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桜色交響曲  作者: 野原四葉
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2話 桜、好き?

 学校に着くと入学式は既に始まっていて、先生にはまだ式に出るなと言われて体育館の横に待機させられている。


「……あの時、睦月ちゃんが本を買いに来てなかったらわたしたち遅れなかったよね」

「……わたしからしたらゆかりちゃんが本を買おうとしなければ…って感じだけどね」


 睦月が深く溜め息をつく。そんな睦月を横にして、ゆかりは地面を見つめてる。


「溜め息をついたら幸せが逃げるよ?」

「不幸の源はゆかりちゃんだよ……」


 なぜだか息が詰まる。苦しい。言いたいことが咽頭付近に詰まっていて呼吸が整えられない。


「……睦月ちゃんの家って本屋の近くなの?」


 いい加減ゆかりは重く静まった空気に耐えきれず、そう話題を振る。

 通学路の途中の本屋で会ったのだから、ゆかりと同じ方向に家があるのは分かりきっている。でも話題を振らないといけないという使命感がある。


「そうだよ……本屋の近く。学校(ここ)に通うために引っ越してきたんだ」

「……親は?学校に通うためだけに一家で引っ越すのかな……?」


 ゆかりは睦月に顔を向けると、睦月は心苦しい表情をしていた。少し悩んだ睦月は、か細い声で「実を言うとね、逃げてきたんだ」と打ち明けた。


「え?逃げてきたってどういうこと?」

「そのままの意味だよ。実家がね、凄く厳しいんだ。わたしはただ自由に生きたいだけなのに……自由なんて……わたしにはないんだよ」


 やはり理解するのが難しい。辛いということは分かるけれど、非常識的なことにはゆかりの脳が追いついてくれない。


「……で?聞いて何がしたかったの?」


 考え込んでいたゆかりは、その一言で考えていたことが飛んでしまった。もう一度考えようとしても、自分がどこまで考えていたのかが思い出せない。


「えっとね……今日、一緒に帰ろ……って誘おうとしてたんだ……多分」

「……っ」

「……あれ?睦月ちゃん、顔真っ赤だよ?風邪引いてるの?」


 ゆかりが心配して睦月の顔を覗き込むと、睦月は顔を逸らした。「こっち向いてよ」とゆかりが言うと、「見料取るよ」と返された。


「おーい、バカ2人。そろそろ式に入ってくれ」


 体育館の扉から顔を出した先生がそう言った。長い髪で、ゆかりの位置からは顔が見えづらい。


「ば、バカ2人……?」

「ああ、そうだ。高校生にもなって時間厳守と告知されているにも関わらず守れなきゃそいつはバカだ。わたしの中のお前たちはこれから一年間バカだ。よう、ダブル“バーカー”」

「ダブルバーガーなんて···っ、いかにも先生が昭和時代の人だって物語ってますねっ!ダブルバーガーが出た時から見かけなくなるまでの間なんて、わたしたちはチーズバーガーくらいしか食べなかったですよ」

「え?」


 長髪の先生のからかいに反論したのはゆかりだった。ゆかりの眼差しは、地面ではなく先生に向けられている。顔付きが変わったみたいに鋭くて、“やるときはやる”という言葉がしっくりくる。


「指に指輪がないですね。未婚ですか?……これはあくまで予想ですが、先生は37歳くらいですね」

「なっ……まだ34だもんっ!全然希望がある年頃だもんっ!」

「……えぇ……?」


 そしてゆかりはその場から少し先生に近付き、手を丸くしたまま先生につき出して「恋愛は年を重ねるにつれ希望が薄れますよ!あと5年経っても恋人がいなければ先生の人生は絶望的といえるでしょう!」と、漫画によくあるドーーンとか、ビシィッとかの擬音が出ていることを想像した。


