだな。俺が騙しているという可能性もあるんだろ?」

「ないね。君がラザレスだったとしたら、時計塔の存在なんて知るはずもない。それに……」


「その不愉快な目。まさしく賢者様だ」


 ……本当に、こいつは何を考えているかわからない。

 総てを見通しているかのような物言いが、鼻につく。


「……アンタがラザレスだったらどんなに良かったか」

「何が言いたい?」

「全てを見下して、自身から遠ざけようとする。目的以外はどうだっていい。そんな矮小な本性なら、青臭いラザレスの方が数億倍マシだよ」

「……」


「ハッキリ言って、今の君は吐き気を催すほどに不愉快だ。敵として出会っていたら、どんなに良かっただろう」


「それは、俺に対する宣戦布告か?」

「まさか。俺の主観だよ。何が言いたいかって言うとね……」


 彼はそう言って俺に背中を見せて、地面に溶け込んでいく。


「アンタの背中には、いつも影が潜んでいる、ってことさ」


 それっきり、部屋には静寂が戻る。

 ……ラザレスの方が、マシか。

 ああ。そんなことは俺が一番よくわかっている。

 誰にでも優しく、誰かを守ろうと精いっぱい頑張っていた。

 優しくて泣き虫で……不愉快な、情けない男。


 ……いつかの夢に出てきた気がする。

 一人の少年を家に連れ込み、挙句名前まで勝手に決めた身勝手な子供が。

 放っておけばよかった。

「弱いから死ぬのだ」と。「強い者しか生き残れないのだ」と。


 俺は目を閉じて、ベッドに横になる。

 その夜は本当に、不愉快だった。



 俺は早朝に目が覚め、服装を正して部屋から出る。

 まだ空気は澄んでいて、誰の声も聞こえない。

 空も、まだ淡い紺色に染まっている。


「……寝過ぎたか」


 その言葉の通り、頭痛がする。

 部屋にいても眠れないことは容易にわかるため、階段を下りて、外に出た。

 外は夕方の人通りとは真逆で、誰一人外にいない。

 俺はそんな道の真ん中を歩き、広場にある噴水の近くのベンチに座った。


「……寒いな」


 俺はそれだけ呟いて、着ているコートに手をかける。

 ぺスウェンの丁度南あたりにあるフォルセは、ぺスウェンの気候の影響を受けやすいらしい。

 確か、おろしと言っただろうか?

 逆に、ぺスウェンから最も遠いマクトリアなんかは、比較的温暖だ。


 俺は、目の前の噴水をただ眺め続けた。

 周りに音などなく、目の前の噴水の水の音しか聞こえてこない。


 そんな中、ある男が俺の隣に座ってきた。


「……お前は」

「……よお、覚えてるか。俺のこと」

「覚えてるよ。アルバ」


 俺は噴水を見つめながら、隣にいる男に話しかける。

 ……四年会っていなくても、彼のことを忘れるわけがない。


 しかし、彼はそれきり黙り込んでしまい、沈黙が流れる。

 先に口火を切ったのは、俺だった。


「俺に用があるんだろ?」

「……」

「言わないのなら、言ってやる」


 俺は目の前の男を挑発するかのように、口元をゆがめながら彼の名前を口にした。


「スコット=マーキュアス。俺の父さんの話だろ?」


 その言葉に顔色を変え、アルバは俺の胸ぐらをつかむ。

 俺もそんな彼の手をつかみ、彼の目を見据えた。


「……よくわかってんじゃねえか。なあ!?」

「離せ。まさか、これがお前のしたいことなのか?」

「そうだよ! 俺はずっとこの時を待ってたんだっ! お前をこの手で葬れる、この日を!」

「……よくもまあ、いけしゃあしゃあと喋れたものだ」


 俺は自身の胸元にかかっている手を力づくで引き離し、ため息をつく。

 ……わかっていないのだろうか。本当にこの男は。


「お前は俺に擦り付けたいだけだ。スコットを自身の手で救えなかったという罪を。『復讐』という、歪んだ形で」

「……っ!」

「ああ、一つ聞いていなかったな。お前はあの夜、何をしていた?」

「それは……」

「まさか、偶然通りかかったとでもいうつもりか? マーキュアス家は人里から離れた場所にある。あの場所に用があるのは、相当な馬鹿か……」


「マーキュアス家に用があったか、だ」


 俺の言葉が一つ一つ癪に障るようで、喋るごとに彼の表情が険しくなっていく。

 だが、話を辞めるつもりは毛頭ない。


「六歳の子供が夜通し走ったとしても、距離としてはたかが知れている。大方、スコットに用でもあってマーキュアス家に向かっていたのだろう」

「……うるせえ」

「だが、途中で倒れている俺を見つけ、マーキュアス家の滅亡を知った。だから、せめてスコットの息子である俺を助けようとベテンブルグのところへ向かったんだろう?」

「……黙れ」

「だが、お前は俺の正体を知ってしまった。だから、気付いてしまったんだ」


「お前の罪は、お前ひとりのものではないという幻想に」


 それだけ言うと、アルバは懐から俺にめがけて短剣を向けてくる。

 俺の言葉にお腹立ちのようで、息も荒い。

 本当に、無様という言葉が似合う男だ。


「言っておくが、お前は俺には勝てないよ。お前の知っているラザレスは、もうここにはいない」

「うるせぇっ!」


 念のため忠告しておくが、聞く気はないらしい。

 その言葉とともに彼の体がこちらへ向かってくる。

 咆哮とともに、空間を切り裂く音。

 だが……そんなものなど、俺に届くわけがない。


 俺は彼の足を軽くけると、そのまま地面に倒れこむ。

 そして、とどめを刺そうと氷で短剣を作り、逆手で彼に振り下ろそうとしたときのことだった。


 俺の手が、急に止まった。

 自分でも、何が起きたかわからない。

 だが、何故か誰かに制止されるかのように、俺の腕が動かなくなったのだ。


「……チッ」


 あいつはもういない。

 だから、邪魔をされるわけがない。


 だが、興がそがれたのは事実だ。

 俺は地面に付している男を一瞥した後、自身の家に戻っていった。

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