112 月の光
俺はあの後マニカに担がれ一戸建てのレンガの家に連れていかれる。
そして、俺は彼女にソファに寝かされると、その近くに火のついた燭台を置かれる。
すると、視界が急に明るくなり、金髪を肩まで下げていて、どこか活発的であり落ち着いた雰囲気を持つ女性が視界に入った。
しばらく黙り込んでいると、その女性の方から口を開く。
「えっと……、久しぶり」
「ああ。久しぶり」
「……あはは、何話せばいいかわからないや。ずっと考えてたことなのにね」
「……はは」
彼女に相打ちを打つように笑顔を浮かべる。
それと同時に、俺の体全身に痛みが走り、口から血が吐き出される。
それをとっさに手で受け止め、ソファを汚さないようにした。
「今、傷を癒すから無理しないで」
「……ありがとう」
「いいよ。友達だもん」
彼女はそういうと、俺の体に手を当て、治癒魔法をかけてくれる。
その間、俺はフェレスがこちらをじっと眺めているのに気付いた。
「どうしたの、フェレス」
「……大丈夫?」
「ああ。大丈夫。かっこ悪いとこ見せちゃったね」
俺が苦笑しつつそう言うと、彼女は首を振ってくれる。
……同じ化け物同士、傷の舐め合いか。
もしかしたら……いや、もしかしなくてもそうかもしれない。
俺は無意識のうちに彼女にかつての自分を重ねていた。
だから……俺は赦そうとしているのかもしれない。
そう思うと、俺は心のどこかから笑いがこぼれた。
それは自嘲なのか、それとも安堵から来たものなのかはわからない。
「なに、急に。どうしたの?」
「いや、マニカも変わってないな」
「そっちこそ。見た目は変わったけど、中身は相変わらずじゃん」
「だから、『マニカも』って言ったんだよ。……正直、変わってなくて安心した」
「うん、あたしも。それより、あの子は誰? 妹さん?」
「……え? フェレスのこと知らないのか?」
「うん。あたしまだこの街にきて一週間もたってないから。何、有名人なの?」
……有名人であるのは間違いないのだが、どういうべきだろうか。
だが、彼女の呪術を隠してしまうと、ふとした拍子に彼女は右腕に触ってしまうかもしれない。
「……彼女は、右腕で触れたものを殺す力を持っているんだ。だから、その……」
「そっか……」
彼女はそうつぶやくと、そっとフェレスの頭を撫でる。
それはガゼルのものとは違う、包み込むような女性的な優しさを伴っていた。
「こんにちは、あたしの名前はマニカ。よろしくね?」
「……マニカ、さん?」
「ううん、マニカでいいよ。こっちはフェレスちゃん、でいいかな?」
「うん」
彼女は大きく首を縦に振る。
……正直、子供の扱いでは彼女の方に軍配が上がるようだ。
少しだけ自身を持ってた部分のため、多少の寂しさを感じた。
「そういえばラザレス、ソフィアは? もしかして、喧嘩したの?」
「まさか。今は彼女に会いに行く途中だったんだよ」
「へえ。それで、何でここまで?」
「……説明がめんどくさい。まあ、敵の罠にかかったって思っててくれ」
「へえ? 賢者様でも罠にかかることなんてあるんだ」
そう言って意地の悪い笑みを浮かべるマニカに、苦笑する。
……だが、同時に自分で放った言葉に違和感を感じていた。
何故、今になって俺をここに連れてきたんだ?
こんな風に俺を誘拐して、俺を求めていたのなら、いつだって誘拐できたはずだ。
だが、彼女はそうしなかった。
なら、何かできない理由がある、ということか?
……いや、こういった推測は俺よりもソフィアの方が適任だろう。
「行こう。早くいかなきゃ、ソフィアが危ない」
俺はもう動けるようになった体を立ち上がらせ、フェレスの手を取る。
そして、玄関で振り返り、マニカの眼を見た。
「じゃあ、もう行くから。怪我、ありがとな」
「待って! あたしも行っていい?」
……やはり、彼女ならそう言うと思った。
だが、今回のこれは、決して安全なものではない。
四年前のように、魔女や人間の境目で起きた戦争では決してないのだ。
もしかしたら、こちら側の人間が魔女を忌避している可能性だってある。
だとしたら、魔女である彼女をソフィアたちに会わせるのは危険なんじゃないだろうか……?
そんな時、俺の施行をすべて吹き飛ばすかのような衝撃が、俺の頭を打ち付けた。
あまりの痛さに咄嗟に抑えると、右手を前に差し出して、笑っているマニカの姿があった。
しばらくして、ようやく今のが彼女のデコピンであったことに考えが及んだ。
「そんな難しい顔しなくていいよ。あたしだって、自分の身くらい自分で守れる」
「……そんな簡単な問題じゃ――」
「大丈夫。それに、またこの街で襲われたらどうするの?」
……確かに、俺の魔力は未だ回復しない。
今ここで、グレアムあたりと出会ったら、きっと殺されてしまうだろう。
もしかしたら……その時に、フェレスを利用してしまうかもしれない。
「……わかった」
「うん、決まりだね。よろしくね、フェレスちゃん!」
「よろしく」
そう言って、マニカはフェレスの左手を握る。
俺はそんな彼女を見て、頬が緩んでいるのに気付く。
……久しぶりに、心から笑えた気がする。
そして、その事実に、どこかホッとしている自分がいた。
マニカはそんな俺を一瞥した後、扉を開けて先に行ってしまう。
そして、そんな彼女を見送った後、ろうそくの灯を消して振り向かないまま闇に向かって呟いた。
「……なあ、アンタの目的は一体何なんだ?」
俺の声が、部屋の中にこだまする。
しばらくした後、少し小ばかにしたような声が俺の耳をかすめた。
「へえ、気付いてたんだね。てっきりあのまま逃げたと勘違いてそうで、内心腹が立ってたんだけどねぇ」
「……いいから答えろよ、ニコライ。もうアンタらが掲げてる『平等』なんて表向きの理由は、フェレスの存在で破綻してるんだぞ」
「……やれやれ、リゼットの奴。面倒くさいのを連れてきたねぇ」
彼はそう言うとため息をついた。
……いや、もしかしたら息を吐いただけかもしれない。
振り向いていないから、彼の意図が全く分からなかった。
「悪魔、君はその単語を知っているんだろ?」
「……ああ」
「俺たちはそれの復活を阻止するために、人々を殺している。もしかしたら、既に悪魔がこの世界にいるかもしれないからねぇ」
「ハッ、イカれてんな」
「お互い様じゃないかい?」
……悪魔、という存在。
それが、この世界をここまで揺るがしているという事実に、自身がどれほど無責任に生きていたかを突き付けられる。
あの夜がなければ、もしかしたらこういった世界はなかったんじゃないだろうか?
あの夜に、もし俺が立ち向かっていたのなら……。
「……なあ、どこでその悪魔について知ったんだ」
「アルバ、という男に聞き覚えはあるだろう? 彼が情報を提供してくれた。それと同時に、早めに始末すべきだ、ともね」
「……」
「彼は実にいいコマだったよ。君が賢者であるという情報を魔女の国に流したのも彼だし、国王に賢者の法が攻めてきているという情報を流したのも彼だ」
「……そうか」
「おや、怒らないのかい?」
「今更だ。あいつにはもう裏切られた」
「そして俺も、マーキュアス家を裏切った。俺に裏切りをとやかく言う権利はない」
俺はそう言うと、扉を開けてその部屋を後にした。
その時に目に入った月の光が、俺にはどうしようもなくまぶしく思えた。