104 深夜
既にこの国そのものが寝静まっているころ、俺は吹雪が窓をたたく音で目が覚めた。
月は真上からすでに傾いており、本来なら今寝なければ明日に差し支える時間である。
しかし、今夜はどうにも眠れなかった。
「……水でも飲んでくるか」
俺は隣にいるソフィアに聞こえないくらいの声量で、そうつぶやく。
彼女は俺とは違い、規則正しい寝息を立てている。
そんな彼女の安眠を邪魔するわけにはいかない。
部屋から出ると、壁に立てかけてあるランタンと、月の光だけが灰色の壁と赤いカーペットを照らし出す。
俺はその神秘的な光景に息をのみ、食堂へ向けて歩き出した。
「……ああ、待った。食堂は今避難所になってるから、今行っちゃうと起こしちゃうな」
俺はそう思うと、踵を返して今度は城の一階付近にあるであろう井戸を探すことにした。
もしないのなら、雪を自身の炎で煮沸すればいいだけの話だ。
そんな時、曲がり角の先から二人分の足音がした。
「……?」
一瞬兵士かと思ったが、彼らは避難所の警備と、周囲の警戒で手いっぱいであり、ソフィアが俺たちのところの警備は優先しなくていいと言っていたため、その線はあり得ない。
なら、そこにいるのは侵入者か、もしくは避難住民がこの城をさまよっているのかもしれない。
どちらにせよ、放ってはおけないだろう。
「あの……」
「……ッ!?」
俺は背後から呼びかけられた声で、一瞬驚愕の声を上げてしまいそうになる。
だが、それは背後から伸びたうっすらとした白い手で遮られてしまった。
「私です、ソフィアです」
「……ソフィア? どうしたの?」
「いえ、あなたが部屋から出るのが見えたので、どうしたのかと思ってついて来たんですよ」
「起こしちゃったのか、ごめん」
「構いませんよ」
そう言って彼女は微笑んだ後、曲がり角へと向かっていく。
一瞬様子を見ようとした俺とは違い、彼女は堂々と歩いて行く。
俺もそんな彼女を追いかけるように歩き出すと、急に彼女が声を上げた。
「こんにちは。どうしたんですか、こんな夜遅くに」
「あ……、えっと。トイレを探して、迷子になっちゃって」
曲がり角がちょうど死角になっていたので半歩横にずれると、そこには長い金髪を後ろで縛った、ややソフィアより慎重の高い女性がたっていた。
彼女も俺と同じくこの深夜に人がいるとは思わなかったのか、目を丸くしてしまっていた。
だが、多分目を丸くする理由は他にもある。
何故なら、避難所の中にトイレは備え付けられているからだ。
「ソフィ――」
「失礼ですが、貴方は本当にぺスウェン人ですか?」
「……どういうことですか?」
「ぺスウェン人に金髪はいなかったはずですよ」
「……チッ、ばれてしまったか」
「嘘です。自白してくれて感謝します」
彼女はそれだけ言うと、持っていた剣を抜き取り、彼女に向けて突き付ける。
だが、彼女はとっさにそれを避けると、どこからか持っていた剣を取り出して応戦する構えをとった。
「さて、どこの国の者か聞きたいのですが……まあ、少なくともイゼルやぺスウェンではないことは自明ですね」
「答えると思うか?」
「まさか」
女性は彼女の答えを聞くと、そのまま持っていた剣を彼女に向けて一閃する。
その剣筋は、ランタンと月あかりしか光源がないこの暗闇でも、美しいとさえ感じるほど滑らかだった。
しかし、ソフィアはいともたやすく剣で受け止める。
「ラザレス、下がっててください」
「待って、俺も……!」
「城内で魔法を使うつもりですか? いいから、任せてください」
……確かに、彼女の言うとおりだ。
今ここで魔法を使えば、偶然ここを通りかかった関係のない人も巻き込んでしまうかもしれない。
かといって、俺はもう剣が使えない。
「……ごめん、任せた」
「それでいいんですよ。任されました」
彼女は背を向けて答える。
それと同時に、女性の美しい剣筋がまたソフィアを襲う。
ソフィアはそれを受け止めるが、女性はそれを意にも介さず何度も彼女を切りつける。
「ハッ、どんな実力者かと思えば。防戦一方じゃないか!」
女性の言う通り今のソフィアは剣で攻撃を防いでしかいなかった。
だが、女性も攻撃を繰り返しているうちに違和感を感じたのか、突然背後に飛びのいた。
