13 街
あれから数年がたった。
俺も八歳になり、ソフィアもベテンブルグ曰く十歳になったらしい。
俺もソフィアも、ベテンブルグから学問を教わり、元々要領のいいソフィアは、難しい計算でも時間をかけてなら解けるようになった。
剣術のほうも正直言うと俺より才能にあふれていて、すぐにでも抜かされてしまいそうだった。
でも、そんな彼女を見てて、正直楽しかったんだと思う。俺の技術が人の役に立てるのなら、こんなに嬉しいことはなかった。
俺は夜空を仰ぎ、首元のペンダントに触れる。
スコットやシアンを亡くしてから二年が経ったのだ。
俺はその間、二人を思って泣きそうにならなかった夜はない。
だけど、そのことは誰にも知られたくなかった。
そんな夜が明けたある日の朝、俺とソフィアはベテンブルグに呼び出された。
「君たちには町で買い物をしてきてほしい」
あまりにも唐突な言葉だった。
俺の家……マーキュアス家は人里離れたところに位置している。
だから、俺はまだ他人と出会ったことがないのだ。
「ベテンブルグさん、それは私もですか?」
「勿論だとも。小遣いを渡すから、好きなものを買うといい」
「……でも、私は」
「わかっている。でも、ラザレス君も一緒に行くんだ。安心してくれたまえ」
……何の話をしているのだろう?
話の内容を聞くに、彼女には特別な理由があって人前に出たくないということだろうか?
「ラザレス君と一緒が嫌かな?」
「そういうことじゃないんです! でも……」
ベテンブルグの質問に、真っ先に否定してくれたソフィア。
正直なところかなり嬉しかった。
剣術を教えている間も、俺のほうを睨んできていて、今の今まで嫌われていると思っていたからだ。
学問の時間になると口を開いて質問してくれるため、ある程度はリラックスできるのだが、慣れない剣術では緊張やらなにやらで背中にいつも汗をかいているほどだ。
「ベテンブルグさん。彼女が行きたくないというのなら、無理に連れ出す必要はないのでは?」
「困ったことに、あるのだよ。私は数年間君を甘やかせすぎた。その年まで他人を見たことがないのは、何がなんでも異常だろう?」
残念ながら、一理ある。
こうして、俺の助け舟はベテンブルグによって沈没させられてしまった。
それで今、俺達はベテンブルグ領内から少し離れた場所にある、小さな町に来ていた。
床には石畳に、石造りの家。そして、所々から鼻をくすぐる香ばしいパンの匂い。
活気もあり、商売文句が飛び交うこの雰囲気が、俺は好きだった。
前世の趣味と言えば、せいぜい旅行くらいしかなかったため、ちょっとだけ懐かしい気持ちになる。
「……うぅ」
それと反対に、何故かソフィアは人混みを避けて歩いていく。
どこか、彼女の中に他人へのトラウマが眠っているのだろうか?
「ソフィア。大丈夫か?」
「……ごめんなさい、ちょっと体調すぐれないみたいです」
「初めての人盛りだもんな。無理もないよ」
「……ラザレスは初めてじゃないんですか?」
「え? 俺は、その……。まあ、初めてじゃないかな」
俺の中ではね、と心の中で付け足す。
ソフィアはそんな俺を少し見た後、少し開けた場所にあるベンチに腰を下ろした。
「ソフィアはさ、何か買いたいものはないの?」
「特にないです」
一問一答形式で会話が終了してしまう。
ベテンブルグ曰く、ソフィアに好きなものでも買ってあげなさいと耳打ちされたためそう聞いたのだ。
だが、結果は遠慮なのか無欲なのか、教えてはくれなかった。
「あのさ、ソフィアって好きな食べ物とかないの?」
「嫌いなものはないですが、際立って好きなものもありません」
会話が広がらない。
だが、もうこの居心地の悪さにはなれたものだった。
口笛を吹きながら渡された金貨でコインロールをしていると、不意にソフィアが話しかけてきた。
「……ごめんなさい。私じゃ楽しくありませんよね」
「ソフィアってさ、やっぱり俺のこと信用できない?」
「そんなことは、ない、ですけど……」
言葉に連れて語尾が小さくなっていってしまう。
何故八歳の子供相手に遠慮してしまうのだろうか。
……なんて、そんな俺も人のことは言えないだろう。
だって、誰も信用できずに前の世界のことをいまだ話せていないのだ。
俺のことを魔女だと知っているベテンブルグにさえも、だ。
話セル訳ガナイ。
ダッテ、ソレハジブンガ罪人ダト告白スルヨウナモノナノダカラ。
「……人を信頼するのって、難しいよな」
「え?」
「ごめん、何でもないんだ。忘れて」
俺はコインロールをいいところで区切り、ポケットの中に入れると、なにやらソフィアが手を出してきた。
「……金貨、貸してください」
「え? ああ、いいけど」
「さっきのコインをくるくるする奴、教えてくれませんか?」
ソフィアは顔を真っ赤にしながら、コインロールのやり方を聞いてくる。
……気を使わせてしまったのだろう。こんなまだ年端もいかない少女に。
俺はそんなことを申し訳なく思って口を開くと同時に、誰かのお腹から、可愛らしい音が鳴った。
音のする方向には、一問一答の少女、ソフィアが、耳たぶまで赤く染めて、蚊の鳴くような声で呟いた。
「……もうやだ」
その少女の姿は、いつもどこか寡黙な少女の姿ではなく、かわいらしいどこにでもいそうな少女だった。
「昼ごはん、何食べる?」
「……パン。ハムと野菜とチーズが挟まってるやつ」
「サンドイッチのこと?」
少女は俯きながら小さくうなずく。
目も合わせないことから、相当彼女からしたら恥ずかしい出来事だったのだろう。
よく考えれば、十歳の少女が年下の子供に気を使われてしまっているのだ。恥ずかしいのも当然だろう。
「……大丈夫、立てる?」
「……うるさいです」
少女は肘で俺の脇腹を小突く。
軽くやっているつもりなのだろうが、痛いのでやめてほしかった。