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桜色交響曲  作者: 野原四葉
3/11

3話 な、な、なんで服着てないのっ?

 知らない(あいだ)にゆかりと睦月は仲直りをしていた。お互いが謝ったワケでもなく、無意識の内にお互いを許していた。


「……どうしよ……本、買えるかな」


 登校から3時間と少し経っている。他の人が本を買っていてもおかしくない、そう考えると嫌気がさしてくる。


「3冊くらいあったから大丈夫だよ!」睦月はそう言い飛び跳ねる。


 どうして余裕なのかは分からないが、そう言える確信があるのだと思うとなんだか自信が湧いてくるのが不思議だ。


「そういやさ、睦月ちゃんはヨウゲツと漫画、どっちが好きなの?」そう尋ねると、悩んだ顔を浮かべたまま「ヨウゲツかな」と返事が返ってきた。

「まぁ、ヨウゲツのことは好きじゃないんだけどね」


 苦い顔を浮かべた睦月は、水が滴るようにポツリと呟く。


「……日本語理解してる?」


 ヨウゲツが好きと言ったのに、ヨウゲツが嫌いだなんて、明らかに矛盾している。


「なっ……なーにーおーっ!理解ぐらいしてるよ!」


 睦月はゆかりの肩を力強く掴み握った。骨と骨の間に親指が入って痛さのあまり顔が歪む。睦月の前では変な顔になりたくなくて、必死に我慢する。


「ぼっ、暴力は良くないと思います……」


 ゆかりが抵抗しても、睦月は力を弱めようとはしない。「反省の顔が見えないなぁ」睦月は苦笑いを見せては更に力を込める。


「ご、ごめんなさい……痛いです」


 ゆかりが濁った声で言うと、睦月は誇らしげな顔で「分かればいい」と言ってゆかりの肩から手を離す。


「……睦月ちゃんってさ、多重人格みたいだよね……ずっとキャッキャしてると思ってたわたしが間違ってたよ」

「わたしだって怒るときは怒るよ……中3の時に付けられかけた名前はかん性な(ラビット)(ガール)だからね」

「……睦月ちゃんはラビットというよりベアーじゃ」


 言葉を言い終える前に、睦月はゆかりの目に目掛けて右手の人差し指と中指を開き、チョキの形で突き付けていた。


「なんだって?」


 ゆかりは睦月の手首を掴んだが、彼女の指はゆかりの目寸前にまできている。


「誰が……熊だって?」

「かん性なのは……間違ってないね……」


 睦月はかてて加えて左手でゆかりの横腹に手刀打ちを食らわせる。

 突然の痛みに動揺したゆかりは「ぎゃん」と声とは思えない声を発した。


「付けられかけたってだけだから。冷やかしてきた男子はボコしてやった」

「やっぱりベアーだ!」


 ゆかりが楽し気に言うと、睦月は右足を上げた。そしてその足をゆかりに向けて伸ばす。


「ひゃああっ!」


 間一髪のところでゆかりは避けた。スカートに足がかすれて捲れあがる。パンツが見えるまでには至らなかったけれど、羞恥心がゆかりを襲った。


「ぱ、パンツが見えたらどうすんのさ!」

 抗議の声を上げると、睦月は「見せろ」とだけ言ってもう一度蹴りを入れる。


「睦月ちゃん!あ、謝る隙をください!わたしが死んだら睦月ちゃんの心は晴れないよ!」


 ゆかりが避けながらそう嘆く。感嘆の声が耳に届いて少し静寂する。数秒考え込んだ後「……たしかに……」と小さく言った。

 あまりにも受け入れがはやく、ゆかりは忽然と立ち尽くすしかなかった。


「……えっと……本、買いに行こ?」


 ゆかりの声より早く、睦月は握り拳をゆかりへと伸ばす。


「はぁあうっ!」

「ムカつく……」


 腹を立てた睦月が最初に取った動きは地団駄を踏むことだった。次に近くの木を叩き、手を痛めた。大丈夫?と心配げに近付くと、「見ないで」と理不尽にキレられた。


「なんでそう……謝れないかなぁ」


 睦月は頭を掻きながら唸り声を上げる。


「……前の学校じゃ友達なんてできなかったならかなぁ……お婆ちゃんはわたしが失敗してもすぐに許してくれたし」ゆかりは哀切この上ない顔を見せる。


 ゆかりが叔母の家に越して通った学校での中学三年生の頃、ゆかりには人との関わりがなかった。友達を作ることも、休日の真っ昼間から外出することもなく、一年間ゆかりが心を開くことはなかった。


「そう……え?」睦月の心臓が縮み上がる。疑問なのか不安なのか、読み取りにくい顔でゆかりを見つめる。少しの間静寂した彼女は震えた口調で「友達?……誰と?」そう疑問文を放った。

