114 仕組まれた夜
既に、彼の表情に理性は残っていない。
ただ、うめき声のようなものを放ちながら、こちらを見つめ続ける。
……いや、睨んでいるのかもしれない。
「酔狂な奴だな、そんなに俺を殺したいのか?」
俺の質問には答えない。
だが、彼は一歩ずつこちらへと近寄ってくる。
それで、答えは十分だった。
俺は、自身の腕に魔力を籠め、氷の右腕を生成する。
勿論、こんなもので勝負になるとは思えない。
……だが、少し前までは実際にこうして戦っていた。全く戦えないわけじゃないだろう。
俺は後ろをちらと見る。
フェレスがこちらを見る。マニカの姿はない。
多分、彼女は今グレアムを追って走っている途中なのだろう。
だが……。
「……待っている暇は、ないな」
既に俺に飛びつこうと宙を舞っているグレアムを、寸前でかわしそのまま彼の右頬に拳を叩き込む。
そのまま彼の体を凍らせようとするが、体内にある魔力が思ったよりも少ないのか、俺が触れた場所の周りを凍らせるだけで終わってしまう。
だが、そのまま俺は彼の体を殴り飛ばし、レンガの壁に打ち付ける。
しかし、それを彼は利用し、俺の拳の勢いを利用して一回転し、足から壁につく。
そして、上に向かって壁を走り、二階にある窓までたどり着くと、そのままこちらに飛び降りてくる。
俺はそんな彼を向かい打つために、自身の腕の先を鋭利な槍の形に変形させる。
そのまま彼の体は俺の槍に貫かれるが、それでもかまわず彼は俺の顔を殴りつけ、その勢いを殺さないまま俺の右腕をたたき割った。
その際、氷の破片一つ一つを爆発させ、彼の腕から肩にかけて吹き飛ばすが、それでも彼の不気味な笑みが変わる様子はない。
「……ッ」
流石に、血の気が引く。
……もし『不死身』という言葉があるのなら、きっと奴のことだろう。
それでも、奴から背を向けるわけにはいかない。
俺が今ここで、また楽にしてやる。
俺は深く深呼吸して、辺り一面に魔力を張り巡らせる。
その際、俺の頭から急な激痛が走り、意識を手放しそうになる。
そして、自身の口から血を吐き出し、既に四肢はしびれ動かなくなってしまう。
……だが、もう動く必要すらない。
俺は張り巡らせた魔力に氷のイメージを映し出し、辺り一面を氷に染める。
流石に彼も何か違和感を感じたのか、慌てて建物の壁に避難しようと飛び移るが、既にそこも凍り付いている。
だが、その氷から滑り落ちることはなく、天井に張り付いていた。
……いや、張り付かせていた。
「……!?」
グレアムは必死に抜け出そうともがく。
だが、彼の足首まで迫った氷はそんな彼を逃がす様子はない。
そこから、彼の体は氷漬けにされていく。
そして、最終的に彼の体は完全な氷に閉ざされた。
「……ハ、アッ!」
俺はもう一度血を吐き、地面に膝をつく。
……不味い、四肢が動く気配がない。
いつだったか、封印術を無理やり解呪したときに、症状が酷似してしまっていた。
俺は助けを求めるように、空を見る。
そこには、何が起こったのかわからず、ただ困惑しているフェレスが見下ろしていた。
そして、それと同時に、氷像となったグレアムも視界に映る。
だが、そんな二人を見る目さえも、ただ暗くなっていくばかりだった。
「……が、あ……ッ」
俺は必死に左手を動かす。
だが、指を動かすことさえも敵わない。
そんな時、後ろから声が聞こえた。
「チェックメイトだね、賢者様?」
振り向かずともわかる。
……先ほど、彼が手を出さなかった理由も、同時に分かった。
こうなることが、わかっていたのだろう。
「……に……らい……」
「おっと、まともに話すことさえ出来ないのかい?」
皮肉を込め、口角を吊り上げるニコライ。
俺はそんな彼を睨むことさえ出来ずにいた。
そんな時、彼に歯向かむものがいた。
彼はいきなり伸びてきた手をとっさに躱し、肩をすくめる。
