1 違う道
……静かな冷気に包まれ、目が覚める。
周りにはインクの匂いと、本の古臭い匂いに包まれている。
俺は右手をついて、起き上がり、ここが自分の家であることを認識した。
立ち上がり、鏡の前に立つ。
目の前には銀髪の青年、ラザレスがたっている。
俺はその鏡を、思い切り殴りつけた。
景気の良い音とともに、鏡が割れる。
そして、右手からは刺さった鏡の破片により、出血するが、同時に魔法による治癒力でまるで何事もなかったかのようにふさがる。
そして、ため息のように言葉を吐いた。
「……俺は、お前とは違う道を選ぶ」
そう、選ばなくてはならない。
……たとえ、それが俺を何者にしようとも。
俺は普段着に着替え、朝食であるパンにかじりつきながら本を読み漁っていた。
伝承について書かれた本や、人々の暮らしの変化など、必要な情報なのかそうではないのかよくわからない本ばかりだ。
それに、この本はある点については全く触れていない。
『魔核』についてだ。
魔核は元々この世界の魔力の結晶体で、強大すぎる力が故に異世界へと封印されていた。
それが時を経て自我を生み俺たちを生み出した。
だが、どの本を読んでも魔核の二文字さえ出てこない。
魔女がこの世界にいきなり現れ人々に仇をなした。
それを勇者が止めた。
どれも、似たような内容ばかりで、辟易してしまう。
それも、この本が置いてあるのがイゼルだというのが質が悪い。
それに、魔女の存在そのものを悪魔と置き換えようとしている。
そうまでして、俺たちの存在を隠したいのだろうか?
「……いや、違うな」
奴らは隠そうとしているのではない。
元々なかったことにしたい。
我々こそが純粋無垢な存在で、魔女こそが悪そのものだと、自身やこれからの世代に言い聞かせているのだ。
……真実を知った後では、見方も変わってくる。
ある者は正体も知らず悪魔を守護しようとし、ある者は平等を唱え世界から人を滅亡させようとする。
考えれば考えるほど、人の理想などと言うものは度し難いものだ。
……だが、両方のシナリオの終わりは同じだ。
この世界が終わる。
別に、俺はそれでもかまわない。
もう死んだ身だ。生者の世界に執着などない。
……だが。
「最後に、話を聞くとしよう」
俺はその言葉とともに扉を見つめる。
しばらくして、扉が開き、ザールと鉄仮面をかぶったレンが姿を現した。
「邪魔するぞ、ラザレス」
「上がれ。大事な話がある」
「……?」
俺の様子に若干違和感を抱いたのか、眉間にしわを寄せるザール。
そんな彼の様子に興味はないため、そのまま椅子をすすめる。
「悪いな。俺から話させてもらうぞ」
「……ああ、別に構わない」
「一度だけ聞く。俺とともにイゼルを滅ぼせ」
静かな空間に、息をのむ音が響く。
流石のザールも、俺の言葉は予想外だったようだ。
だが、これで話を途切れさせる気はない。
「奴らこそが『悪魔』。行き過ぎた魔核が生み出した存在にならない」
「……その言葉は真ととらえよう。だが、イゼル国民全員がそうだと思っているのか?」
「どういう意味だ?」
「もしイゼルの起源となった人物が悪魔で、今も生きながらえてるとしよう。だが、この長い年月の際、イゼルへ何万人もの移住者が来たという記録がある」
「……」
「たった数十体の悪魔を殺すために、数十万の国民を死に至らしめろ、と?」
「……ハッ」
思わず、笑ってしまう。
その笑いの意義が彼には理解できなかったらしく、俺を睨む目がさらに険しくなる。
そして、より一層隣にいる彼の落ち着きがなくなっていく。
それもそうだ。目の前で彼からしたらとてつもない会話が繰り広げられているのだから。
「悪いな。お前の応答があまりに予想通りだったからな」
「……」
