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120 覚醒

 スコットは傷を負ったシアンを抱きかかえ、ベッドに運ぶ。

 俺はそんな彼女に治癒魔法をかけようとしたが、そうする前に彼女が自身にそうしていた。


 その間、部屋は異質なまでに静かだった。


 ……イゼル国民が、悪魔。

 そして、俺達がベテンブルグだと思っていたものは、その死体でしかなかった。

 色々なことが整理できず、苛立ちが抑えきれない。


 一体俺たちがしてきたことはなんだったのだろう。

 正しいと信じ、俺は彼らを守ってきた。

 だが、それはすべて無駄だった。


「……父さん」

「……なんだい?」

「父さんは、イゼル国民の正体も、ベテンブルグがどういった存在なのかも、わかってたの?」

「……ベテンブルグの方は、当時は知らなかった。イゼルの方は、いつか話さなければと思っていたんだ」

「父さんは、自分でイゼル国民を滅ぼそうとは考えなかったの?」

「……」

「なあ!」


「……僕には、出来なかった」


 スコットは気まずそうに目をそらす。

 そんな彼の態度に、半ば八つ当たり気味の怒りが腹の底から湧き上がってきた。


「……クソッ!」


 俺は言葉を吐き捨てながら、思い切り水晶に映る自分の姿を殴りつける。

 だが、その水晶は固く、ひびが入ることさえない。


「……僕は、イゼルの人たちを知ってしまった。彼らの温かい雰囲気に触れて、彼らが『人間』そのものだと理解してしまったんだ」

「……」

「…………ごめん、言い訳みたいだね」


 彼はそう言って目を伏せる。

 俺はそんな彼をそれ以上責める気にはなれず、気まずくなり目をそらした。


 俺はしばらくした後、フェレスの手を放し、身をひるがえして退出する。

 それを呼び止める声はなかった。

 フェレスでさえも、制止の声を上げなかった。


「……ソフィア」


 俺は自身の左手で拳を作り、それを見つめる。

 まだ、終わったわけじゃない。

 ……だけど、俺にはどうすればいいかわからない。


 一歩ずつ、自身の体が前進していく。

 意思とは関係なく、自分の体が吸い寄せられるように。

 何をすればいいのか、わからないまま。




 しばらくして、マクトリアの城下町に出る。

 世界が滅びかけているというのに、町はいつも通り回っている。

 飛び交う商売文句に、子供たちの笑い声。

 以前は心地よく聞こえたが、今は煩わしくてしょうがなかった。


 俺は、商店街を抜け、比較的おだやかな路地裏を歩く。

 そこにはボロボロの服を着た汚らしい身なりの物乞いや、昼間から酒を飲んで倒れ、近くで泣いている子供の重りを放棄するクズなど、大小同異の者どもであふれている。


 ……俺も、そのうちの一人だ。


 もう、疲れた。

 そう思って、誰もいない地面に横になる。

 ひんやりと、冷たい。


 ここにいる連中のように、選択せずして生きていたい。

 誰かを犠牲にするなんて、もう嫌だ。


 スコットはイゼル国民を知って、彼らを殺すことはできなくなったといった。

 俺だって、同じだ。

 彼らが生きているのを、何度だって目にしてきたんだ。


『マーキュアス家は、お人好し』。

 誰かが、そう言っていた気がする。

 全くその通りだ、と皮肉に笑みを浮かべる。


 魔核を聖核と中和し、人々に魔力を配る。

 元々の、俺の目的だった。

 だけど、シアンからその話を聞いてある予想が建てられる。


 元々あふれるほどだった魔力を、今いる人間たち全員で受け止められるのだろうか。

 それに、魔力を戻したらまた戦争の歴史が繰り返されるのではないか。


 そして……また、俺のような人間が生まれるのではないか、と。


「兄ちゃん、そんなところで寝てると、ガラの悪いあんちゃんたちにカモにされるぜ?」


 隣にいた白い髪をぼさぼさに伸ばした、土まみれの服を身にまとった浮浪者が話しかけてくる。

