107 悪
馬車は、ただ走り続けていた。
森を抜け、すでにぺスウェンの国境は越えて、荒野を走り続けている。
空は既に太陽を真上に掲げ、俺たちを照らしている。
そんな中、急に馬車が止まり、ルーサムが一言呟いた。
「……チッ、やべえな」
「どうしたんですか、ルーサム」
「見てくださいよ。あれを見りゃ、何で止まったかがわかるはずです」
彼の言った通り前を向くと、そこには複数人の仮面をかぶった男たちと、フォルセの兵士たちが、どこかへ向けて行進していた。
そんな彼らを見続ける俺たちに対し、ルーサムはつぶやいた。
「言った通り、危なくなったら俺はすぐ逃げるんで。恨まないでくださいよ」
彼の言葉に、頷いて答える。
……しかし、どこへ向かっているんだ、彼らは。
その方向は、マクトリアでもぺスウェンでもなく、その先に広がるのは海しかない。
……いや、海だけではない。
その先にあるのは、イゼルの跡地だ。
そして、しばらく先に魔女の国の跡地もある。
そのことにソフィアも気づいたのか、何かに弾かれたかのようにこちらを見る。
「……魔女の国」
「え?」
ソフィアの呟いた言葉に、二人が反応する。
……何らかの要因で二人は知らないだろうが、あそこには昔魔核があった。
そこで俺は、魔女に……メルキアデスたちに、騙されていた。
「さて、姐さん方。俺はここでお暇するんで、アンタらは好きにやってくださいな」
「……構わないけど、ここで離れるのは危険じゃないかな?」
「いえ、逃げ足だけは自身があるもんで。この状況で生還くらいなら、お茶の子さいさいってやつですよ」
彼は自慢げに胸を張る。
この様子だと、彼への心配の必要はなさそうだ。
そこで、俺は一度ソフィアの方を向く。
「ソフィア、どうする? 追う?」
「……いえ、今はマクトリアへ向かいましょう。それに、今は彼らが魔女の国へ向かっているという情報を得ただけで充分です」
「へえ? あんた、意外と冷静なんだな? てっきりあの隊列に猪突猛進してくると思ったんだが?」
俺たちはその聞いたことのある声に弾かれるように後ろを振り向く。
すると、馬車の後ろには確かに以前ぺスウェンで会ったリンネが、フードの下からこちらを覗いていた。
俺たちはそんな彼女を見るとすぐさま馬車から飛び降りる。
同時に、馬車はすさまじい速度でぺスウェンへと引き返していった。
「……何故、ここが分かった」
「『何故?』 面白いこと聞くじゃん。アンタらの行動、筒抜けだってことにまだ気づかねえの?」
「筒抜け?」
……確かに、今まで行く先々で俺は彼らに……賢者の法に出会ってきた。
こうなった今、俺が世界のどこにいても不思議ではないというのに、それでも彼らは的確に俺たちの位置を把握している。
「大方、イゼル国民が心配になって引き返したんだろーが……まあ、手遅れってとこだな」
「何、言っている」
「ああ、分かんねえのか? じゃあ、教えてやるよ」
「この長蛇の列の先にはな、アンタらが恋しくてたまらねえイゼル国民様たちがいるんだよ」
俺はその言葉とともに、前に出した左手の一つ一つの指先から氷の柱を作り出し、彼女に向けて穿つ。
彼女は、その意図に気が付いたのか咄嗟に後ろに飛び、俺の眼を見るが、地面から飛び出す氷がその視界を遮る。
「へえ、結構やるじゃん?」
「……終わりとでも思ったか?」
俺は未だ突き出ている氷の柱を、指ごと動かしリンネをとらえようとするが、彼女が投げたナイフに折られてしまう。
そして、地面に落ちた氷から彼女に向けて火柱を立てるが、手から地面に付き無理やり背後に飛ぶことで、それも避けられてしまう。
「……チッ、危ねぇな!」
「まるで曲芸だな。だが、それがいつまで持つ?」
「ハッハ、アンタが望むなら、五年でも十年でも続けてやるよ」
「そうか。なら、続けてみろ」
俺は彼女の態度に向けて冷たく答えると同時に、彼女の背後に向けて一閃する影を見る。
