122 絶叫
俺は、あの場所から歩き続け、深い森の奥へと入っていく。
そして、しばらくした後に開けた場所に出た。
その開けた場所は森の中よりも湿度が低く、太陽が出ているのならきっと過ごしやすい場所だったのだろう。
だが、生憎空に太陽は出ておらず、生憎の曇り空だった。
「……覚えてる」
俺はなだらかな斜面を登り、木の下に腰を下ろす。
そこからは、一面の草原が一望できた。
草木は風に揺れ、落ち着いた音を奏でる。
ここは、俺が初めて外に出た場所だ。
隣には、誰もいない。
シアンも、スコットも。
ただ俺一人、木の下で座っていた。
静かな時間が流れる。
今思えば、こうした落ち着いた時間も久しぶりだ。
あの時とは、もう何もかも違っている。
そんなことは、痛いほどに自覚してた。
俺は、自身の家を見上げる。
時間が止まったかのように、何も変わっていない家。
だが、全てを知ってしまった俺にとって、その家は大きく違っているように見えた。
……何が、いけなかったんだろう。
俺は、今の今まで必死に生きてきた。
「答えてよ。教えて、くれよっ……!」
必死に、すがるように、空に聞く。
親に憎まれ、同時に妹にも憎まれた。
そして、俺のことを理解してくれていた友も、もういない。
嫌だった。
一人になんてなりたくなかった。
でも、最初から俺は一人だったんだ。
一人だということを理解するのが怖くて、目をそらし続けていただけだったんだ。
生まれながらにして、全てを失っていた。
今俺の手にある記憶ですがれるものは、たった一つだった。
それは、シアンやスコットではない、俺の親だった人達。
賢者となる前の俺の、たった二人の親。
「あ、あ……」
助けて。
助けてよ、父さん。母さん。
もう、いやだよ。
誰かを殺したくなんかない。
誰かと戦いたくなんてない。
「ああああああああああ!!」
一人の男の、絶叫がこだまする。
気が付くと、周りには雨が降り始めていた。
「俺だって、俺だって……っ!」
……答えは返ってこない。
「ああ……あああ……あああああっ!」
それは、ずっと隠していた『人間』の思い。
アリスだって、アルバだって、本当は殺したくなかった。
ただ、認めてほしかっただけなんだ。
俺達は、同じ人間で、仲間だって、認めてほしかった。
本当は、赦されたかった。
赦したかった。
肩にあたる雨粒が、そのまま服を濡らしていく。
寒い。
寒くて、かじかんで、涙を止める手すら動かせない。
本当は、ただみんなと笑って、誰かと恋に落ちて、そういった普通の人生を送りたかったんだ。
ここなら、失ったものを取り返せるって、信じていた。
ここなら……きっと、俺も赦されるのだろうと信じていた。
でも、ただただ現実だけが、俺の背中に爪を立てる。
痛い。
痛くて寒くて、もうどうしたらいいのかわからない。
それから俺は、ただ肩を震わせ、泣き続けた。
そんな時、俺の肩に何かがそっとかけられた。
「……フェレス」
彼女は何も言わず、ただ隣に座る。
……恥ずかしいところを見られたと思い、必死に涙を拭う。
が、その手は彼女に抑えられる。
「泣いててもいい。私も、泣くことくらいある」
「……」
「私にはあなたが泣いている理由はわからない。でも、ただそっと近くにいることくらいなら、できる」
彼女はそう言って、ただ空を眺める。
灰色とも白ともつかぬ、寂寞の空。
「……少しだけ」
「え?」
「少しだけ、独り言に付き合ってほしい」
「……うん」
「昔、俺にはしっかり者の妹と両親がいた。元々だらしがない俺に対して、いつも叱ってくれた。それで、それで……ずっと俺の、将来を案じて、応援してくれていた」
「……」
「でも、両親は殺され、俺は彼女を裏切り、殺した。殺そうとした。自身が生き残るために」
彼女はただ黙って空を見つめる。
まるで、話している人が俺じゃなく、そこにいるかのように。
「それで、紆余曲折あって……彼女と再会した。それで、案の定彼女は俺に対して激しい憎悪を抱いていた。今にも殺されそうなほどに」
「……そう」
「でも、俺はまだ生きている。本当なら、殺されてもおかしくないのに。殺されて……当然なのに」
「それで、どうすればいいのかわからなくなった。もしかしたら、これが彼女の復讐なのかもしれない。でも……」
俺は肩にかけられた自身のコートを、ぎゅっと力強く握った。
「俺は……心の中にあるあの風景に、戻りたかった。今度こそ、うまくやれるって、何度も、何度も……!」
「……そうなの」
「でも、俺は変わらなかった。変われなかった。気が付いたら……また、賢者になっていた」
「無理だったんだ。俺は、俺の力から逃れられない。俺のしたこと、過ちを、すべて逃げて生きることなんてできやしない」
「……きっと、救われる場所なんてなかった。そんなこと、俺がよく知っていた。知っていたのに……!」
気が付くと、コートを握る腕が、また震えていた。
そして、さらに雨は強くなっていく。
「……それで、俺はしだいに、賢者になって……人ではない何かに、なろうとしていた。なりきっていた」
「……どうして?」
「……『どうして』か」
「……」
……単純なことで、聞く人が聞いたら馬鹿にされるだろう。
でも、このことは俺にとってすべてで……。
「そう、だな……」
「もしかしたら……」
「誰かを救える存在に、なれるかもって……」
……やっと吐き出せた、俺の思い。
そして、同時に俺の肩を抱く暖かい感触。
「……なんで」
「……」
「なんで、なんでっ……!」
「ああああああああああっ!」
再び響く、男の絶叫。
それは、数十年貯めてきた思いがこもっていた。
しばらく泣いて、もう涙は止まっていた。
随分長く続いていた雨も小雨となり、雲の切れ間から太陽が顔をのぞかせていた。
「……行こう」
俺は自身の涙を拭い、立ち上がる。
まだ、気持ちの整理がついたわけではない。
でも……ここで逃げたら、また同じことの繰り返しだから。
『逃げなかったのなら』、と後悔するのはもう嫌だから。
俺は自身の家の門を開け、中に入る。
中は十数年放置されていた割には綺麗で、記憶そのままの形を維持していた。
だが、玄関先にある机とソファーには、シャルロット……正確には、シルヴィアが座っていた。
「……待ってました。既にソフィアたちも到着していますよ」
「……いつまでその小芝居を続けるつもりだ、シルヴィア」
「ふうん、気付いてたの。その様子だと、シャルロットに会ったみたいね」
俺は自身の腕の先に、氷の刃を作る。
そして、自身の体を張って、フェレスを庇うように立ちはだかる。
「あら、死者もいるのね?」
「……フェレスだ。彼女の名前は、フェレス」
「名前、ね」
「もうそんなもの、意味ないのに」
彼女はクスと笑うと、そのまま館の奥へと入っていく。
俺はそんな彼女を追いかけるために走るが、それもどこからか湧いてきたゴーレムたちにふさがれる。
そんな時……。
「……ここは僕の家だ。僕とラザレス、そして僕たちの許可のないものは、立ち去ってもらおうか」
その声とともに、俺の前に立っていたゴーレムたちが、一振りで両断されていく。
見ると、そこにはスコットと、シャルロットが立っていた。
「行ってください。今この場において、あいつを止められるのはラザレスだけです!」
「頼む、ラザレス! こいつらは僕たちでどうにかする!」
「わかった!」
俺はそんな彼らにうなずき、フェレスの手を取って続くように奥へと入っていった。




