捨てる命なら。
「こんにちは。そうこの子が例の子。あっ、明莉さん、座る前にマスクを外してそこに立ってみて。」
「えっ?」
突然のことに戸惑いを隠せず、体が硬くなる。
「マスクを外すの。」
チカさんがもう一度ゆっくりとした声のトーンで語り掛けてきた。こんな所まで連れられて来てしまったら私は無力だ。そろそろと手を伸ばしマスクを外す。
「うわぁ。顔がすっごい小さくて色白。いいなぁ。」
「9は無くても8等身って所かしら?」
マスクを外した姿を確認したスタッフが感嘆の溜息をこぼし、宮下さんと呼ばれていた女性がさらりと呟く。
「2年も外に出ないとこんなに白くなるのかしらね。身長もなかなかだし、容姿も思った通りね。ここに座って。」
チカさんに正面のテーブルを軽く叩かれ、座るように促され、言われるままに席に着いた。
「クロワッサンサンドとアイスティーを三つお願いね。ちょっと長くなりそうだからチャイムを鳴らしたら持ってきてくれる?」
「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ。」
「ありがとう。」
オーダーを受けたスタッフが階下に降りていったのを確認するとこちらに向き直り、澄んだ瞳で真っ直ぐに見つめられた。
「簡単に言うわ。捨てる命なら私に預けてみない?悪いようにはしないから。」
「えっ?」
「貴女、二十歳になったら死ぬ予定なんでしょう?10代でいじめられて、引き籠もって人生を悲観して。これと言った楽しみもないただの薄っぺらな人生を二十歳で終わらせる。そのペラッペラな人生に唯一花を添えるのが二十歳の節目での自殺。なんて可哀想な私。チャンチャンってシナリオかしら?」
「はっ?」
馬鹿にされているような言い方に返す言葉も出ない。ムカムカと胃の中の内容物がせり上がって来るような感覚を覚えた。見も知らぬ他人を信じた私が馬鹿だった。2年前の教室の風景が蘇る。たまらず椅子から立ち上がった。
「ちょっと、チカ言い過ぎよ。彼女には刺激が強過ぎる。顔色が
悪くなってるわ。それ以上傷付けちゃ駄目よ。」
見かねた宮下さんと呼ばれていた女性が慌ててチカさんを制止する。
バーンッ!!!
チカさんがその制止する手を避けて強くテーブルを叩いた。
「はぁっ?傷つくって誰が?ねぇ、貴女死ぬんでしょう?だったらこれくらいの事何でも無いんじゃない?死んだらどんな良いことがあるの?そんなの何もないに決まってるじゃない!ただ燃やされて埋葬されてその後には貴女の気持ちや意思なんてどこにもない!!断言してもいいわ。死んだら幸せなんて貴女の勝手な幻想なの!!」
話が違う。私は責められに来たわけじゃない。記憶の中に少しくらい楽しい思い出を残しても良いだろうとその思いでやって来た。帰ろう。こんな所にいるだけ無駄だ。私は無言のままテーブルから離れた。
「待ちなさいよ!」
チカさんにすごい力で腕を掴まれた。胸のムカムカが強くなる。
「私の何が分かるんですか?帰ります。」
「分かんないわよ。何にも分かんない。でも、貴女にも私の気持ちなんて分からないでしょう?」
腕を掴んでいる手と逆の手で車椅子を前後に動かした。
「もう分かってると思うけど、私モデルだったの。結構人気もあって雑誌の表紙も何回も飾ったわ。チカ巻きなんて髪型も流行って絶頂の時に事故に遭ったの。車に乗ってたら、後ろからドカーンって。何が起きたか分からないまま体が投げ出されて気が付いたら半身不随ですって。はぁ?って私モデルよ。立てないとかあり得ないんだけど。嘘でしょうって。で、足を動かそうとしたら見事に動かないの。全く全然。終わったって思ったわ。こんな体になってもうモデルの仕事は出来ないって。でも、私にはモデル業しかない。だから必死で探して車椅子モデルの道を見つけたの。それにバリアフリーカフェの経営。絶頂期と較べたら仕事は激減。まさに栄光からの転落。消えて無くなりたいって思ったときにそういうサイトを見ていて貴女の死にたいのに死ねない私ってサイトを見つけたの。なんて馬鹿なことを考えて居るんだろうって思った。時々更新されるサイトにはハッキリとは分からないけど、顔写真もあった。私は職業柄沢山美しい人を見てるから分かるの。貴女は磨けば光り出す原石だわ。そんな秘めた才能があるのに投げだそうとするなんて大馬鹿だわ。私は正直、事故に遭うまでキラキラした人生しか歩んでこなかった。恵まれた容姿で沢山特をしてきたの。なのに貴女は素晴らしい物を持ちながら閉じ籠もって闇を見ている。そんな貴女に光を見せたいと思ったの。だから私も死ぬなんて思うことをやめたわ。貴女には輝けるもう一つの場所がちゃんとあるそれを知らせなきゃいけないって。」
掴んだ腕を引き寄せ、手首に付けられたリストバンドをずらされ手首の傷が露わになった。
「貴女はこんな事をするために存在するんじゃない。でも、その心の痛みも無駄にさせないわ。どう私に預けてみない?」
輝けるもう一つの場所。心の痛みも無駄にはさせない。暗闇だと思っていた人生にスッと光が差してきた気がした。手を伸ばしたら何かが変わるだろうか。下げられたリストバンドを元の位置に戻し手を引き戻した。チカさんの顔を見つめる。真剣で真面目な表情に嘘はない気がした。
「分かりました。」
ハッキリと強く口にする。
「良かった。これから一緒に頑張りましょう。」
チカさんは表情を崩し、和やかな笑顔を見せた。チンっとベルを鳴らすと頼んでいたクロワッサンサンドとアイスティーが運ばれてきた。『美味しそう』と呟くと、宮下さんと呼んでいた女性に声を掛ける。
「ねぇ、おかまちゃん呼んでくれる?」
「もうメールで呼んである。あと1時間くらいで来られるって。」
「さっすが宮下さん、仕事が早い。じゃぁ、おかまちゃんが来るまでの間にランチを楽しみましょう。それから紹介が遅れたけどこの人は宮下さん。とっても頼りになる私のマネージャーなの。」
「よろしくね。」
宮下さんがサッと手を差し延べてくる。その手を握り握手をした。
「あっ、ずるい。私も入れてよ。」
チカさんが笑いながら手を重ねてきてさっきまでの緊迫した空気感が嘘のように和らいだ。