124 一縷の光
あの後、動かなくなったベテンブルグを置いて、急いで家から出る。
途中、既にシルヴィアが止まったことで先ほどのゴーレムたちはすべて動きが止まり、シャルロットやスコットも物言わぬ死体に戻っていた。
そして、外に出るとまず目に入ったのは、黒く巨大な、中心に目がある太陽のようなものと、それを取り囲むような紫色の空だった。
「……なんだ、あれ」
思っていたことが呟かれる。
その眼からは何か黒い液体のようなものが零れ落ちて、地面に落ちていく。
常軌を逸した光景だった。
少なくとも、俺の脳では理解できないほどに。
そして、次に目に入ったのは、目を開けて倒れているレンの姿だった。
「……レン、くん?」
俺は彼によろよろと近付き、体に触れる。
しかし、彼の体はピクリとも動かず、体温も感じられない。
どちらかというと、彼の姿は死体というよりも、糸の切れた人形のような印象を受ける。
しばらくして、彼が死んでいることに気付いた。
「……え?」
ただ、呟く。
その言葉に、意味などない。
だが、その言葉以上に、この世界の状態を表すことはできない。
しばらくして、後ろにいた者たちが声を上げる。
「なんだ、あれ……」
「あれが、悪魔……?」
俺は顔を上げて、彼らの指さしている方向を見る。
そこには、真っ黒な人型の巨人が数十体、世界を闊歩していた。
人型と表現したものの、彼らに顔らしきものはなく、首から上のない人間のような何かを形どっている。
そして、同時に悟った。
『彼らには勝てない』、と。
背後からは、泣き叫ぶ声や、全て諦めたのか笑う声もあった。
中には、神に許しを請う者や、自身を殺すもの。
反応は様々だった。
そんな時、俺の体に影がかかった。
「――あ」
そこには、木ほどの大きさの悪魔がたっていた。
悪魔はただこちらへ歩いてきて、触れたものをレンと同じ物言わぬ死体に変えてしまう。
俺はそんな彼に、恐怖してしまっていた。
そんな時、俺を庇うように押しのける者がいた。
「……ニコ、ライ?」
「悪いね、地獄には先に行かせてもらうよ。君は……まあ、最後の希望というわけだ」
同時に、彼の体が悪魔に飲み込まれる。
彼は最後に諦めたかのような……それでも、何かにすがるかのような目で俺を見て、悪魔に飲み込まれた。
悪魔はそんな彼を見もせずに、ただその場所をさまよい続ける。
そして、俺はこの状況にようやく理解が追いついた。
今の状況に対し、俺たちができることなど……。
「何もない、のか……?」
俺はそう言って、膝から崩れ落ちる。
その瞬間、揺れでソフィアが目を覚ました。
「……え? ラザレス?」
「ごめん、ソフィア。本当にごめん」
「え? 何がですか? 何のこと――」
彼女は俺に問うが、俺に聞くよりも先に、あの太陽が答えてくれた。
……この世界は、守れなかったのだと。
「……え? 嘘、ですよね? これは、夢ですよね?」
「……ごめん」
「ラザレス、これは、一体……?」
彼女は状況を確認すべく、周りを見渡す。
しかし、周りにいる者たちは彼女の不安をあおるばかりで、この状況についてより一層説明してしまう。
「でも、でも、私が勇者なら、悪魔だって……」
「……落ち着いて、聞いてほしい」
「…………何ですか?」
「君は、勇者じゃない」
端的に、そして、とらえる方としては冷淡に、事実だけを述べる。
その事実に、彼女は力なくかぶりをふり、唯一ともいえる抵抗をする。
「え、嘘。嘘ですよね。私は、勇者で、それで……」
「……違うんだ。君の魔法は、全てその聖核の力によるものだったんだ」
「……意味が、分かりません。どういう事ですか?」
彼女は必死に事実から目をそらそうとする。
だが、その事実から目をそらしたいのは、彼女だけではなかった。
「そうだ、イゼルの人たちを助けないと! 来てくださいラザレス、確かこっちに避難させていて……」
「……っ! 待って、そっちは……!」
俺は必死に彼女の手を取ろうと腕を伸ばすが、既に遅かった。
彼女が向かった方向の先には、数十匹の悪魔が、徘徊していた。
言葉にせずとも、これで彼女も悪魔の正体が分かった。
分かってしまったのだ。
数十体の悪魔。
そして、足元には死体も何もない。
楽観的にとらえれば逃げたということなのだが、悲しいことにソフィアはそこまで頭は悪くなかった。
……だから、気付いてしまったのだ。
「……あ」
「ソフィア……!」
俺はとっさに彼女の眼を隠す。
だが、その行為までが遅すぎた様で、彼女は必死に声を抑え、小刻みに震えていた。
今にも、壊れそうなほどに。
「ソフィア、大丈夫だから、ソフィア……!」
「嫌、嫌です! なんで、なんでっ……!?」
そう言って、俺の胸で泣き始める。
俺はそんな彼女を抱え、ただ走り出す。
……そんな時、フェレスが俺の服の裾を引っ張った。
「フェレス……!?」
「……コートのポケット。お姉さんからもらった手紙が入っている」
「お姉さん……!? それは……っ!?」
誰のことかわからない。
だけど、今この場で頼るのは、その紙しかないのかもしれない。
俺は言われた通りコートを探る。
ポケットの中には、奇麗に四つ折りにされた紙が出てきた。
その中にはきれいな字で、こう書かれていた。
『フォルセの時計塔へ来い』と。
誰の字なのかはわからない。
見たことのない字だった。
だけど……もう、それにすがるしかない。
「……フォルセへ行こう。ソフィア、フェレス」
「フォルセで、何をする気ですか?」
「……わからない。でも、もしかしたら何かできることがあるかもしれない」
「でも、それでもだめだったら……!」
「大丈夫。俺がソフィアを助けるから」
……そうだ、俺はソフィアが好きだ。
だからこそ、死なせたくない。
俺に人間としての感情を抱かせてくれた恩人を、みすみす死なせるわけにはいかない。
死んでこの世界が救われるのならそうしよう。
……もし、この世界が救われたときに俺の居場所がなくても、きっとそうすれば……俺も……。
綺麗な足跡を、残せるだろう。
俺はソフィアの手を取って、走り出す。
……だが、途中で振り向くと、そこにフェレスの姿はなかった。
同時に、声が聞こえた気がした。
「また会いましょう、ラザレス」と。
意味が分からなかった。
ここで彼女が分かれる意味が、分からなかった。
でも、もう立ち止まれない。
今は、一刻も早くフォルセへ向かわなくてはならない。
根拠はないが、そう感じていた。