「おっと、死者がいたね。でも、君一人でなにができる?」
「……わからない。でも、今ここでラザレスが死ぬのは、『悲しい』」
「悲しい、ね。それが君に残された感情だったか」
彼はそう言って笑うと、彼女の影から手を伸ばし、両足首を両手でつかむ。
彼女はそんな両手を右手で触れようとするが、その瞬間手が溶け、あやうく彼女の足に触れそうになる。
咄嗟に手を離すと、ニコライが笑い始める。
「はは、死者のくせに死が怖いのかい? 無様だね、はは、はははは!」
彼女は、ニコライを感情のない目で見つめる。
……だが、その時俺はあることに気付いた。
もしかしたら、彼女の瞳は彼を見ていないのかもしれない。
その先は、彼の背後にあった。
「うん、わからないな。何せ僕も、まだ死ぬのは怖い」
その言葉とともに、剣が振り下ろされる。
予想外の出来事だったのか、同時に彼の腕が切り落とされた。
だが、彼はそれを意にも介さず、手を影として溶かしたと思うと、そのまま彼のもとあった場所に戻っていく。
「……へえ、てっきりあの方が処理したと思ったんだけどねぇ」
「生きてないよ。なんたって僕は、今はゴーレムだから」
「シルヴィアさんが裏切った……ということであってるかい?」
ニコライがそう言うと、その声の主はふっと笑う。
……誰だ? と思い首を動かそうとするが、痛みのせいか麻痺しているかのように全く動かない。
だが、この声は聞いたことがあった。
「裏切ってないと思うよ。むしろ、裏切ったのは僕たちだ」
「厄介な時に裏切られたもんだ。もう少しで、あの方の言う通りイゼルを滅ぼせたものを」
「イゼルを滅ぼさなくても、まだなんとかなる」
「そうだろう、ラザレス」
その声の主は、俺の名前を呼ぶと、そのまま視界に入り手を差し伸べてくる。
……ああ、俺は彼を知っている。
本当に、覚えていてよかった。
「……と、うさん……」
「動けるかい? 以前は悪かったね。彼女の近くにいると、僕は彼女に逆らえないんだ。だから、あの時はああするしかなかった」
「……ひどい、な」
「うん。でも、ラザレスもひどかったよ。僕に手を上げるなんてね。いくらゴーレムとはいえ、遠慮がなさすぎないかい?」
彼は冗談めかして言うと、そのままニコライへ振り返る。
そして、彼の喉元に剣を突き付け、言い放つ。
「僕たちはこれからあいつに会いに行く。意義のない戦争は、これで終わりにしよう」
「『意義のない』? ハッ、あったよ。あのお方の協力なしで、どうやってここまで悪魔を追い詰められた?」
「彼らに罪はない、とは言わない。でも、殺さずに済むのなら、そうするべきだ」
「お人よしだね、アンタ」
「だから、アンタは愛する妻に殺されるのさ」
彼は、皮肉交じりにそう言い放った。
一瞬、聞き間違いだとも思った。
シアンが、スコットを殺した?
何を言っている、あれは強盗が家に押し入ったからで……。
もしかしたら、ニコライが動揺させるために言った出たら目なのかもしれない。
だが、スコットは何も言い返さない。
黙って、彼を睨んでいる。
そうしてそうしていると、先にニコライの方から話した。
「いいよ、行きなよ。あの方はマクトリアにいる。まあ、アンタならこの世界を裏切るなんてことはしないだろうね」
「……そうかい?」
「そうさ。だってアンタは、結局あの方を裏切れなかったんだから」
ニコライはそれだけ言うと、そのまま溶けてなくなってしまう。
今度こそ完全に、彼の気配は消え去った。
そして、ニコライは俺の体を持ち上げて、そのまま歩き出す。
「……先に、言っておくべきかもしれないな」
「何が?」
「きっと、聞けば僕らは幻滅されると思う。君の侮蔑は、避けられないと思う。でも、聞いてほしい」
「あの夜の出来事……あれは、偶然なんかじゃなく、あらかじめ仕組まれていたんだ」