「……貴様、なんのつもりだ。そこまで私の剣筋を見切っていて、何故反撃してこない」
「反撃がお望みでしたか? なら、こちらから行きましょう」
ソフィアはそれだけ言うと、女性に向けて一閃を放つ。
だが、その剣筋はあまりにも素直で、剣を持ったばかりの人でも力さえあれば簡単に受け止められそうだ。
「手ぬるいな。その程度か、貴様たちの力とやらは!」
「手ぬるいのは貴方ですよ。多分、あなたは今日が初めての実践なのでは?」
ソフィアはそれだけ言うと、持っていた剣を手から離した。
そのため、女性の剣にかけられていた力がなくなり、そのまま両腕を真上に挙げる格好になってしまう。
そんな女性の腹を、ソフィアは思い切り蹴り飛ばした。
その衝撃で彼女は壁まで突き飛ばされ、そのままソフィアの剣先が彼女ののど元に突き付けられる。
「だから、その証拠にこういった不意の出来事に対応できない。それに、あなたの剣筋は美しすぎます。人を殺すためのものとは到底思えない」
「……ッ」
「ですが、あなたが弱いと言っているわけではありません。これが実践でなく試合だったとしたら、きっと私は負けていたはずです」
「じゃあ、今度はオレにも構ってくれよ」
突然、闇の向こう側から女性の声が聞こえた。
それと同時に、こちらに向けてナイフが飛んでくる。
俺はそれを右腕の先にある空気に魔力を流し、右腕代わりの氷で受け止めた。
「へえ? そっちが旧賢者か? オレの不意打ちを受け止めるなって、やるじゃねえか」
「……旧賢者、とはどういうことだ?」
俺の問いには答えず、彼女はこちらへと歩いてくる。
その時に、月明かりに照らされてようやっと彼女の姿が見えた。
彼女の容姿としては、整えられていない銀色の髪の毛が特徴的で、フードをかぶっているため顔は良く見えない。
「そのままの意味だよ。アンタはもう、賢者の法には必要ない訳だ」
「……元々求められるつもりはない」
「そうかよ。ケッ、かわいげのねぇ野郎だ」
彼女は俺にそれだけ言うと、今度はニタニタしながら女性の方へ向かっていく。
「よお、『ユウ』。随分とコテンパンにされたじゃねえか」
「……黙れ、『リンネ』。今までどこへ行っていた」
「おいおい、そんな睨むなよ。こんな城に来るなんてめったにねえからよ。ちょいと探検してたんだよ」
リンネと呼ばれたフードの女性は、ニヤニヤとしながらユウと呼ばれた女性の方を見る。
それと同時に、ソフィアとユウの間に割って入る。
「悪いな、こいつはオレの連れでね。ここで殺すわけにはいかないんだわ」
「……なら、どうしますか?」
「簡単だよ。いいか、オレの眼を見てな」
リンネは今度は真面目な表情でソフィアの顔をのぞき込む。
すると、ソフィアが急に膝をついてしまう。
「……何を、したんですか?」
「オレの呪術は、目が合ったやつに夢を見せる力だ。まあ、その代わりオレにとっての女らしさとやらがなくなるが、まあ軽いコストだろ」
……呪術は、魔法ではない。
だから、ソフィアの魔法を無力化する魔法も、リンネには通用しない。
そのため、彼女はなすすべもなく床に倒れてしまった。
俺は自身の足に魔力を込めて、カーペット全域を凍らせるつもりで彼女たちの動向を伺っていた。
その瞬間、彼女たちもソフィア同様地面に膝をついた。
「……ッ、なんだ、これっ……!?」
「く、そっ! 頭が、割れる……!?」
あまりにも急な出来事に、俺はただ立ち尽くすことしかできずにいた。
すると、俺の背後から少年の声が耳に入る。
「ここは僕の国だよ。あまり騒がないでほしいな」
背後には、ぺスウェン国王が、寝ぼけ目を擦りながら立っている。
俺はそんな彼の姿を一瞥した後、地面に倒れているソフィアを抱きかかえ、そのままぺスウェン国王に振り向く。
「大丈夫。本当に彼女は寝ているだけだから」
「……助かりました」
「いや、いいんだよ。それより、問題なのは二人に、未来を見せちゃったことだね。拘束はしておくけど、たぶん明日には消えてると思うから」
何故、と反論しようとしたがそれが無駄なことだとわかり口を紡ぐ。
今までだって、賢者の法を追い詰めたと思ったら逃げられてきたのだ。
俺はぺスウェン国王に頭を下げると、ソフィアをベッドに戻しに部屋に戻った。




