103 吹雪
あの後、俺たちは自身の部屋で休むよう言い渡され、部屋に向かって歩いていた。
お互い、話すことはなかった。
悪魔のこともあるが……それ以前に、戦争の光景が頭に焼き付いて離れなかったのが大きい。
死は救い、その考えを曲げる方法は俺にはわからない。
だが、やはり罪のない人間がこうして無残に殺されるのは、心に来る。
心に来るものがあるのはソフィアも同じらしく、避難所となっている食堂の方向を何度も見返していた。
その時、俺は正面からくる人物に声をかけられた。
「……よお」
「……ああ、リクか」
彼は軽く手を上げると、俺もおずおずと同じように上げる。
……彼とはあの地下牢以来で、少しだけ気まずい。
「……その、だな」
「何だよ」
「ありがとな。お前のおかげで、多くの人が救われた」
「多くの人が救われた?」
……彼の言葉に、つっかかるものがある。
俺が救ったのは、あの少女だけだ。
それに、救えなかった人たちの死体を、さらにたくさん見てきた。
「……リク、俺は大したことはしてないんだ。あの女の子を助けただけで、ほかは何も……」
「町の中に入ってきたやつを倒したんだろ? それに、二人も大物を倒したって聞いたぜ?」
「ああ、だけどそれだけで……」
「んなことねえよ。お前があいつらを食い止めてくれなきゃ、きっとまだ被害は増えてた」
そういうと、彼は俺の肩に手を置く。
……彼なりのやさしさなのだろうが、今はその腕が異常に重く感じられた。
「それに、たった一人でも助けたんだろ? 俺は軍人という立場上武器しか握れないが、お前は人の手をも握れるんだ。誇れよ、ラザレス」
「……誇り、か」
「ああ。だからよ、胸張って歩け! 戦争なんてもんは生き抜くのも大変なのに、お前はさらに人を救ったんだ!」
そう言って高らかに笑う彼に、少しだけ救われた気がした。
『人の手をも握れる』、か。
そんなこと、考えたこともなかったな。
「ベテンブルグ卿、お耳汚し失礼しました」
「いえ、ありがとうございました。……私も、救われた気がします」
「そうですか。それなら良かった」
彼はそれだけ言うと、踵を返して歩いていく。
……踵を返すということは、わざわざ言いに来てくれたのだろうか。
「いい人ですね、彼」
「ああ」
「……ラザレス?」
「ん?」
「その、涙が……」
俺は頬を触ると、確かに涙が流れていた。
……なんでだろうか。悲しいことなんて苦じゃないはずなのに。
それなのに、止まりそうもない。
心はこんなに落ち着いているのに、まるで止まりそうにない。
「……戻りましょう。ここじゃ、寒いでしょう?」
「……ああ。わかった」
俺はあふれ出る涙を拭いながら、自身の部屋へと歩いていく。
今思えば、俺は戦争で誰かを直接的に救ったことは、初めてだったのかもしれない。
だからだろうか。先程の涙の理由も……。
俺は扉を開き、コートを脱いで自身のベッドに横になる。
ベッドの質はかなりいいもので、自分の体重を跳ね返すことなく受け入れてくれるため、体への負担が少ない。
それに、どこか柔らかな香りがするため、目を閉じるとそのまま眠ってしまいそうだ。
俺は寝返りを打つと、壁にかかった大剣が目に入る。
その大剣には見覚えがあった。
「……ザール」
彼の名前を口にしてしまう。
呪術が俺の身体から消え去ったことで、彼への記憶が少しずつ戻ってきているのだ。
だから、彼の言ったことが嘘偽りなかったということも、今ようやっと理解できたのだ。
ザールは、昔森で倒れていて、ほとんど餓死寸前のようだった。
森を偶然散歩していた俺と俺の両親は、そんな彼にパンを与えた。
今思うと、小麦を焼いただけの安物だが、それでも彼は俺達へ何度も感謝してくれた。
話を聞くと、彼は気が付いたらここにいて、記憶がほとんど消えてしまっていたと彼の口から告げられたのを覚えている。