「そ、そんな……うぅ……酷いよぉ……」

「え、えぇ!?な、なんで先生が泣くの……」


 ゆかりは有頂天になり、誇った顔で右手を上げる。勝利のポーズだ。

 先生は涙混じりになり、その目を服の袖で拭う。袖は濡れている。

 睦月は困惑し、先生を慰めることを忘れている。逃げ出そうかとも思っている。

 まるでいじめの現場みたいだけど、相手は先生だから。言い返してやっただけだから。


「ちょっとぉ!君たち!」

「んあ?」


 先生の横から現れたのは、短髪の先生だ。肩まで長くなく、それでも触ってみたいと思う色気がある。


「あんまり先生をいじめないの!はやく式に参加して!」


 彼女を見るなり、長髪の先生は泣きついた。ついさっきまで小バカにしてきた人が泣きわめく姿は、自分に理性があるのか疑ってしまう。


「よし、よし。大丈夫だよ。もう泣き止んで」


 彼女の長髪の先生を慰める図は、友愛と母性を感じさせ、睦月からしたら理解を追い付かせることができないものだ。


「あ、あの、わたしたちは入学式に出るんで……」睦月がそう言ってゆかりの手を取ろうとする。しかし、最初にゆかりの手を取ったのは短髪の先生だった。


「……なんですか?」そう言ったゆかりは続けて「わたしは絶対に謝りませんよ」と言い放つ。


「向こうの扉から入るのよ。すぐ近くの前から3番目の列の椅子が空いているからそこに座ってね……くれぐれも、目立たないように」


 その声は優しく、肯定せざるを得ないほどだった。不覚にも首を前に倒してしまって、ゆかりは頬を膨らませる。


「……先生。手、離してください。痛いです」ゆかりの手を握る先生の握力は強く、ゆかりが暴れてどうにかできるものではない。自覚したのか「あら、それはごめんね。つい強く掴んじゃった」なんて言い訳がましく言われた。


 ゆかりの手を離した先生は、再び長髪の先生の頭を撫でる。

 ワケが分からず睦月はその場で立ち尽くしていると、短髪の先生に「はやく行きなさい」と魔法を唱えるように指示された。


「……行こ、ゆかりちゃん」


 突っ立っているゆかりの手を取って、睦月は強引に引っ張る。あまり動かない犬を散歩させるようにゆかりは引きずられながらドアへ向かう。

 

 睦月がゆかりの手を引いて体育館へと入っていく。ゆかりは引き寄せられながらも体勢を崩さないように巧妙な足取りで歩く。


「睦月ちゃん!はやい、痛い!そんなに強く引っ張らなくてもいいじゃん!」


 すぐ近くにある新入生が座る椅子が丁度2人分空いている。目立たないように姿勢を低くして走っていき、まったく知らない人に睨まれながらも椅子に座る。


「……先生にあんなこと言うとか、本当にバカなんじゃないの?ちょっとは隣にいる身も考えなよ」

「え……でも、睦月ちゃんからしたらわたしのせいで遅刻したんでしょ?……だったら、睦月ちゃんの前で、睦月ちゃんがバカにされるのはおかしいじゃん……違うかな?」


 睦月はアホ面をしたゆかりを見た。知能があるのか分からない、昼食のことでも考えているのかと人をイラつかせる顔をしている。


「はぁ?なにそれ。ゆかりちゃんはわたしのせいでって」睦月がそこまで言うと、ゆかりは睦月の口元に手を当てる。ゆかりは「静かにしないと怒られるよ」とだけ言い、視線を前に戻す。

「······っ本当に自分勝手。ゆかりちゃんみたいな子、わたしは嫌いっ」


 睦月は腹立たしさを発散する為に、ゆかりの横腹を指で突く。

 式の内容はまったく頭に入ってこない。入学式が終わったらゆかりに文句を言ってやろうと考えてしまい、何を言うべきかで悩む。


「……睦月ちゃん」ゆかりが睦月の肩を叩く。「なに?」と睦月が返すと、ゆかりは体育館の隅を指差した。


「あの人、化粧濃いね」


 小声で放たれたその言葉に、睦月の堪忍袋の緒が切れた。

 睦月は公の場なんて気にもせず、ゆかりの顔に手を伸ばして出せるだけの力で頬をつねる。


「い、痛っ」

「いーいーかーげーんーにー、してよ!わたし怒ってるんだからさーっ!」


 睦月ががなると、体育館にいる全員がざわめきながら2人に目線を向ける。それでも、睦月はゆかりの頬をつねるのをやめない。


「だ、だって、睦月ちゃんピリピリしてるからちょっと笑わせようかなーって······ダメだった?」

「ダ、メ、に······決まってるでしょ!どうしてダメだと思わなかったのっ!ゆかりちゃんはあれか、えっと……ナスビか!」


 やけになった睦月の右ストレートが、まっすぐにゆかりの左肩の決まった。 

 なんか嫌なところに入った……。じわじわとくる痛みを堪えながら睦月への反撃の言葉を考える。


「なっ······なんでナスビ······」ゆかりは続けて「ナスビは嫌いなのに」と言う。

「知らない!校長先生の顔がナスビっぽいからでしょ!」

「校長先生はナスビじゃなくてゴーヤじゃ」ゆかりの言葉を遮るように、睦月はゆかりの頭に手刀打ちを食らわせた。「痛いじゃんか!」とゆかりが怒ると、睦月は「痛くしてるんだから当たり前でしょ!」と返す。


