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106 金

 俺たちは、ただ夢中で駆けだしていた。

 道中、そんな俺たちに対する声が幾度か上がるが、そんなことは気にしている余裕すらなく、ただ俺には前を見て走ることしか考える余裕がなかった。

 それはソフィアも同じらしく、彼女もただ前を見て走っている。

 だが、そんな時ソフィアが口を開く。


「ラザレス、馬引けますか?」

「……え?」

「いえ、だから、馬を引けるかって……」


 ……それきり、二人とも黙り込んでしまう。

 今思うと、俺たちは二人とも御者としての経験がない。

 馬に乗ったことはあるが、それはマリアレットが俺を支えてくれていたからだ。

 だが、吹雪いた後のぺスウェンを走って抜けられるわけがないのは、お互いわかっていた。


 そんな時、息を切らしたマリアレットが追いつき、息を整えながら俺たちに話しかける。


「……はぁ、はぁ。あまり私に肉体労働をさせないでくれたまえ。見ての通り、はぁ、私に運動は向いていないんだ」


 そう言って、彼女は一度深く深呼吸をして、息を整える。

 しばらくして、彼女は手を二つ叩いて拍手をした。

 俺はそんな彼女の様子を眺めていると、どこからか調子のよさそうな男の声が響いてくる。

 見ると、そこにはリンネとは違いどこかすり切れたフードを頭にかぶり、不健康そうな細い体に無精ひげの特徴的な男が歩いてきていた。


「はいはい、お呼びですかい?」

「本当は君に頼むのも不本意なのだが、今は緊急事態だ。マクトリアに向けて馬を出してくれないかい?」

「勿論ですとも。この『ルーサム』、責任をもって目的地までお届けいたしましょう」


「もちろん、金次第ですがね」


 そう言って、彼は物乞いのように両手をマリアレットの前に差し出す。

 彼女はそんな彼の様子にため息をついた後、持っていた金貨を二枚握らせる。


「へへ、毎度!」

「諸君、見ての通りあまり見ていて気分のいい奴ではないが、今は彼の力を借りよう。確かにあれだとは思うが、仕事だけはしっかりこなす」

「姐さん、そりゃないでしょ? 呼び出したのは姐さんじゃねえですかい」


 彼の媚びた態度が癪に障るのか、無視して馬小屋へと向かっていく。

 ……だが、こうして目的の分かりやすい奴だと今はありがたい。

 金さえあれば裏切られそうだが、逆に金を持っている限りでは、絶対に裏切らないと確信できるからだ。

 まあ、彼に命の危険がない場合の話だが。


 そんなことを考えていると、既に馬小屋に向かっている三人がこちらを振り向く。

 俺は軽くかぶりを振り、そんな彼らに向き直った。


「旦那方、行きますぜ? それとも、なんか忘れものですかい?」

「いえ、今行きます」


 俺は彼の言葉に反応するように、彼らの後を追いかける。

 ……今は、ザールの魂はここに置いておこう。

 全てが終わったら、またもう一度取りに来る。


「……ごめんな」


 俺は誰にともなくつぶやいた。

 それで許しを請うつもりはないが、それでも言わないままぺスウェンから離れるのは、俺の中で何かが違う気がした。




 俺たちが馬車に乗り込むと、ルーサムは乱暴に馬を鞭でたたく。

 その痛みからか大きく一度嘶いた後、雪が降り積もる道をメンティラの馬車とは数段違う速度で駆け始める。


「さてさて、姐さん方。こういった戦場の跡地は、盗賊の稼ぎ時だ。もしやばくなったら俺は一目散に逃げるつもりなんで、悪く思わねえでくだせえよ?」

「……もとより君に戦力として期待などしていないよ」

「へっへ、そうですかい? そりゃまあ、期待されてない分こっちも楽ってもんでさあ」


 そう言って、下卑た笑みを浮かべるルーサム。

 ……あまり見ていて気分のいい男ではないというのは、残念ながらその通りのようだ。

 だが、この世界に来ては人の出来た大人か、危険な思想を持った大人としか接していなかったため、むしろどこか安心感を覚えていた。


「……なんです、俺の顔じっと見て。そんなにイケメンですかね?」

