サヨナラの電話
少々長いですが、お付き合い頂ければ幸いです。
僕は、最後にもう一度、留守番電話に残されていた声を再生した。
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――あー、あー、もしもし。うーん、やっぱり留守電になるなぁ。仕方ない。とりあえず、お前が聞いてくれることを信じて、音声残すとするか。
優斗。俺の大好きな親友。悪い。俺、たぶん死ぬわ。ここ、裏野ドリームランドで。
お前とは長い付き合いだよなぁ。保育園の時からだから、もう二十年か。随分とあっという間に過ぎた気がするわ。一緒にお絵かきしてた保育園の頃も、寄り道しながら服汚してた小学生時代も、お前の初恋に協力してた中学の時分も、俺の家出に付き添って星空で一緒にキャンプした高校の一時も、将来の不安と期待を語り明かした大学の生活も、全部昨日のことみたいに思い出せる。お前もそうだろ。そうに違いない。それくらいお前と一緒にいる時間が多かった。
ただ、不思議とお前とは趣味は合わなかったな。俺は小説とかアニメとかのサブカルチャーが好きだったけど、お前は不思議とそれを見ようとはしなかった。反対にお前はアウトドアで、スポーツをやったり観戦したり、釣りとかサバイバルゲームが好きだったな。運動がからきしだった俺はお前を羨んでいたんだぜ。まあ、知ってただろうけど。お前も俺の知識には驚いてくれてたからな。小説からの派生で、遠野物語やゾロアスター教の神話を語ってる時のお前の顔は、印象に残ってる。お前は知らないことを知れて、嬉しそうな顔をしてた。そう言う意味では、俺達は足りないところを補い合えるベストパートナーだったんだろう。言わなかったけど、昔から俺はそう思ってた。
まあ、そんな唯一無二の親友に何も告げずにこんな場所へ来て、何やってんだろうなぁ、俺は。いくら彼女の頼みとはいえ、お前にくらい言えば良かったのに。
知ってるだろ、俺の彼女、久代知美。あの赤みがかったセミロングの髪に黒縁の眼鏡を掛けたホラーマニア……いや、ホラーフリークって言った方が良いか。あいつだよ。久代に誘われて、俺はここに来たんだ。
きっかけは久代が肝試しに廃墟探索がしたいと言ったんだ。候補は何カ所かあったんだけど、最終的にはここになった。ここは色んな噂が絶えなかったから。どれか一個でも体験できれば御の字、幾つも遭遇した日には武勇伝が出来るってもんだ。危ない場所で生還できた人間だ、ってな具合に。久代は諸手を上げて喜んでたよ。……ああ、そうだよ。だってそうだろ、付き合ってるんだぜ。彼女が喜ぶ顔は見たいってもんだろ。
そうと決まってからの行動は早かった。廃墟探索がしやすい安全靴やLEDライトの購入、軍手やカメラの準備をして、決めた夜にすぐ向かったよ。その足は妙に浮かれてた。肝試しなのに、浮かれてるって言うのは変な話だけどな。
裏野ドリームランドは知ってるだろ。俺達の地元にある有名な心霊スポット。廃園になる前から、人が消えたとか、独りでに動くメリーゴーラウンドとか、池の底に巨大な影があったとか、おかしな噂が絶えなかった、あそこだよ。こうなった今考えると、ここへ来たのは失敗だったと思う。すごく後悔してる。身を持って噂を体験するとは思わなかったから。
真夜中に到着した裏野ドリームランドは、正直ヤバイと思った。何て言えば良いのかな、俺、別に霊感とか無いんだけど、明らかに空気が違った。外は熱帯夜で、廃墟探索のためとはいえ長袖着てたから、クソ暑かったんだけど、ここのゲート前に立った瞬間から背中に冷たいものが流れた。血管に氷を直接流されたみたいに、ゾッとした。思わず久代を見たら彼女も同じような顔をしてた。悪寒にやられた顔。ただ、彼女の場合、すぐに嬉しそうな顔に変わって、早く行こう、なんてせっついてきたけども。俺は内心引き返したかったけど、彼女一人放置して帰る、なんて訳にもいかないから同調して中へ入った。
入るのは割と簡単だった。正面にある入場ゲートは有刺鉄線やら板やらでバリケードが出来てたんだけど、その横にある従業員用の扉があって、そこから入った。勿論そこも鎖と南京錠で封鎖されてるんだけど、南京錠が壊れてるらしくて、そのまますんなりと外れた。で、そこを開けるとチケットなんかを確認する従業員の詰め所に出て、入った場所の反対側にある扉を抜けると、噂の悪夢の国の中って訳だ。
噂のスポットは何カ所もあったけど、俺達は初めにドリームキャッスルへ向かった。まあ、それが失敗だった訳だけど。
ドリームキャッスルの噂は知ってるか。開園してた頃は王様やお姫様の人形や役者が出てきて、来客者を楽しませるアトラクションだったんだけど、その経路を外れたところに、一応スタッフオンリーの札は下がってる、というか下がってたんだけど、地下があるんだ。その地下には上の雰囲気とはそぐわない拷問施設があるって話。