 次第に周りが見れなくなって、軽い言い合いになった。


「君たちっ!」


 体育館の隅から女性の甲高い声が響き渡る。見ると、化粧の濃い人だった。


「式の妨げになることをするのなら体育館から出なさい!」


 それは激怒というものだ。いつしかSNSで見た狂いに狂ったおばさんの図と、それはまったく同じものなのだ。

 そして先生が2人、ゆかりと睦月の肩を叩いた。「少しの間、外に出ようか」先生はそう言うと、有無を言わせずに2人の手首を掴んで体育館の外へと引っ張り出す。体育館から出ると、微少の笑い声が聞こえた。


 式が終わり、説教を受けている間にクラスでは学校の説明や自己紹介が終わっていて、教室に行けないまま下校時間を迎えてしまった。


「……」

「……」


 2人は無言で道を歩く。話題を振れる雰囲気ではないのは分かるが、何も言わないのも辛い。


「……ぁ、あの……」ゆかりが話題を振ろうとしても、拒否されてしまうと思うと言葉が浮かばない。


 ――いつかの、息が詰まる感覚を思い出してしまった。あの時はまだ良かった、誰かに伝えたいという気持ちがあって、それに、ゆかりの好きな桜が咲いていたから。でも今回は状況が違う。


「……やっぱ何もない」


 ポツリと言い放った言葉だった。だけどその声と連動するように、ゆかりの目の前をピンク色が横切った。


「……あっ」見上げると、そこには桜の木があった。風に揺らされながら、数少ない花を散らしている。

「キレイ……」


 顎を上げて、首筋をさらけ出しながら睦月は唾を呑む。上から下へ流し込み膨れ上がる。ゆかりは彼女のそんな喉に見とれてしまった。


「睦月ちゃんは……桜、好き?」


 そんな話題を振るつもりではなかった。睦月の唖然とした顔を見て、言葉を間違えたと気付く。


「……聞かなかったことにして」ゆかりが顔を逸らすと、「好きだよ」と小さく言われた。空耳かもしれないと、ゆかりは睦月の顔を確認せずにはいられなかった。

「わたし、桜大好き!」睦月は軽く飛び跳ねながら笑っていた。


 細めた目から見える黒目に、つり上がった口元。ゆかりの目に睦月の顔が焼き付いた。睦月ちゃんのこんなとこが綺麗だなって思える。それとこういうところが可愛い。


「……いいよね、桜。わたしも好き」

「うん、うん。でもさ……見映えがしないよね」

「あぁ……うん……しないね」


 2人が見る桜はあまりにも花が少なく、既に葉が生えて緑がかっている。決して良いと言えるものではない。逆に悪いかもしれない。

 ゆかりが思う見映えのする桜とは、木いっぱいに桜の花が咲いていて、地面をピンク色に変えてしまうくらい花が散っている。幻想的な桜だから。

 場の空気が重たくなる。現実を突き付けられたほどに、2人は黙り込む。


「あ、あのさ……」睦月が地面を見つめながら「来年、一緒に桜見よ?」と提案する。

「……いいねっ!大きい桜の木がいっっっぱい並んでるところを見つけてさ、一緒に他愛もない話をただするだけ!わたし、そういうの大好き!」そう言い終えると、ゆかりは睦月に右手の小指を向ける。


「ん?なに……?」

「指切りだよ!指切りげんまんってやつ!」

「そんな、子どもじゃないんだから……」睦月は恥ずかしさで顔を逸らすが、ゆかりは手を退こうとは思わない。

「わたしは約束がしたいの」ゆかりはダメ?と目で訴える。

「……ちょっとだけだからね」


 押しに負けた睦月は、ゆかりの小指の前に自分の右手の小指を向ける。ゆかりは喜びを隠せず笑みを溢しながら、睦月の小指と自分の小指を絡み合わせる。


「ゆーび切ーりげーんまん嘘ついたら針千本のーますっ!」最後にゆかりの「指切った」という合図で、2人の絡まった指はほどかれる。

「絶対!一緒に見ようねっ!」

「……うん。約束……したからね」


 桜の花が微かに散る様に見とれた日、ゆかりと睦月は約束を交わした。ゆかりが誰かと桜を見る約束をしたのは、これで2回目になる。

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