「ああ、違うんだ。なんでもない」

「そうですかい? チップをくれるってんなら、遠慮せずに……」

「前向いて運転したまえ。心配しなくても君の顔は見ていて反吐が出そうになる」

「へぇへぇ、反吐よりも先に、手が出そうですけどね?」


 彼の皮肉をマリアレットが受け流すと、彼はそれがおもしろくないのかふん、と鼻を鳴らして前を向く。

 ……あまり、仲が良いとは言えないのかもしれない。

 そんな時、ソフィアが口を開いた。


「あの、ルーサムさん」

「ルーサムでいいですよ。『さん』なんてお偉方につけられたら、むず痒くていけねぇ」

「じゃあ、ルーサム。あなたはどこの国の出身なんですか?」

「その質問には、金がかかりますぜ?」

「やめておけソフィア。その下衆に質問は無駄だ。猿に理解できる知能があるとは思えない」


 彼はマリアレットの皮肉を笑ってごまかす。

 ……そんな彼を見て、何故マリアレットが彼に冷たいのか、ようやっと理解できた。


 単純に、彼に興味がそそられないのだろう。

 彼は見ていて、あまりに行動理念が筒抜け過ぎて、考察の余地がない。

 好意的にとらえれば現実的すぎる、ということだが……。


「じゃあ、初回サービスってことで答えてあげますよ。初めてのお客さんに、不快な思いはさせたくないんでね」

「その心配はいらない。もう不必要なほど味わった」

「そりゃ姐さんの話でしょ? 緑髪の姐さんに、銀髪の兄さんはそんなことねえですよね?」


 二人とも押し黙る。

 彼はそんな俺たちを見て、へっ、と半ば自嘲の意を込めて鼻を鳴らした。


「俺の出身はフォルセですよ。といっても、今は疎遠になっちまって、おふくろも親父もどうなっちまったかなんてもう知りやしませんがね」

「……フォルセ」


 その名前を聞いて、確かに身が強張るのを感じるが、彼の性格を思い出して、その警戒が不必要なことだと思いなおす。


「ああ、もうすでに国籍はぺスウェンなんですがね? この戦争でどっちが勝とうかなんて、俺の商売に響かなけりゃ俺にとっちゃどうでもいい話なんですわ」

「……いいんですか?」

「ええ。なんせこの世界は金ですからね。金さえありゃ、力だって女だって、なんなら名声だって得られる」


 彼の話に、マリアレットは心底不愉快そうに聞いていた。

 ……彼の心理に完全に同意できないと言ったらうそになる。

 だが、あまりにもその考え方は、寂しいと感じた。

 そんな俺の顔を見て、ルーサムは眉をひそめる。


「兄さん、こんな話親身になって聞いちゃいけねぇ。将来悪い奴に騙されやすぜ?」

「……そうかな?」

「ま、俺は金さえもらえりゃそれでいいんで、これ以上とやかくは言いませんがね」


 彼はそう言って前を向く。

 俺も倣って前を向くと、既に森の中に入っていたことに気付き、あまりの速さに一瞬たじろいだ。


「……馬がかわいそうじゃないかな?」

「馬? 兄さん、人の商売道具さえも気にするなんて、ずいぶんとお優しいんで」


 今度は先ほどの言葉とは違い、明らかに皮肉だ。

 だが、俺はそれに気付かないふりをしつつ、話を続ける。


「商売道具だけど、命なんだよ?」

「あー、そういうのいいんで。命なんて風が吹きゃ最悪死ぬってのに、気にしてなんていられませんよ」

「でも……」

「それに、金さえありゃ簡単に買い換えられる。いちいち気にしてなんていられやせんよ。まあ、エサは流石にかわいそう何で上げますがね」


 俺は彼の言葉に、顔をしかめる。

 それを見たマリアレットが、やれやれと肩をすくめた。


「だから言っただろう? 彼は不愉快な人物だ、とね」

「……そりゃどうも。正当な評価で」

「彼は独自の価値観を築き、それを崩そうとはしない。永遠に不変のものにしている」


「私はそれを、つまらないとは思うがね」


 マリアレットの言葉に、ハッ、と笑うとそれきり黙り込む。

 ……彼女の軽口にも、彼は既になれたものなのだろう。


 だが、俺はそんな彼の態度が、妙に気になっていた。

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