02 ロリコン、暇を持て余す。
本編2話です。
今回もなかなか攻め気味です。
暇だ。
暇だ。
途轍もなく暇だ。
スマホもパソコンも、そして話し相手もいない。
こんな苦しみがこの地上にあるとは知らなかった。
俺は、ベビー服を捲って、俺の俺の存在を確かめる。
俺の俺は、確かにそこにいた。
確認が終わると、ベビーベッドの上を転がる。
まだ体が小さく、ベッドにも比較的余裕があるからこそなせるわざだ。
ここ最近は一日中こんなことをやって過ごしている。
…暇すぎて気がおかしくなりそうだ。
今まで過ごしてきてわかってきたことがある。
ここは中世ヨーロッパみたいな雰囲気のところで、魔法が存在し、いろんな種族が暮らしているらしい、ということ。
本格的にラノベの主人公みたいだな。俺。
そして、俺が「ミクちゃん」と名付けたネコミミガール。
あれは俺の母親らしい。名前はチエリア。16歳。
ふむ。猫キャラなのにチエリ…いや、なんでもない。
この世界にソシャゲはない。よってこれは単なる偶然。偶然なのだ。
…話を戻そう。
なんでも、彼女の祖母が猫の獣人だそうで、猫キャラはキャラじゃないらしい。
彼女は料理が好きで、食べるのも好き。猫舌は慣れで克服したそうな。
父の名前はロビンソン。
師範学校に勤めている。こちらはヒト族。18歳。
師範学校というのは、教員養成学校のことだ。教育系の単科大学に近い。
ロビンソン父さんは非常に頭が良く、12歳の時に飛び級で師範学校を卒業。
それ以来師範学校の職員として働いているという。
この若い夫婦の間に生まれたのが俺、アリオという訳だ。
俺たちは「リリー村」という村に住んでいるらしい。
イツキ=カワグチ男爵が治める、小さな村だ。
ユリの群生地として知られており、観賞用のユリの生産と観光業が村の基幹産業になっている。
イツキ=カワグチ。どことなく日本の香りがする名前だ。
川口樹さんといったところなのだろうか。
男爵には俺と同じ歳の娘さんがいるらしい。気になる。
…えっちなことは考えていない。本当だ。
☆☆☆
圧倒的に暇を持て余している。
やることといえば4つだけだ。
泣く。
寝る。
おっぱいを飲む。
聞き耳をたてる。
暇つぶしに昼寝ってどんだけいいご身分なんだって感じがするが、他にやることがないのだから仕方がない。
これは拷問になりうる。確実に。
☆☆☆
この世界には、5歳になるまでは家の中から出してはいけない、という暗黒の…もとい暗黙のルールが存在する。
5歳になった子どもはまず、占いによって可能性を示される。らしい。
それまでは外に出ちゃいけない。
クソみてえな慣習だ。ぶっ壊してやる。
…と思っていた時期が私にもありました。
ミクちゃん、もといチエリア母さんの話では、「家の外には野獣的なつよいのがいっぱいいるから、可能性を示されるまでは家からは出せないのにゃ」ということらしい。
心の健康と安全を天秤に載せなきゃいけないなんて、と嘆きつつ、日々を空虚に過ごしていた。
☆☆☆
気づくと俺も5歳になっていた。
明日が占いの日。
村の子供たちが役場に一堂に会して、それぞれの可能性を占われる訳だ。
明日は今生の俺のはじめての外出になる。
前世から通算で5年ぶりの外出。
結論から言うと、今日まで家からは一歩たりとも出られなかったのだ。
理由は…野獣こわいから。
仕方ないね。
そんなわけで、明日の外出が、楽しみで仕方ありません。
ベビーベッドはとっくに卒業し、今はキングサイズのベッドで、家族3人で川の字になって寝ている。
ショタっ子生活にも慣れ、少しずつ日々を楽しめるようになってきた俺は、一人称を「ぼく」に改め、アリオ少年を演じることに意識を集中させていた。
外出前夜。
この世界の幼い子供たちにとって、外出ほど魅力的な行動はない。
外出に浮かれてベッドの上で飛び跳ねる俺を、ロビンソン父さんが諌める。
「アリオ。楽しみなのはよくわかる。でもな、怪我をしては元も子もないぞ。それに、明日は早いんだぞ?もう寝たほうがいい」
「うん。父さん。ぼくにはどんな可能性があるのかな」
「そうだな、アリオ。お前ならなんだってできるぞ。若いってことはそういうことなんだ」
父さんはそういうと、俺の頭をポンポンと叩いてくれた。
助けてほしい時に助けてくれる先生。
彼のような人間が、教育者に相応しい人間なのだろう。
「父さんもな。母親以外の女の子に会えると思ったら寝付けなかった。でも、今寝なければ明日、女の子たちにかっこ悪いところを見せてしまうと思ったんだ。そしたらすっと眠れた」
…理想の教育者って、どんななんでしょう。
俺は、はやる気持ちを抑え、眠りについた。
この村には教会がありません。
領主のイツキさんは、宗教をあまりよく思っていないためです。
他地方では5歳の可能性審査は基本的に教会で行われ、実質的にはそれが大いにその後の進路に影響します。
宗教を信じる人々にとっては、教会の言葉はすなわち神の言葉だからです。
イツキさんの審査はただのアドバイスで、今後のことは個々人の意思に委ねられています。