死にたいのに死ねない私。
私の引きこもり生活を支えているのは完全にネットだ。
ネット環境がなく引きこもり生活をしていたのなら、私はもう少し社会性のある引きこもりになっていただろう。なぜなら人は欲しい物があるとき、外に出なければいけないのだ。家族に頼むと言っても頼みにくい物もある。オドオド人目を気にしながら買い物に出掛け疲れ切って帰ってくるようなそんな生活を送っていたかもしれない。
その点、ネット環境が整っている我が家は快適だ。欲しいと思えば大抵の物はワンクリックで買える。
ネットサーフィンを繰り返すうち、私は私と同じような心に闇を抱える人達とも知り合えた。愚痴をこぼし合い、傷を舐め合う。
精神を病んだ住人は医者から貰った薬剤を自慢気に見せびらかし、リスカの痕を惜しげもなく晒した。
私たちにとって死とは崇高な物で憧れの的だった。
死ねば楽になれるそれは私たちの心を照らす魔法の言葉で互いに死の方法論を時間を忘れて語り合ったりした。しかし、決断を下す者は中々現れない。意を決した書き込みに止めに入るコメントが殺到し、未遂に終わる。結局の所、みんな根底では生きていたいのだ。明るく眩しく、リア充と言われる充実した社会生活を送る人達のように。
いつだったか私もネットにリスカの痕を晒した。深く、くっきりと残る傷跡にそんなに深く切っても死ねなかったんだね。可哀想にとコメントが寄せられた。
普通なら死んでるよね。
運が良かったんだね。
神様が留めてくれたんだよ。
励ますようななコメントを見て前向きになるどころかますます後ろ向きになった。
死にたいのに死ねない私と言う名のブログを開設して日々不満を書き殴った。律儀に毎日書き連ね、ハッキリとは分からない程度に容姿を晒し、その世界でそこそこ有名になった。書くことは過激になり、そのブログの中に死のカウントダウンと言うカテゴリーを作った。
ゴールは二十歳。
つまり私はあと少しで生涯を閉じる。
そのカテゴリーの人気は凄まじい物で更新する度に沢山のコメントが寄せられた。死の手引きや、思い止まらせようとするもの。本当はしないだろうとオオカミ少年扱いをするもの。
二十歳の誕生日が近付くにつれてコメントが増え、私の気持ちは死に向けて鼓舞していった。暗闇でカタカタとタイピングをするだけの人生にオサラバするんだ。17才のあの日、死ねなかった私の無念を晴らすために。