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98 傷跡

 あれから、どれほど経っただろうか。

 既に太陽は沈み、俺の頬はいつの間にか降っていた雪に冷やされていた。

 だが、俺はそれを払いのける腕は持っていない。


 ……ザールも、メンティラも死んだ。

 彼らは、俺よりもずっと強かったし、まだ俺と一緒にいてほしかった。


「……」


 白い息を吐く。

 寒い。

 だが、もう温める腕すら、俺には持ち合わせてはいない。


 それでも、雪はそんな俺をあざ笑うかのように降り続ける。

 それを防ぐすべを持たない俺は、ただ震えるのみだった。


 その時、俺の頭上に影が差した。


「……風邪、ひきますよ」

「……」


 ソフィアは、俺の頭上に傘をさしてくれた。

 だが、それだと彼女の方が濡れはしないだろうか。


 そう思って顔を上げると、彼女は自身の首に巻いていたマフラーを、俺の肩にかけてくれる。

 そして、俺の隣に座り、独り言ちに行った。


「……メンティラが、息を引き取りました」

「……」


 ……何も、言葉にすることができない。

 俺は、この未来を知っていた。慎重に行動すれば、回避できたはずなのだ。

 それが、ただただ悔しかった。


「……ソフィアは」

「え?」

「ソフィアは、平気なの?」


 思いもよらない言葉だっただろう。

 彼女にとっても、俺にとっても。

 少なくとも、俺が意識して出した言葉ではなかった。


「辛いですよ。でも、愚痴や弱音なら、死んだ後にいっぱい聞いてもらいますから」

「……それは?」

「もちろん、ベテンブルグにも、ザールにも、メンティラにも……あなたにも」


 彼女はそれだけ言うと、俺の体に身を寄せてくる。

 ……愚痴や弱音なら、死んだ後に吐けばいい、か。

 彼女は強い。

 ……きっともう、俺じゃ追いつけないほどに。


 俺はマフラーで口を隠し、そっとため息をかみ殺す。

 その時、不意に彼女は口を開いた。


「……ラザレス、右手はどうしたんですか?」

「え?」

「右手、どうしてコートから出さないんですか?」

「……それは」


 正直指摘されるとは思わなかったから、少しだけ答えにくい。

 だが、彼女は俺を少しもせかそうとはせず、じっと俺の眼を見て言葉を待っている。

 そんな彼女は、今はとてもありがたかった。


「……もう、ないんだ。少なくとも、マクトリアから発つ頃には既にフォルセ先代国王に切り落とされていた」

「……フォルセ先代国王に?」

「うん。マクトリアでね、霧が発生したときに出会った」

「……はぁ」


 彼女は何かため息をついたと思うと、急に俺の首に手をまわしてくる。

 何かと思いそれを眺めていると、彼女は思い切り俺の首に巻かれているマフラーを引っ張り、首を絞めてきた。


「……く、ぅ……!」


 俺が必死に彼女の手を振りほどこうとすると、簡単に手が外れる。

 それと同時に、急に肺の中に空気が入り込んできて、むせこんでしまった。


「げほっ、げほっ……」

「はい、それでチャラです」

「げほっ……チャラって、何が?」

「隠し事、またしましたよね?」


 ……そういえば、隠し事をするなといった約束を、前に結んだことがある。

 呪術がなくなったからか、少しずつだが、記憶が戻りかけているのだろう。


「……ひどいな。俺だって、君が嫌いで隠し事しているわけじゃ――」

「私のことを心配して隠し事をしているのなら、なおタチが悪いですよ。もう、十年以上の付き合いになるんですから、そろそろ私の性格くらい理解してください」

「え?」

「見くびるな、って言ってるんですよ。私は、あなたが思うように弱い女じゃないってことです」

「……はは」


 それは、もう十分にわかっていた。

 彼女は、十六歳にして自身の親代わりの死に立ち会い、それでも前に進もうとしていた。