 俺はそんな彼を一瞥して、口を開く。


「……もう、いいんです。何もかも。俺はこうやって、逃げるんです。逃げたいんです」

「へえ? そうかい。まあ、俺も逃げた人間だ。その気持ちはわかる」


 彼はそう言って、おちょこほどのサイズの器に、一杯だけ酒を入れて渡してくれる。


「まあ、飲みな。見ての通り贅沢はできねぇけどよ、安酒にしては中々うまいぜ?」

「……どうも」


 俺は彼から受け取った酒を口に含む。

 そして――あまりのまずさに、口から吐き出した。


 彼はそんな俺を見て笑っていた。


「な、何を入れたんですか!? え? 泥!?」

「はは、悪いなあんちゃん。少し試したんだ。それは安酒の中で最も不味いやつでね、育ちのいい坊ちゃんはみんなそうなるんだ」

「……はあ」


 まだ、口の中が苦い。

 最初はやけに辛いなくらいにしか思わないが、次に段々と形容しがたい味が口の中に広がる。

 まさに、『泥』そのものだった。


「でもよ、俺たちはこれを飲んで生きてんだ。逃げて逃げて、その先の贅沢なんざ、これが上等なのさ」

「……」

「兄ちゃん、たった一つだけ教えてやるよ。この路地裏に一度でも来た奴に共通する、魔法の言葉だ」

「……魔法」


「もう、逃げられない」


 彼はそう言って、空を仰ぐ。

 もう、逃げられない。

 その言葉を消そうにも、どうにも消えない。

 なるほど、これが『魔法』というものか。


「俺は見ての通り落伍者だ。兄ちゃんに偉そうに意見することはできねぇからよ、これから何をなすかは自分で決めな」

「……」

「ま、やれば意外となんとかなるもんだ。でも、逃げたらどうにもならない」


「俺がいい例だな」といって笑う彼の顔を、じっと見つめる。

 ……そして、ようやっと俺の足は立ち上がった。


「目が、覚めました」

「……へえ、寝起きの一杯、効いたかい?」

「ええ。今度お礼に、極上の酒を持ってきますよ」

「そいつぁ勘弁してくれ。この酒が飲めなくなっちまう」


 そう言って、彼はまた瓶からおちょこに酒を組み、今度は自身で飲み干す。

 ……俺とは違い、彼はさも当然のように飲んでいる。


「ま、来たくなったらまた来いよ。今の話なら、何万回と聞かせてやる」

「いえ、これきりでいいですよ。記憶力はいい方なんです」

「……そうかい。ケッ、お坊ちゃんは頭がよくて結構だ」


「おとといきやがれ、クソガキ」

「そうします」


 俺は心から彼に頭を下げ、そのまま振り向かずに歩いていく。

 やれば、意外と何とかなる。

 彼の言葉は、不思議と信ぴょう性を持っていた。


 もしかしたら、何とかならないかもしれない。

 でも、何とかする。何とかして見せる。



 振り向かず、しばらく歩いていた。

 既にマクトリアの城下町からは離れ、俺が連れ去られた道付近に差し掛かっている。

 そして、後ろから近づいてきている男に、独り言ちに話しかけた。


「……今、俺たちが戦う意味はないと思うけどな」

「いや、私の目的は『平等な世界を作り出す』というものだ。それに、手段など選ぶつもりはない」

「そうか。たとえその世界に、アンタが存在しなくてもか?」

「愚問だな。悪魔といっても、彼らとて生命だ。生まれる権利はある。それを拒む権利など、我々人間にはない。彼らが生まれずして成り立つ平等など、偽りにしか過ぎない」

「……アンタのそういうぶっ飛んだ理論、俺は嫌いじゃないぞ」


「ガゼル」


 俺は振り向いて、右腕に氷の腕を作る。

 彼も、野太刀を構え、既に戦闘態勢に入っている。


「それは嬉しいな。私の理論に賛同してくれるとは」

「理解はするが、迎合はするつもりはない。勘違いするな」

「そうか。なら……もはやこれ以上言葉はいらんな」



「決着をつけるぞ、友よ」

「ああ。お互いこれで終わりにしよう」

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