4話 いや、嘘だけど
日の光で目が覚める。春の日差しは心地よくて、また寝た。
目覚まし時計の耳障りな音で目が覚める。うざったらしくてすぐに止め、また寝た。
スヌーズ機能のことを忘れていた。かんに障ったのでゆかりは「うにゃあ」と声を上げ、もう寝ることはできなかった。
「なんで朝は起きるって決められてるかなぁ……」
ごわつく髪を整えながらゆかりは愚痴を溢す。夜に寝て朝に起きて学校へ行く、これを当たり前だと思える人は真面目すぎて釣り合えない。
気だるさに負ける人生に飽々しながら、ゆかりはあくびをする。
「気が抜けりゅう……」
体が浮くように沈むという不思議な感覚に見舞われながら、ベッドの上にぺたんと倒れ込む。それでも寝れるハズもなく、ゆかりはただ呆ける。
鳥の鳴き声が聞こえる。カーテンの隙間から差す日の光に癒される。柔らかい布団が慰めてくれる。そんな普段のことでさえ、ゆかりに学校へ行かなくてはいけないと知らせてくる。
「……学校爆発しないかなぁ」
溢れた言葉を深く考えてみると、もしかしたら爆風やらがこちらにも被害を及ばすのではないかと疑問詞が浮かんだ。
そして睦月のことを思い出す。爆風がこちらへくるのなら、睦月だって平気ではいられない。そうだったら、嫌だな……学校は滅びてほしいけど。
「……」
睦月ちゃんと会えないのは嫌だし、睦月ちゃんが死んじゃうのはもっと嫌。学校がなくなったくらいで悲しむとは思えないけど、睦月ちゃんは学校に通うためにこっちへ越したと言っていた。学校がなくなれば行く宛もなくなるのかもしれない。
「んぁあ」
声を出しながら考えてみて、結果何もでなかった。自分は何について考えていたのかもよくよく思い出せない。モヤモヤとした感覚に邪魔されながらゆかりはベッドから降りる。
ほんの1メートルと少しの階段を降りると、床には新聞紙と服が散乱している。服はまだいい、足裏にくっつかないし、いざという時にクッションとしての役割を果たす。ただし新聞紙、なんで足裏にくっつくかなぁ。新聞紙なんて小さい頃に逆から読んでもしんぶんし、と言って遊んだだけだし。
寝ぼけた足取りでキッチンへ移動して、冷蔵庫の中からヨーグルトを取り出す。次に冷暗所からはバナナを取り出して2本もぎ取る。
「ふっふーぅん。ヨーグルトとバナナは健康にいいのです」
というのは自己暗示。分かっている、ヨーグルトとバナナは体に良いと言われているけれど、それだけを摂取するのは悪いことだと承知している。でも、これには深いワケがある。ゆかりには料理を作る才能がない。
作れることは作れるかもしれない。卵かけごはんなら。
ゆかりは3分クッキングの音楽を脳内で再生させながらバナナを頬張る。ネチャ、と汚い音が出るけれど、ゆかりは1人だから、と安心できる。
……“1人”だから。
朝食を食べ終えたら、次は制服に着替えなければならない。結局ベッドの上に置いたままにしていて、そこで一晩寝たのだから当たり前のように軽くシワが付いている。別に気にしないけど。
パジャマを脱いでさらけ出された胸に目をやらずにポロシャツを着る。スカートを履いてブレザーを着る、この一連の動作にまでくると後戻りはできない。
着替え終わると倦怠感に襲われる。このままベッドに飛び込んで、学校のことを忘れて寝たい。部屋をぐるぐる回ってからゆかりが「いってきます」と言った時には時計の針が7時40分を指していた。
ドアを開けると左に曲がる。左にアパートの扉があるから。でも、今日はすぐには曲がらなかった。102号室のドアに睦月がもたれていたから。
ゆかりの口から「え……」と小さな声が漏れる。へんてこなあまり恥ずかしい気持ちを堪えて「どうしたの?」と睦月に尋ねる。
睦月は3秒ほど下を見つめてから「いま部屋を出た」と言い張った。
「……もたれてたのに?」
「……ひんやりしていて気持ちよかったから、ちょっとだけ」
「待っててくれたんだよね、わたしを、ここで」
焦れったさを覚えて、ゆかりは言った。睦月の肩が少し跳ねて目を逸らす反応を見て、ゆかりは図星か、と笑みを溢す。
「……違うから。バカじゃないの、ちょっと考え事してただけし」
「言ってること変わってるよー?」
ゆかりが睦月の反らしている目を追いながらからかう。睦月がムッと頬を膨らましたから手を出してくるかと一歩退いて、ゆかりは手を前に出して身構える。
それでも、睦月は手も足も出してこない。ゆかりの前で溜め息をつくと「わたし、行くから」と言ってアパートの扉へと歩いていく。
「じゃあ……一緒に行こ?」
「……ゆかりちゃんがそう言うなら仕方ないなぁ。別にいいよ、付いてきても」
「ウォントのクセに」
「わたしは基本、何も求めないよ。学校が爆発しないかなぁとは思うけど」
「わたしも」と言おうとした。でも口に出すことができなかった。共通のことを考えているのが気がかりで、同じことを求めているのが、距離が近いように感じたから。
「……巻き添えを食らっちゃうよ、わたしも、睦月ちゃんも。死んじゃうから」