 逆にゆかりはその疑問文が分からない。だから何かを言うことなく、自分を指差した。


「……誰が?」


 その疑問文に、ゆかりは睦月を指差した。


「……んん?えっと……誰と誰が?」


 自分、睦月の順で指差すと、睦月は頭を抱えだした。ほぉわぁぁあ、と溜め息らしいものをついて顔を上げる。


「……ウザい……めっちゃウザい……」


 そう呟きながら、言葉だけでは晴らしきれない鬱憤を抑えようと小さく円を描きながら歩く。ゆかりはそんな彼女を見つめながら首を傾げる。

 それから睦月は何も言わずに進みだした。

 ゆかりは睦月に置いていかれないように、速足で彼女の元へ駆け寄る。ゆかりが睦月の右側に並ぶと、睦月は顔を左に動かす。 

 睦月の顔が見えない。それでもゆかりには睦月が顔を膨らませていると分かった。


 本屋に着くと、ゆかりは安心した。

 お目当ての本が1冊買われた状態で2冊置かれていた。ゆかりは睦月とそれぞれ1冊ずつ手に取って笑みを溢した。


「やったね」とゆかりが言うと、睦月は軽い頷きを返した。


 買った本を鞄に入れて2人並んで歩く。歩いて、歩いて、ゆかりの住むアパートの近所の公園が見えてきた。


「……」

「……」


 2人に静寂が続く。言いたいことがあるけれど、言うべきか悩む。

 なんで別れないのかなって、疑問が(よぎ)っている。もう20分は歩いたのに、一向にさよならを言えない。ただ単にこの先に家があるだけかもしれない。他にも用事があったり、色々と理由は浮かぶ。でもなんだか不自然だなって、思えてしまう。


「……わたしに付いてきてない?」

「ゆかりちゃんの方こそ……わたしに合わせてるでしょ」


 アパート前まで歩いても2人が別れることはない。互いに疑問を抱きながらゆかりがアパートの扉を開ける。


「あの、もしかしてここのアパート?」

「……ゆかりちゃんも、ね……まぁ家賃安いからね」


 睦月がやはりか、と合点がいきガッツポーズを取った。考えていることはお互い一緒だったと理解して、ゆかりはニヤつきが収まらなかった。


「睦月ちゃんはなん階?」

「んー、1階」


 睦月は熟慮しながらそう答えた。ゆかりが「わたしも」と言うと睦月は「は?」と嫌みを漏らす。


「え?わたしのこと嫌いなの?」

「嫌いってワケじゃないけど……あっ、わたし102だから」


 「けど」……なんなのか、訊くことができず、自分でいいように捉えることにした。

 睦月は102の数字が彫られた石板を指差して言った。子供のイタズラか、0の右下に1本赤色の線が引かれている。


「あぁー、えぇ……っと、なるほど。つまりはわたしたちは隣ってことか」


 ゆかりは呆れ返るように頭を掻く。睦月の部屋が102で、ゆかりの部屋は103なのだ。続いて104が無くて105、106まであるけど、近所付き合いを知らないゆかりには関係ない。


「……なんか、鳥肌立った」

「だねー」


 ゆかりは笑って返した。それからアパートのこと、明日のこと、どうでもいいことを話した後、2人は「じゃ」と短い言葉を交わして自分の部屋へと入っていく。


 ゆかりの部屋は相変わらず散らかっている。

 帰ってきて真っ先にゴミの溜まったゴミ袋を見ると萎えてしまう。自動で掃除してくれる円形の機械を買ったところで、コンビニ弁当のパックは吸い込めないだろう。

 ゆかりはゴミ溜め化寸前の部屋を見ても、片付けようとは思わない。逆にこれが自分なのだと馴染んでしまっている。


「……昼、コンビニだな。駅前のコンビニに新作の弁当出たんだっけか……」


 ゆかりは制服を脱いでベッドに置く。私服は床に散乱しているのに、制服はシワの付かないよう念入りに扱うのは不思議なことだろうか。そんなことを考えていると、ゆかりは下着だけの姿になった。


「……おっぱい大きくなってない!」


 ゆかりは服を脱いだ際に(あらわ)になるこの胸が気に食わない。ネットで調べた女子高校生のバストサイズ1年の部の平均以下である。少し下に書いてあったのは、ゆかりの胸囲だとちっぱいと称されるということだ。