「お前は今、『たった数十体』と言ったな?」
「俺は一度も悪魔の数には触れていない。……さあザール、どうしてお前は奴らの存在について知っていたか教えてもらおうか?」
俺の言葉が途切れるとともに、沈黙が訪れる。
そして、しばらくした後に、彼は静かに答えた。
「城の奥底にはこんな伝承があった。悪魔の正体について赤裸々に書かれ、そして……自身の力を封印するという旨の言葉が添えられていた」
「……それで?」
「魔核さえなければ我々の力が解放されることはない、ともな。つまり、ラザレス。貴様が悪魔という戯言について思案する必要はないということだ。魔核はすでに……」
「あれは壊れねえよ。聖核で中和しない限りな」
「……どういうことだ?」
「魔女も、賢者の方も滅びてないってことだ。そろそろ姿をあらわすだろうな」
「俺の加入をきっかけに」
俺はそれだけ言うと、椅子から立ち上がる。
その瞬間、背後から首元に冷たいものが当たった。
「……どういうつもりだ?」
「裏切るつもりか。私を、メンティラさんを……そして、ソフィアを!」
「裏切る? それは俺がラザレスだったら、だろ?」
俺は振り返り、彼の大剣に一歩近づく。
その際に俺の首から伝うように血は出るが、気にするつもりはない。
「俺の眼を見ろよ、ザール。俺が誰だか本気でわからないわけじゃないだろ?」
彼は睨みつけながらも、慎重に俺の眼を覗く。
……同時に、俺にも聞こえるくらいの音量で舌打ちをした。
「何故、貴様がここにいるっ!?」
「俺はずっとここにいたよ。逆だ。俺じゃなくて、ラザレスが消えたんだ」
「……どういう、ことだ?」
「悪いが、説明するにも時間がいる。そのために時間を割くつもりはないんだ」
「だから、さっさと俺の質問に答えろよ、ザール」
しばらくして、彼は考え込むように顔を伏せる。
……だが。
俺の喉元にある大剣は一切下がらず、むしろ俺に突き付けられた。
「これが私の答えだ」
「……へえ? 誰が餓死寸前のお前にパンを与えたと思ってるんだ?」
「さあな。だが、確実に今のお前ではない。人の死を何とも思っていないお前は違う」
……人に死を何とも思っていない、か。
ああ。そうだ。その通りだ。
だからこそ、俺は復讐を果たす。
悪魔に、イゼルに、運命に。
そのために、俺の力はある。
俺は大剣をそっと触ると同時に、氷漬けにする。
「……手加減するつもりはない」
そしてそのまま、両腕でその氷を押しつぶすように割った。
周りには大剣であったものの破片が雪のように舞い散っている。
その瞬間、そんな空間を貫くように、赤い炎が俺の眼前に広がった。
俺はその炎を軽く避けたつもりが、頬に少しだけ掠めてしまう。
「……チッ」
「こちらも、手加減するつもりはない。裏切り者に対する慈悲など、持ち合わせる余裕はないのでな」
「裏切り者はどっちだろうな?」
「さあな」
「……レン、逃げろ。こいつはお前の適う相手じゃない」
「でも、隊長……っ!」
「悪いが、お前を守って戦える自信がないと言っている」
その言葉に弾かれるように、レンは仮面を脱ぎ捨てて逃げ出す。
俺はそんな彼に氷柱を飛ばすが、ザールがその氷柱を蹴り飛ばし、思わぬ方向に突き刺さってしまった。
「……さて、ザール。悪いが俺はお前と無益な戦いをするつもりはない」
「私は別に構わない」
「まあそう言うな。もうこの戦いも、終わりに近づいてきてんだからよ」
俺は指を鳴らすと、本棚に突き刺さっていた氷柱が炎に変わり、乾燥しきった本を火種に燃え始める。
そのまま俺は炎に身を隠し、そのまま家から立ち去った。
その瞬間、後ろからこの体の名前を呼ぶ声がした。
『ラザレス』と。
俺はそんな声に対し、皮肉な笑みを浮かべるしかなかった。
誰に対しての笑みかもわからないまま。