残念ながらその剣筋は彼女をとらえられなかったが、それでも彼女が咄嗟に飛んで回避したことで、宙に浮かすことに成功した。
「……今です、ラザレス!」
「ああ!」
俺はもう一度氷の柱を指先に作り、彼女の体を穿とうとする。
その瞬間、俺の指先に何かの影が飛んできて、そちらに意識が向く。
一刹那遅れ、俺はその判断が正しかったことを知った。
「ザールゥゥッ!」
俺は彼の持っているナイフの刺突を紙一重で避け、左手で彼の腹を殴りつけるが、ビクとも動かない。
顔を見ると、そこには狂気的な笑みを浮かべるグレアムの姿があった。
「まさか、二人相手に一人で挑むとでも?」
リンネは、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
それと同時に、俺ののど元を狙いグレアムの持つナイフが向かってくるが、それを左手でつかむ。
掴んだところが刃物のため一瞬苦痛に顔をゆがめるが、瞬時に凍らして思い切り握りつぶし、刃物そのものを砕き割る。
「ザール、ザールゥ!」
だが、武器がなくなっても彼は腕で攻撃してくる。
俺はその腕を凍らして刃物と同じように砕くが、それでも彼はこちらにかみついて来ようとする。
「なんですか、これ……?」
あまりに異常な光景に、ソフィアが息をのむ。
俺は一度グレアムから距離を取り、リンネを睨んだ。
「こいつとお前で、俺たちを倒せるとでも思ったのか?」
「ああ? 『倒す』? んな必要ねえよ。オレたちの目的はな、イゼル国民を滅ぼす。ただそれだけなんだからよ」
「……何故、滅ぼそうとするんですか?」
ソフィアの言葉が意外だったのか、リンネの目が丸くなった。
「あ? お前らまさか、気付かずにオレたちと戦ってんのか?」
「気付くって、何のことだ?」
「ああ、いや。今更アンタらに伝えても、考えを変える気はねえだろ。まあ、少なくともオレ達がしていることは、そうだな……」
「一言で言うと『正義』だな」
彼女は、笑みを浮かべて誇らしくそう言った。
彼女の言葉に思い当たる節がある。
イゼルは、四年前魔女を滅ぼした。
魔女の国というものを設立しておきながら、魔女というものを受け入れなかったのだ。
正当防衛ではあったものの、それでも平等を掲げる彼女たちにとっては業腹だったのだろう。
「ま、最終的に全員滅ぼすんだけどな。だから、アンタらが純粋な悪とは言えねえってことだ」
「……お前たちが、正義、か」
「ああ。俺たちの行動のどこに悪があるって言うんだよ?」
彼女の言葉に弾かれるように、俺は彼女に向けて火柱を放つ。
完全に不意打ちだったため、彼女をとらえたと思っていたが、それはグレアムが無理やり火柱に飛び込み、彼女を庇う形をとった。
「……なっ、グレアム!?」
「ザール、ザールッ!!」
彼は既に亡き友の名を呼びながら、炎をまといこちらに突撃してくる。
俺はそんな彼を氷で作った右腕で触れると同時に、体全体を凍らせる。
それと同時に蹴り飛ばし、彼の体を氷ごと割った。
「……チッ、見てて気分がいいもんじゃねえな。それに、助けられちまった」
「……なら、ここから去ればいい。逃げるというのなら、追いはしない」
「『逃げる』? まさか。もうそんな必要もねえよ」
彼女が不敵に笑うと同時に、俺たちの周りを霧が囲いだす。
俺たちは、その霧に見覚えがあった。
「……ッ!?」
「これはオレたちが撤退させられるときに使う霧だけどな、別に霧にまぎれて走って逃げてるわけじゃないんだぜ?」
「どういうことだ!?」
「つまりだな……」
「その霧は、俺たちの位置を瞬時に変えられる力を持ってるんだよ」
彼女の言葉に、血の気が引いていくのが分かった。
ここでその霧とやらに捉えられるのは非常にまずい。
そう思って霧を凍らせようとするが、何故か魔力をはじくように凍らない。
「ソフィア!」
俺はとっさにソフィアとマリアレットを突き飛ばし、霧から脱出させる。
それと同時に、俺の意識は手放された。