 ゆかりが溜め息をついて下着のまま床に寝転ぶ。

 胸が大きくて得があるワケではないことは分かっている。男性を魅了することも、自慢することも、ゆかりには興味がない。でも、人並みには欲しい。

 ゆかりが昼食のことを忘れて寝返りを打つ。そのままうつけて、睡魔に負ける。


 何時間寝たのか、そもそも何時に寝始めたのか、ゆかりが寝ぼけた頭で考える。辺りを見渡して、やっと部屋に時計がないことを認識する。


「スマホ……」


 ゆかりは近くに置いたカバンに手を届かせる為、全身を使って右に転がる。2回転してからゆかりはその場で止まった。ダルい。めんどい。いま動くと世界が終わる気がする。

 ゆかりはもう一度、目を閉じる。中途半端に寝たからあと1時間は寝られると思う。全てを諦める感覚がゆかりを襲った。

 だけどそんな感覚もゆかりの腹から発せられた音には勝らないものだ。


「……お腹空いた」

 乙女たるもの腹の虫が鳴ってはいけない……なんてことはゆかりにとってどうでもいい。普通に空腹なだけ。

 ゆかりは昼食を諦めて夕食のことを考える。


「……やっぱコンビニ……」


 結論付けたゆかりは再び目を閉じた。次は確実に寝られる気がする。ゆかりの意識は離れていき、そのまま――。


「ゆかりちゃん!」矢庭に自分の名前を呼ばれ、ゆかりは飛び起きる。

「えっ……なに?」


 なんの理解もできないまま、ゆかりは放心状態で立ち尽くす。

 途端にそれが、隣の部屋のベランダから聞こえているのだと分かった。ゆかりが呆然としながらベランダへの窓に近寄る。するともう一度自分の名前が呼ばれた。


「あ……睦月ちゃんか」


 声で分かった。ゆかりは少しの期待を抱きながら窓を開ける。


「どうしたの?」


 ゆかりの第一声は実にへんてこりんであった。声が裏返りの域を越えていて、ゆかり自身も恥ずかしくなった。


「あ。えっと」ゆかりに説明をしようとした時、睦月は「ひゃ」と奇声を上げた。それがゆかりにはバカにされているようで気に食わない。

「な、な、なんで服着てないのっ?」


 睦月は両手で目を隠した。「バカ」なり「変態」なりとゆかりを(そし)る。


「いやぁ、このまま寝ちゃってたもんで……」

「だからって!そんな……」睦月は塞いでいる手の隙間からゆかりを一瞥する。


 ゆかりの呆けた顔、くっきりとした鎖骨のくぼみ、青色一色の下着、細い腰回り、撫でてみたいと思わされる胴、スラッとした脚。ゆかりの体を美しいと感じた。


「どうしたの?」ゆかりが睦月の顔色を伺いながら訊く。

「ゆかりちゃんって……なんか、その……エロい……」


 睦月はその場に屈み込んだ。地面をペタペタと叩いて、小言を漏らしている。


「えぇ……」ゆかりは困惑しながら、睦月に「服着てくるから待ってて」と言い部屋に入っていく。


 それから1分も経たずにゆかりが部屋から出てくる。睦月に「着替えてきたよ」と言って、ベランダの柵に尻を置いた。

 睦月が顔を上げると、ごく普通の、ユニクロとかに売ってある服を着ていた。えりが立っているのは別として。


「で、どうしたの?」ゆかりは睦月に尋ねる。睦月は「やっぱりなんにもない」と応えたけど、ゆかりは「じゃあ今から考えて」と優しく返した。


 それが睦月にとっては面倒で迷惑なことであると、ゆかりは悟れるほど気が回っていない。


「じゃあ……ゆかりちゃんの話」睦月はゆかりから目を逸らしながら軽く言う。ゆかりが反応しなければ、彼女は羞恥感を覚えるだろうと悟り「いいよ」と言った。

「わたしはね、両親がいなくって、お婆ちゃんにお世話になってるんだ。今は1人で暮らしてるけど仕送りは貰ってる……」

「ふーん、なんか色々訊いてみたいけど……他は?」


 睦月はゆかりと対照になるようベランダに座る。話にのめり込んだサインかも、とゆかり嬉しくなった。


「甘い物が好きで、酸っぱい物は嫌い。優しい人が好きで、辛辣な人は嫌い。インドア派で、人見知りかもしれない」

「……覚えとく」

「後はぁ……」


 ゆかりは頭を抱えて考える。別に自分を語るのは簡単だけど、睦月を気遣って話している。言えないことだって、いくつかあるのは確かだから。


「……今日、友達ができたよ」

「え?それ……」


 ゆかりが見た睦月は、目を大きく開いて立ち尽くす少し変わった彼女だった。疑問文が浮かんでいるのだろう。ゆかりは気恥ずかしくなった。


「……うん、友達、できた。わたしも」睦月が赤面しながら便乗した。


 面と向かって話すのが恥ずかしい。顔が合うと少し横に逸らしてしまう、この距離感が鬱陶しい。胸が痛くて、息ができなくて、このまま窒息してしまいそうになる。

 それからは、カラスが鳴いて解散した。最後までギクシャクした空気は変わらなくて、2人の間に歯がゆさが残った。

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