113 逃げ場
俺は外に出ると、既に登ろうとしている太陽の光が目に差し込み、思わず目を細める。
……だが、今となっては太陽などどうだっていい。
それよりも、俺はこの街から一刻も早く出る必要がある。
俺は白い息を吐き出し、既に遠くに行ってしまっている彼女たちの背中を追いかける。
もうすでに起きている人もいるであろうため、もう足音を気にする必要はなさそうだ。
だが、同時に懸念もあった。
……俺の顔は、この街においてどれほどまでに知れ渡っているのだろうか?
もし、俺の顔が指名手配など多数の手段によって拡散されていたのなら、むしろ日が昇ってからが俺にとって脅威になる。
だからといって、今更また日が沈むのを待ってはいられない。
そんな時、フェレスが振り返り、こちらを見上げた。
「大丈夫。この区域に人はいない」
「……は?」
「ここは、昔は多くの人が住んでいた。でも、その人たちは急に姿を消して、それ以来この場所には誰もよりついていない」
「それは、なんで?」
「わからない。関係がないかもしれないけど、この区域に住んでいる人たちは、全員が魔女だったから、なんらかの圧力で消されたのかもしれない」
……そうなのか?
だが、そうなると今賢者の法がフォルセと手を組んでいる理由が分からなくなる。
それとも、そうせざるを得ない理由があったのか?
いや、どれも違う。
これは推測に過ぎないが、もしかしたら――。
「なんで消されたのか、賢者の法もフォルセもわからない?」
わからないから、お互い力を合わせる。
非情に合理的だが、引っかかる部分もあった。
その選択は、あまりにも合理的すぎる。
ニコライだって馬鹿じゃない。魔女と人間には確執があるのだから、ダリアのように人間を信用できない者が離反を起こすことくらいわかるだろう。
それに、俺がもしただの魔女だとしたら、真っ先にフォルセを疑う。
他国では奴隷扱いされてきたのだ。この国でどのような厚遇を受けようと、一度突き放されてしまえば、この国からも見捨てられたと判断するだろう。
だが、俺の隣にいる魔女は、この違和感に気付いていないのか、辺りを見渡すばかりだった。
俺たちはそんな彼女に構わず歩いていくと、少し遅れて追いかけてくる。
「……なあ、マニカ。ここら辺って、マニカしか住んでないのか?」
「うん。最初は変だと思ったけど、もしかしたらマクトリアで保護されているのかなって」
彼女の言葉に、一瞬耳を疑った。
今、彼女の口からは確実に『マクトリア』という単語が聞こえた。
俺はあふれ出る言葉を抑えながら、単純な問いだけを吐く。
「マクトリアには、フォルセの人たちも行ってるのか?」
「んー、らしいよ? あたしは賢者の法じゃないからよくわからないけど、なんでも賢者の法で一定以上の階級の人は、えっと……王? 女王? との謁見を許されるんだって」
……やはり、マクトリアと賢者の法は繋がっていたのか。
嫌な予感はしていた。だが、よりによってあの王が賢者の法においてそこまで重要視されているのは予想外だった。
あいつに、そこまでの何かがあるとは思えないが……。
「……フォルセは、マクトリアと同盟を組んでいるのか?」
「うん。あたしはあまり外交には詳しくないから、よくわからないけどね。メルキアデスさ……メルキアデスもそういったことはあまり口にしなかったしね」
「……メルキアデス、か」
久しぶりにその名を聞いた気がする。
今、彼は何をしているのだろうか?
化け物となり果てたこの心身を見て、彼は一体何を思うのだろうか?
彼が求めていた、賢者という皮をかぶった化け物を。
「なあ、ここにいる魔女はマニカだけか?」
「うん。お父さんもお母さんも目が覚めてからは会ってないよ。メルキアデスにもね」
「……目が覚める、か」
魔核からもう一度生み出されるときは、そんな気分なのだろうか。
……グレアムも、あいつにとって俺に殺されることは、『夢』程度にしか思っていないのだろうか?
いや、彼はすでに俺とザールさえ見分けられないのだ。そんな彼が、夢か現かの判断ができるとは到底思えない。
きっと、魔核さえあれば魔女は何度でも再生できるのだろう。だが、心の傷までは……。
気が付いたら立ち止まって思案を巡らせている俺に対し、マニカは思い出したかのように口を開いて、声を上げた。
「そういえば、フォルセがぺスウェンと停戦条約を結ぶために国王とその護衛を今朝送り出すって話、知ってる?」
「……は? フォルセとぺスウェンが? 嘘だろ?」
「それがね、本当らしいよ。それで、相当な分のお金を持って行ったとか」
……心の中で、小さく舌打ちをする。
不味い、完全に孤立させられた。
万に一つでもぺスウェン側が拒むとしても、イゼルが敵と判別してしまった途端、国王やマリアレットはともかく、国民の総意は決まってしまうだろう。
だが、同時に疑問も感じた。
「イゼルって、過去にフォルセに何かしたのか?」
「……さあ? さっきも言った通り、あたしはまだ目覚めてから時間あんまり立ってないから」
俺はフェレスに目を配るが、彼女も首を振る。
彼らは賢者の法についての知識を持っている。だから、滅ぼしたかったということか?
だが、あのジリ貧の状態で多額の金を持ち出してまで徹底的に抗戦する意思を見せるのは、何か裏があると感じざるを得ない。
……まるで、何かに恐怖しているかのように。
イゼルにおいて、この世界の脅威になるもの。
「……『呪術』か」
呪術はイゼルにおいては禁忌とされ、封印されてきた情報だ。
だが、賢者の法はそれを外に持ち出し、少なくともフォルセの者や賢者の法の信者など、多くのものが呪術を使ってきた。
だからこそ、その力を把握している、ということなのだろう。
あわよくば、イゼルを滅ぼし、呪術を賢者の法のものにするためにしている、というわけなのだろう。
だが、これらはすべて憶測を出ないということを、念頭に置いておくべきであろう。
俺は一度息をつくと、少し離れた所に、ただ呆然と立ち尽くしている男がいるのが見えた。
丁度彼の後ろには太陽があるため、彼の顔がよく見えない。
俺は目を凝らしていると、マニカはそっと俺の前を手でふさいだ。
「……今すぐそこの路地裏に入って、見つからないように逃げて」
「……え?」
「『え?』じゃない。あんな明らかにやばい奴、絶対ラザレスの敵でしょ!」
彼女はそう言うと、俺たちの体を路地裏に押し込む。
だが、俺はそのまま振り返らずに彼女の言う通り進みだす。
……情けないが、今は彼女に任せた方がいい。
魔法も使えない、剣も使えない俺が彼女の隣にいても、確実に邪魔になるだけだ。
最悪の場合蹴ることくらいはできるだろうが、それもたかが知れている。
俺は左手でフェレスの手を取り走っていると、ふと左側に視線を感じた。
……普通、視線というものは全くの左にいる場合、移動すれば少しずつずれていくはずだ。
だが、この視線にはそれがない。まるで、俺の隣に同じ速さで引っ付いているかのように、絶え間なく視線が続いていく。
家々を壁にしても、それは続いていた。
左側からは、魔法の放たれる音が聞こえる。
家々に氷がぶつかり、砕け散る音。
だが、それでも視線は収まる様子はない。
そして、俺はついに左を向いてしまった。
ただ、本能的にそちらを向いてしまっていたのだ。
「……グレアム」
ただ、意味のないうめき声をあげながらこちらを追いかけ続ける存在。
そいつと目が合った時、彼は確かに顔をゆがめた気がした。