彼が俺の側にいてくれたのも、きっとあのパンの礼のつもりだったのだろう。
……だが、彼の言葉で一つ気にかかる部分がある。
俺に、妹などいなかったはずだ。
俺の両親は、ある日盗賊に襲われて殺された。
その頃幼かった俺はザールに手を引かれ、森の中を走り続け、そこで俺は孤児院の主……ダリアに出会った。
ダリアに出会い、そこで……。
「……」
深く息をつく。
俺はそこで魔法を学び、力を手に入れた。
そしてある日、俺は孤児院にいる皆を殺した。
孤児院にいる皆も、俺や皆を殺そうと必死だった。
生き残らないと、ここで殺される。
生き残れば、兵士として国に仕え、幸せな人生を送ることができる。
だから、みんな必死だった。
だが、俺は一人だけ殺せなかった。
ザールだけは殺せず、俺が殺した全ての人を顔が分からないほどの焼死体にして、ダリアの追及を逃れたのだ。
……今思えば、俺はあのころから化け物だったのだろう。
孤児院というのは、四六時中仲間と一緒にいるので、ほとんど家族みたいなものなのだ。
その家族を、一人一人死体を燃やしたのだから、普通の人間ではまず精神が持たないだろう。
そんな考え事をしていると、急に甘い匂いが俺の鼻腔をくすぐった。
見ると、二つのマグカップにココアを注いでいるソフィアの姿があった。
「一息つきませんか? お互いに、考え込んでいても今は仕方がないでしょう?」
「ああ、ありがとう」
俺は起き上がり、左手で彼女の手からマグカップを受け取った。
一口すすると、少しだけ濃い不器用な味のココアが、俺の心の芯まで温めてくれる。
「外、吹雪いてますね」
「え?」
彼女の声につられるように、窓の外を見る。
すると、そこには夜の空を切り裂くように白い雪が横殴りに窓を打っていた。
とはいえ、この城の窓は二重に作られていて、吹雪が割るということはないだろう。
「そういえば、二人でこうやって落ち着いて話すのは久しぶりですね」
「まあ、状況が状況だからね。仕方ないんじゃないかな」
「もっと顔出してくれていれば、いっぱい時間を作れたと思うんですがね?」
「それの頭には『休憩の』がつくだろ?」
「ええ。当然じゃないですか」
開き直られた。
とはいえ、彼女の仕事が忙しいのは事実らしく、彼女の補佐ですら求人に応募する人は多くはなく、むしろ一人いれば御の字といったところだった。
それも、誰が言ったか『給料だけはいいが、他に褒められるところはない』という噂のためだろう。
まあ、事実なのだが。
「なんか、失礼なこと考えてません?」
「全然?」
俺は誤魔化すようにココアに口をつける。
彼女はこの噂は知らないようだが、知ったら確実に傷つくだろう。
傷つく彼女は見たくない。
「そういえば、ラザレス。その、賢者の力を取り戻したんですね」
「……うん。でもその代わり、呪術は使えなくなったけどね」
「呪術?」
彼女は怪訝そうに俺の顔をのぞき込む。
そういえば、俺は彼女に言っていなかった。
「……うん、物を硬化させる呪術。あれ、魔法じゃないんだ」
「そうなんですか? それで、代償は?」
「記憶。実際、記憶がないから魔法も使えなかったしね」
彼女は何かに納得したように何度もうなずく。
そして、もう一度口を開いた。
「それで、何故呪術が使えなくなったんですか?」
「フィオドーラの呪術が、呪術を奪い取る力だったんだ。だから、メンティラもあいつに殺された。呪術を奪い取ると同時に、代償も返還されるからね」
「……確か、イフ家の人ですよね。賢者の法にまた入信したということでしょうか?」
「違う。あいつはダリアの呪術も使ってた。だから、どちらにも属してない立場って言うだけだと思うんだ」
あいつは、必ず殺す。
そう言いたしそうになり、慌てて口をつぐむ。
だが、友を殺されたのだ。許せるわけがないだろう。
そう考えると、自然に左腕に力が入り、マグカップの中のココアがコトコトと静かに揺れていた。