学校までの道のりはそう遠くない。本屋を見かけると寄ってみたいと万感胸に迫るけれど、睦月を前にしては迷惑をかけることになる。窮屈を感じるのは確かで、それでも違くて。睦月が怖くなる。
「そうだ、ゆかりちゃん」
睦月が突然振り返り話を持ちかけてきた。
「今日、放課後どこか行かない?」
「……デート!?」
「……バカ」
とそう言った睦月が、あっ、と声を漏らしてゆかりの目を見ながら「そうかも」と言った。
「え?」
「まぁ……いっか」本当にいいのかと疑いたくなるくらい、睦月は深刻な顔をしていた。
「え?……ちょっ、睦月ちゃん、え、えぇ?」
1人勝手に歩いていく睦月の背中を小走りで追いながらゆかりは声を出せないで、どうして自分が動揺しているのか分からずに、疑問文に対しても疑問文が浮かぶ、パラレルワールドがゆかりの中で行き交う。
睦月に追い付くと、睦月はゆかりに目をやらないで歩き続ける。ゆかりがいくら睦月の顔の前で手を振っても、気にも止めてくれない。ゆかりが睦月の腰を指でつつくと、ふふっ、と笑みを溢すだけで何も言われない。
睦月は完全に自分の世界に入ったらしい。ゆかりは退屈を感じながら隣で足を合わせて学校に着くまで歩く。
2人が教室に入ると、クラスの数人がざわめいた。多分、例のヤバいヤツだとか思われていると思う。昨日あれだけ騒いだもの。先生にこっぴどく怒られたし。
「あぁ!例のヤバいヤツらじゃんっ!」と睦月の右耳に飛んできた。
「はぁ?」
右に目をやると、背丈の低い子が腰に手を当てていた。
「おいっすぅ!昨日は凄かったねぇ、体育館から引きずり出されてたじゃん」
キャッキャッ、と彼女は笑った。もう一度「はぁ?」と返しそうになる。
「あのさ……君、だれ?」
そう尋ねたのは睦月だった。耳障りな声を発しやがって、と眼力が激しく見えるのはとなりにいるからだと信じたい。
彼女はなぜか眉間にシワを寄せた。数秒経ってから「あっ、そうか」と合点がいったらしく、コホン、と咳き込む。
「わたしは榊弥生だよ。よろしくね」
「……弥生ちゃん……かっこいい名前っ!」とゆかりが嘉賞すると、弥生は「そりゃあそうでしょぉ」と微笑しながら答えた。
「パパとママがホッキョクグマとの死闘の末考え付いた名前だもん!」
「え、ホント!?」
「いや、嘘だけど……」
しれっとした顔で弥生は自分の言ったことに否定した。ゆかりはもう一度でも何度でも「はぁ?」と言ってやりたい気分になる。
嘘つきは泥棒の始まり、という言葉がある。これはあくまで嘘をつくことはいけないことだと訴えているのだろうけど、弥生は悪びれようとしていない。バカか。
睦月が「はぁ」とため息をつくと、弥生が睦月の目の前で手を叩いた。パンッ、と甲高い音に睦月の体は跳び跳ねた。
「な、なに……」
「ため息をつくと幸せが逃げるぞぉー!」
「……ちーがーいーまーすー。わたしは不幸を追い出してるんですー!」
「なんとっ!君は植物か何かか!?」
多分弥生は幸福を逃がす自分とは違う彼女を植物の光合成と見立てたのだろう。分かりにくいこと言うな。
「あれ?わたしって、君たちの名前訊いたっけ?」
弥生はキョトンとした顔で言った。
ゆかりは「……言ったよ」と小声で言った。勿論、嘘だけど。彼女なら簡単に騙せてしまうだろうと閃いたから嘘をついた。
流石にそこまでバカではなかったか、弥生は眉間にシワを寄せながらムヌヌ、と考え込んでいる。ゆかりが本当のことを言おうとした時、弥生は合点がいったのか手を叩いた。
「確かに言ってたね!」
――やはりバカであったか。
睦月は呆れて「このド低脳が」と呟いた。その声に過敏に反応した弥生は「うっさいなぁ」と返した。
「わたしの取り柄はバカなところなの。お姉ちゃんが言ってたもん」
ふふん、と弥生は言い張った。それは、姉の言っていることが正しいと信じているというワケか。人に流されやすいところも、間違いだと気付かないところも、いかに弥生がダメなのか察しが付く。
「そう……自分でバカって言っちゃうのがダメなんじゃない?」とゆかりが言うと、「無知の知だからっ!」と無邪気に返された。
「自分で無知の知って言っちゃう時点で弥生ちゃんはどうしようもないよ」
そう言った睦月は顔を逸らしてふふっと微笑む。
存分に楽しんだゆかりは「わたしはゆかり」と名乗る。次に睦月が「睦月」と自分を指差して言った。
「ほぉ……わたしに勝らぬ良い名前」
バカにしてんのか、と睦月が如月に手を出そうとした。それをタイミング良く阻止するようにチャイムが鳴った。
「あぁ、んじゃわたし向こうの席だから」
ばいちゃぁー、と言い如月は窓際の席へと脱兎の如く走っていく。
「……変な子いたねぇ」と席に座ったゆかりは言う。
全身の空気が抜けていくくらい楽な気分になった。睦月は机に顎を乗せたまま「ねぇー」と返した。
ゆかりが弥生が向かった席へ目を向けると、彼女は椅子に座りながら窓の外を見ていた。