噂は本当で、あったんだよ、拷問施設。ただ、時代とかまるで無視して、古今東西にある拷問器具が並んである感じだった。アイアンメイデンとか、ファラリスの雄牛とか、電気椅子とか。拘束台もあったし、近くにはペンチとか、錐とか、ノコギリとか、色んな工具もあった。……ああ、間違っても調べるなよ。世の中には知らない方が良い知識ってのは間違いなくある。これなんかもそうだ。知ると、人間ってこうも残酷になれるんだって思えるよ。特にファラリスの雄牛は。
まあそんな感じで拷問施設を発見した俺達は、興奮していた。特に久代は拷問器具に赤黒い色を発見したりしたもんだから、余計に騒いだりしていた。実際に考えると、その時点で逃げるべきだったんだけど。
あらかた調べたくらいに、さあ地上に戻ろうか、なんて俺が言おうとした時だ。突然、悲鳴が聞こえた。低い、男の声。助けて、とか、痛いとか、本気の悲鳴。その悲鳴は、丁度アイアンメイデンが置いてある壁の向こう側から聞こえた。俺は冷や汗が垂れたのを覚えてる。久代もさすがにさっきの興奮から覚めたのか、顔を青くしていた。
調べるか。そう尋ねようと思ったけど、やめた。俺の中の何かが騒いだんだ。逃げろってさ。そう言おうとした時には久代の方が同じことを提案してきた。俺は頷いて同意した。その頃にはもう男の悲鳴は聞こえなかった。どうなったか想像して、余計に悪寒がした。
そして、二人で、降りてきた階段の方へ踵を返した時に、音が聞こえたんだ。重たい扉が動く音だ。思わず振り返ると、さっき言ったアイアンメイデンの後ろの壁が、回転扉みたいに動いていて、そこからウサギが現れたんだ。ウサギって言ってもあれだぞ。このドリームランドのマスコットキャラだぞ。名前は忘れたけど。そのウサギの着ぐるみが現れたんだ。ただ、その着ぐるみは赤黒いものが全身に飛び散っていて、その手には鉈が握られてた。
俺達は悲鳴を上げる間もなく、弾かれたみたいに駆け出した。後ろから声がした。次はお前達か。確かにそう言った。悲鳴は出なかった。とにかく、走った。階段を駆け上がり、来た道を戻る。順路は覚えていたが、ライトが無ければ本当に何も見えなかった。暗闇の中、何かの破片やゴミを踏む音だけを響かせた。時々それに足を取られたけど、不思議と転ばなかった。とにかく夢中で走った。そして、ドリームキャッスルを後にした。
体力は限界に近かった。運動神経のなさをこの時は呪ったね、本当に。久代は俺よりは体力があるために、既に先を走っていた。この時立ち止まろうかと思ったけど、足は止まらなかった。後ろから声がしたからだ。逃がすか。心臓がわしづかみされるような、圧迫感のある悪意の声。心臓は既に悲鳴を上げていたけど、無視して走った。捕まったら。さっきの悲鳴がよみがえった。死にたくない。俺の頭の中はもうそれしかなかった。
なんとかゲート前まで戻ってきた時、久代が騒いだ。扉が開かないと言うのだ。俺はもう倒れそうだったけど、死にたくない一心でドアノブを動かした。開かない。押しても引いても変わらなかった。また後ろから声がした。捕まえた。俺は反射的に久代の手を掴んでまた走り出した。とにかく、あのウサギから逃げなければ。それしか考えられなかった。久代は何も言わずに一緒に走ってくれた。
俺は走りながら、隠れる場所を探そうと提案した。正直、もう本当に限界が近かったからだ。このまま走っても追いつかれる。久代を逃がして俺が盾になる、でも良かったけど、それで久代が助かる保証がなかった。いや、久代と俺、両方が助かる道を探したかっただけか。うん。俺は生きたかった。生きて、久代と生きてる喜びを噛み締めたかった。だから、唐突に久代を引っ張っていた手が前に振れた時、何が起きたか分からなかった。
前に振れた手には、先程まで握っていた彼女の掌があった。そこから先は存在していない。俺は後ろを振り返った。彼女はいなかった。走った道をライトで照らしても、何もなかった。後ろをつけてきていたウサギの姿もなかった。
俺は叫び声を上げて、掌を投げた。もう訳が分からなかった。久代の名前を呼んだが、返事は勿論無かった。それでも俺は呼びかけた。ずっと。ずっと。
声が涸れて、上手く喋れなくなって、ようやく俺は冷静になった。いや、冷静ではなかったか。彼女がいなくなって、絶望して、ただ声を上げて、その声があいつを呼び寄せると思って、怖くなって目の前の施設に入ったんだ。そこに全くの冷静さは無かった。冷静に判断できたなら、間違いなくここには入らなかっただろう。この観覧車のゴンドラには。
