変身の魔法。
「さっ、泣くのはお終い。メイクが崩れるから涙を拭うだけじゃなくて鼻水も出し切っておきなさいよ。」
「はい・・・・・。ズビズビズビーッ。」
「ずいぶん豪快ね。」
「あははっ。」
思い切り鼻をかんだら笑えてきた。
「いい笑顔するじゃない。とても魅力的だわ。私が貴女をもっと輝かせてあげる。メイクで変身の魔法を掛けるわ。」
広いドレッサーの上にカタカタとコスメを載せていく。それはとてもカラフルで見ていると気持ちが明るくなった。
「綺麗でしょう?」
「はい。」
おかまちゃんが満足そうに微笑む。そのまま小さいチューブを手に取ると中身を絞り出してトントンと顔に乗せてくれる。
「これは化粧下地。メイクのノリを良くしてくれるの。次はパウダーね。貴女は肌が綺麗だからルーセントタイプで充分ね。貴女、使ってみたい色とかある?」
「えっと、あの私、メイクってしたことなくて••••••。でも、ピンク色とか優しい色が好きです。」
「そうなのね。じゃぁ、ピンク系のメイクでいきましょう。ルースの後はピンクのチークでっと。」
パタパタとパフで叩かれた後、大きくふわりとしたブラシが撫でるよう頬の上を滑っていく。
「次は眉、形はさっき整えたからマスカラで1トーン明るくして。ライナーでしょう。それからアイシャドウ、ベージュを塗って目尻にピンク、下まぶたにもライトベージュを入れてっと。ちょっと目を開けてみて。うん、良い感じ。それからこれ。知ってる?」
おかまちゃんの手にはシルバーの物体。よく見るとビューラーだった。
「ビューラーですよね?」
「あらっ、知ってるのね。何かつまんない。使ったことは?」
「無いです。」
「そう。じゃぁ、少し目を伏せて半開き位で。そうそう。いくわよ。」
手にしたビューラーが目元に近付いてくる。少し怖くて余計な話を思いつく。
「あ、あの、おかまちゃんはやっぱり男性が好きなんですか?」
自分で聞いておきながらミスったと思った。おかまちゃんはビューラーを置き直し腕組みをしながら見下ろしてくる。
「それはゲイ。私はちょっと違うわ。男でも女でもいけるバイなの。」
そう言うと長身な身体を折り、肩を掴まれ顔をずずいと近付けられ唇が当たりそうになる。あまりの事に動揺し私は座っていた椅子を蹴り飛ばしキャスターの勢いを借りて後ろに逃げた。勢いよく壁に当たり頭を打つ。
「痛いっ。」
「馬鹿ねぇ。貴女みたいなひよっこ、興味ないわ。私の好みは男でも女でも自分の道は自分で切り開いていくような強い人間よ。もちろん貴女が将来そういう女になれば対象になるかもしれないけど。さっ、馬鹿な質問は終わりにして。戻ってらっしゃい。」
強かに打った頭を撫でながら気まずくドレッサー前に戻る。おかまちゃんは何事も無かったかのようにビューラーを手に私を待ち受けている。
「大丈夫。私はプロよ安心して。マスカラもブラウンがいいわねえ。でも黒髪だから重めのブラウンでっと。」
言いながら後頭部を支えられ、何とか両目にビューラーとマスカラを施された。やってみたらビューラーよりマスカラの方がずっと怖い。睫毛の生え際ギリギリまで差し込まれるあの小さいたわしみたいなブラシは目に刺さったらとても痛そうに見える。もちろんおかまちゃんはそんなことしなかったけれど。
「最後はリップね、ピンクと思ったけど透明グロスでいきましょう。艶々にしてっと。うーん、我ながら良い感じ。次はヘアね。」
伸びきったロングヘアをブラシで大雑把に後ろ側に流される。伸びた前髪が生え癖で前に戻され視界を塞ぐ。
「長い前髪も色っぽくていいかと思ったけど、前に流れ込む癖があるのね。思い切って前髪作ってみましょう。それから全体的に軽くして。」
おかまちゃんは躊躇無くサックリと前髪を切り落とし、サイドから後ろの髪も持ち上げた髪を落としながらサクサクと切っていく。伸びきって重かった髪がどんどん軽くなり、床を黒髪が埋め尽くしていく。鏡を見せてもらえない分、どんな仕上がりになるのか不安が募る。
「うふふっ。気になる?あとはアイロンで軽く巻いてっと。あと着替えね、スタイリストのまさえちゃんにブログの写真を見せてイメージとサイズ感を伝えておいたから完璧よ。清楚な感じのワンピースにコート。まっ、王道ファッションだけど、貴女には結局こんな感じが似合いそうね。それからブーツ、こればっかりはサイズが分からないから大きめを用意したけど、足が入れば取りあえず脱げる事は無いから。さっ、私はここから出るから着替えたら呼んで。」
そう言うとおかまちゃんはシャッとカーテンを開けて出て行った。ハンガーに掛けられたワンピースとコートはクセのないシンプルな作りだ。私はスエットを脱いでワンピース、続いてブーツに足を通し、コートを着る前にカーテンの外に声を掛けた。
「着替え終わりました。」
「そっ、じゃぁ確認してくるから。あなた達は待っていて。」
おかまちゃんはカーテンの向こうで見たい見たいと騒ぐチカさんと宮下さんをなだめてひとりメイクルームに入ってきた。
「もぉーっ、私ってばやっぱり天才だわ!!あのムダ毛ボウボウの垢抜けない子がこうも変わるんだから。いらっしゃい。」
手を引かれ、カーテンの向こう側に移動する。
「うわぁっ。すっごい変わった。」
「やっぱり、私が目を付けただけあるわ。」
宮下さんとチカさんがワイワイと騒ぐ。盛り上がりようを見てどんな風に変わっているのか確認したい衝動に駆られる。
「気になって仕方ないでしょう?鏡、見せてあげるわ。目をつぶって。」
おかまちゃんが手を引いて鏡の前に誘導してくれる。
「いいわよ。開けて。」
ゆっくり目を開けると、ドレッサーの前でなく大きな姿見の前に誘導されていた。鏡に映る私は別人のように垢抜けていて軽い目眩がした。
「お、おかまちゃんの魔法って凄いです。」
「なぁに言ってんのよ!!元々の貴女の隠れていた素質を引き出しただけよ。言ったでしょう?上玉だって。ところでチカ、この子の名前何て言うのよ。」
「やだ、紹介してなかったっけ?明莉さんよ。」
「さんなんて。明莉でいいじゃない。呼び捨ては心の距離を縮める簡単な方法なんだから。」
「じゃぁ、明莉で。」
おかまちゃんの提案にチカさんが賛同する。
「大事なこと言い忘れてた。明莉にはこれからウチの事務所の所属女優になって貰うつもりだから。」
「わ、私が女優?! 」
チカさんのサラリと口にした重大発言に頭がついていかない。夢なんじゃないかと回りを見渡すけれど一向に冷める気配は無かった。