2 奴隷
あれから数時間がたっただろうか。
俺は誰もいない道を歩き続け、空も橙色に染まっていく頃には、既にフォルセへと差し掛かっていて、その姿を一望できる高台に腰を下ろしていた。
高台から見るフォルセの姿は他の国と変わりなく、様々な人たちが思い思いに暮らしている。
そんな街並みを眺めていると、不意に背後から足音がした。
「……誰だ」
俺は振り向かないまま背中越しに尋ねるが、答えない。
とはいってもさっきは感じられないため、単純に俺のことが気になって様子を見に来たようだ。
そのため、特に警戒すべきとは思わず、そのまま街並みを眺めていると、その存在から声をかけられた。
「……お兄さん、は?」
たどたどしい少女の声からは、俺の世界の言語が発せられた。
俺は振り向かないまま、彼女の質問に答える。
「……賢者、といえばわかるか?」
「けんじゃ……?」
……どうやら、分からないらしい。
とはいえ、説明する気も起きない。
「まあ、名前みたいなもんだ」
「ふうん……。それで、ここで何してるの?」
「……さあ。どうしようか決めかねてたところだ」
……実際、ここまで来てどうすればいいかわからない、というのが今の現状だった。
俺は一度、賢者の方と敵対している。
そのため、流石に簡単に受け入れられるとは思っていない。
だからこそ、今後のことを決めかねていた。
そんな時、その少女が俺の隣に座った。
その時目に映った少女の表情は、とてもあどけなくて、着ている服もすり切れた布一枚という、みすぼらしい姿をしていたため、彼女がどのような存在かはすぐにわかった。
……奴隷、だったのだろう。
「……何の用だ?」
「あ……えと、何してるのかなって、その、聞きに来ただけ、です」
「そうか。随分と短慮なんだな」
「……たんりょ?」
もし俺が奴隷商人か何かなら、彼女は今きっとほかの商品に陳列されているだろう。
まだ幼い少女なのだ。使い道は嫌というほど思い浮かぶ。
そんな時、あどけない少女の声とは対照的に、どこか芯の通った力強い女性の声が背後から聞こえた。
「こら、『カレン』。勝手に一人で外に出ちゃ駄目って言ったばかりじゃないか!」
「あ! その、ごめんなさい。ご主人様……」
「ご主人様じゃなくてだな……。ああ、すまない。旅の人か? この子が迷惑をかけなかっただろうか?」
「別に構わない。それより、その子の服を見繕ってあげたらどうだ? それじゃあろくでもない奴らに狙われる」
俺はそう答えながら振り向くと、そこには普段の鎧とは違い、ワンピースのような服を着た『ユウ』がそこに立っていた。
そのため、一瞬彼女に対し警戒してしまうが、今は彼女と敵対関係を取っていないことを思い出し、肩の力を抜く。
「その通りだ。忠告ありがとう」
「……別に。礼を言われるほどのことは言っていない」
「フフッ、そうか。それより、この国に何か用か? 夜は城門がしまる。用があるならそろそろ行かないと、ここで野宿することになるぞ?」
彼女はそう言って、足元に抱き着いているカレンを抱き上げ、空いている手でフォルセを指さす。
俺は彼女の言う通りだと思い、立ち上がって砂を掃った。
「そうだな。……といっても、用がある人物に会えるか微妙だが」
「そうなのか? その人物について、教えてくれないか? もしかしたら、ツテがあるかもしれない」
「ニコライ。賢者の法の枢機卿に話が会ってきた」
「……枢機卿に話が? ということは、入会希望者ということか?」
「まあ、そうなる」
俺の返答に、顔を輝かせるユウ。
……こんな表情もできたんだな、と少し感慨深い気持ちになった。
「そうか! それなら大歓迎だ! 実は私も一員なんだ。よろしく頼む!」
「……ああ」
知ってる、と口を滑らしそうになるが、なんとか抑えた。
そんな中、彼女は空いている手をこちらに差し出した。
「何のつもりだ?」
「何って、握手だ。ともに平等を目指す仲間なのだから」
「……ああ、なるほど」
……平等、か。
そんなもの、毛ほども興味はない。
だが、今ここでそのことを打ち明けても、何の得にもなりはしないだろう。
俺は右手で彼女の手を取り、力強く握手した。
「これで私たちは仲間だ! 私はユウ。良ければ、名前を教えてくれないか?」
……ああ、そういえば俺はどう名乗ればいいのだろう。
今更、賢者のころの名前を名乗るつもりもない。
なら、もうしばらくこの名前を借りるとしよう。
「ラザレス。ラザレス=マーキュアスだ」
「そうか! では、よろしく頼むぞ! ラザレス!」
そう言って無邪気に笑う彼女に対し、少しだけ胸の奥が痛く感じた。
……これは何なのだろう。罪悪感? 妹も友も殺した俺が、今更抱くというのか?
馬鹿馬鹿しい。こんな感情、今更何の意味もないというのに。
「さて、ラザレス。これから時間はあるか? 宿は取っているか?」
「時間はある。宿は……その時に探す」
「なら、私の家に来るといい! 一人同居人もいるが、話せばわかってくれる!」
……素性もわからない男を泊める理由は何なのだろう?
優しさ、というものか? それとも、ただのバカなのか?
だが、その厚意を無碍にするつもりはない。
「……申し訳ない。厄介になってもいいか?」
「もちろんだ! 我々は総て平等の立場にいる。いわば家族なのだからな!」
……家族、か。
その言葉が、今日は妙に気になった。
だが、そんな俺の気持ちに気付くわけもなく、ユウはどんどんフォルセへ向かっていく。
俺もそんな彼女について行くと、急に木の影から何者かに話しかけられた。
「……アンタ、一瞬ユウに殺意を向けたよな?」
「……」
「気のせいかと思ってみていたが、アンタのその態度は、何か引っかかるものがある」
「……気のせいだろう」
「ハッ、ユウを騙せても、オレを騙せると思うなよ」
「騙す、か。もし俺の素性が気になるのなら、今日ニコライとともに俺の話を聞けばいい」
「それだけのことだ、リンネ」
俺が彼女の名前を呼ぶと、小さく舌打ちして、そのまま木に寄り掛かって黙り込んだ。
……今日俺は、ニコライにすべてを話すつもりだ。
そうして、彼の下で復讐を果たす。
そのためには、今は彼らの力を借りなくてはならない。
その後は……わからない。
だが、その後のことを考えるよりも、まずは――。
シアンと、決着をつけなくてはならない。
そうして、俺の旅は終局を迎える。
復讐を果たし、シアンと決着をつける。
このためだけに、俺はこの世界に戻ってきた。
ラザレスには悪いが、今は俺の目的だけを果たさせてもらう。
だが……最後に、あいつが言っていた言葉が妙に引っかかる。
『ソフィアを許してほしい』、か。
あいつはなぜ、あそこまであの女に肩入れしたのだろうか。
それが、愛というものなのだろうか?
……どちらにせよ、俺にはもう関係ない。
奴は死んだ。そして俺も、もうじき死ぬ。
だから……。
その先に続く言葉が、俺にはどうしても思い浮かばなかった。