 そして今も、彼女は前に進もうとしている。

 今思えば、そんな彼女にとってこの心配は杞憂だったのかもしれない。


 ……でも、それなら。


 俺は足元の雪を救い、そのまま彼女の頬にぶつける。


「きゃっ!」

「……それでチャラだよ」

「え? 何の話、ですか?」

「お忘れかな、クリストくん?」


 俺の言葉を彼女は理解したようで、頬を膨らませた。


「あれは、しょうがないじゃないですか! だって、ベテンブルグの当主が女だって知られるわけにはいかないんですよ!」

「事前に一言言ってほしかったな」

「……え、と。それは、その……」


 俺の言葉に、次第にしどろもどろになっていく。

 そんな彼女を見て、思わず吹き出してしまった。


「……ぷっ、ふふ、ははは!」

「笑うことないじゃないですか! それに、見抜けなかったのはラザレスだけですよ!」


 ……あ、それちょっとショック。


「……ありがとな、ソフィア」

「いえ、構いませんよ。部下のメンタルケアも、上司の務めですから」

「もう俺は、すっかり君の部下なんだね」


 もう、俺の心に迷いはない。

 だが、心に残っていないものがない訳でもない。


 ……でも、それでも立ち上がっている少女がいる。

 俺も猿真似だけど、もう少しだけ頑張ってみたいと思った。


 その時だった。

 不意に、城の外から何か、大きな声のようなものが聞こえた。


「……ソフィア、聞こえた」

「はい。もしかしたら……」


 彼女はそういうと、素早く立ち上がりそのまま中庭から先ほどの謁見の間まで駆けだす。

 俺は彼女の言う「もしかして」の意味がいまいちわからなかったが、それでもここにいるわけにもいかず、彼女の後を追いかけた。



 謁見の間の前の扉には、すでにマリアレットがたっていた。

 彼女は俺たちを見ると、少し驚いた後、おどけて言う。


「やあ。雪遊びは楽しかったかい?」

「はい。今度ぜひ一緒に」

「遠慮しとく」


 それだけ言うと、彼女は謁見の間の扉を開ける。

 既にそこには、甲冑に身を固めた数百人の男たちと、その先頭には以前見た顔があった。

 だが、彼らは開け放たれた扉を見ようともせず、先頭に立っている男、ぺスウェン国王のみを見つめていた。


「さて、これで聞いてほしい人全員集まったかな」

「……もしかして、あいつらかい? 陛下」

「そう。勘のいい君たちなら気付いていると思うけど……」


「フォルセが、この国に攻めてきた」


 息をのむ音が聞こえる。

 ……いや、もしかしたら息をのんだのは他でもない俺だけで、ほかの者はわかっていたのかもしれない。

 だが、こうして他国がここに攻め込んできたという報告を受けて、冷静でいるというのは、相当経験がいるはずだ。


「既に駐兵が市民の避難させているけど、彼らの錬度は知っての通り、戦争で一騎当千出来るほどじゃない。だから、今すぐにでも君たちに出てもらう」

「御心のままに」

「……それと、客人には申し訳ないんだけど、この国は見ての通り不意打ちで、戦力もそれほどそろっているわけじゃない。だから……」


「賢者様、君にも戦ってもらうよ」


 その名を呼ぶと、数人の兵士がどよめき始める。

 しかし、先頭にいるリクが持っている武器を地面に打ち鳴らし、彼らを黙らせた。


「構いません。もとより、同盟を組ませていただいている立場ですから」

「そう言ってくれるとありがたいね」


 ソフィアは何故俺がその名で呼ばれているのかはわからないようで、ただこちらの表情をうかがっていた。

 俺はそんな彼女を一瞥し、微笑む。


「さて、諸君。わからせてやろう。喧嘩を売る相手を間違えたということを」


 少年の言葉とともに、一斉に彼らに不敵な笑みが宿った。

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