お前は知ってるか。この観覧車の噂。ここを通る時に声が聞こえるんだ。出して、って声が。少し考えれば分かるだろ。そう、噂の通り、中から出られないんだよ、このゴンドラ。
それが物理的な干渉のせいなのか、ドリームランドの呪いなのかは知らない。というかどっちでも良い。お察しの通り、俺は今ゴンドラの中にいる。全く扉は開かない。開けた時は驚くくらいすんなり開いたっていうのに。叩いても体当たりしてもビクともしない。
携帯電話で誰かを呼ぼうとしても無駄だった。圏外だったとかじゃないぞ。じゃなきゃ留守電に掛けられないし。普通に電波は入った。ただ、お前だけは何故か留守電になるんだけど、他の人に連絡すると、ノイズまみれで何も聞こえなかったり、電話口から色んな笑い声が聞こえたりして、話にならなかった。メールとかの連絡手段も試した。結果は似たようなモンだった。送信は出来るけど、すぐに返ってきて文字化けした文章が表示されたり、逃がさない、って赤文字が書いてあるだけだった。
つまり、この時点で俺は悟ったんだ。ここで、出られないまま、死ぬんだろう、ってな。
勿論、この留守番電話にも一縷の望みを託してるんだぜ。でも、さっき言ったみたいに、ろくな結果じゃないんだ。この電話もお前に届いてない可能性の方が高い。でも、本当にすがる思いで、これを入れてるんだ。
優斗、俺の大好きな親友。助けてくれ。助けてくれ。
どうか、お前にこの電話が届きますように。届かなかったら……いや、祈ってる。
それじゃ、サヨナラ、優斗。
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音声が終わり、僕はスマートフォンを眺めた。画面の左上の日付は『二〇一七年七月一一日』となっている。親友の和樹が失踪してから、もう『三年』が経過していた。
先日、唐突に僕のスマートフォンが留守番電話を受信した。電話の相手は親友の和樹であり、僕は本当に驚いた。突然姿を消した親友からの電話は、来たこと自体も衝撃的だったが、内容さえもショッキングだった。
ただ、同時にありえないという感情も湧いた。理由は幾つかある。
一つは先も言ったように、留守番電話を受信したのは最近なのだ。いくら何でも、時間が掛かりすぎている。電話会社によって留守番電話の録音期間は違うらしいが、それでも三年前のものを録音しているものだろうか。
そして、留守番電話の録音時間。正確な時間を測定はしていないが、普通、録音できる時間は最長で三分なのだ。もしかするとキャリアによって違うのかもしれないが、少なくとも僕と和樹は当時同じ電話会社の機種を使っていたし、この会社は録音できる時間を三分としている。和樹が入れている留守番電話は少なくとも十分は超えていた。
しかし、僕はこの内容を信じて、裏野ドリームランドへ赴いていた。僕自身、もうこれにすがるしかアテが無かったからだ。
和樹が留守番電話に入れていたように、僕達は趣味はまるで違えど不思議と馬が合う仲だった。それこそ和樹が言う通り、ベストパートナーだ。そんな仲の人間が忽然と姿を消し、当時の僕は酷く焦った。色んなつてを頼り、空振りする度に落胆しては酒に逃げたりもした。仕事さえも手をつけられず、しばらく休暇を貰ったほどだ。今でこそ何とか落ち着いたが、それでも心のどこかで彼の無事を祈っていた。
しかし、それは見事に空振りに終わった。留守電から分かるように、三年前、彼は観覧車の中に入って出られなくなった。その後の連絡が無いことからも、彼の生存は絶望的だろう。
それでも、僕は裏野ドリームランドへ向かった。魂の存在は信じていなかったけど、何となく、彼はまだそこにいて、死ぬことさえ出来ずに遊園地の中で助けを待っている気がしたのだ。
そして、僕の目の前には件の遊園地がある。ただ彼が電話で言っていた、ゲートを塞ぐバリケードは何故か存在せず、来場者を待つようにその口を開けていた。それはさながら、裏野ドリームランドという化け物が、僕という餌を待っているかのように思えた。そう考えると、留守番電話が三年越しに届いたのも頷ける。
ここは生贄を望んでいるのだ。
僕は、それでも足を進めた。今更、鬼が出ようが蛇が出ようが件のウサギが出ようが関係なかった。和樹を見つける。それしか考えてなかった。
「待たせたな、親友。今行くよ」
その後、二つの死体が遊園地前に発見された。一人は白骨化しているが、運転免許証から身元は判明した。数年前から行方不明になっている男性だったそうだ。
発見された時、二つの死体は手を握り合っていたという。
最後の文、蛇足のような気がしますが、要る要らない、ハッピーエンドかバッドエンドかは読んで頂いた方に委ねます。お楽しみ頂けたなら幸いです。
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