10話 『…(^_^)☆』
アリとキリギリスは――古くからの知り合いだった。
アリの家の隣にキリギリス家があって、同じ年に生まれて、保育園の頃も、小学校の頃も、よく遊んだ。
アリとキリギリスははただ家が隣だからとか、親が仲良しだからとか、義理な理由ではなく、お互いに馬が合うから友達だった。そして、親友だった。
アリの考えていることはキリギリスの考えていることと同じで、キリギリスが悩む時はアリも悩む時。
でもその仲に永遠というものはなかった。
“咲いたら散る”。
これが世界の理で、アリとキリギリスは理解していた。
しかしそれには続きがあって、桜は春に咲いてすぐに散るけれど、その1年後には“また花を咲かせる”。
咲いたら散る。そして“散ったら咲く”。
だからアリとキリギリスは、想いを伝えられるだけ伝えて、そして、そして。
「――はっ……夢……?」
ゆかりが自分は寝ていたんだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
アリとか、キリギリスとか、ゆかりの嫌いな虫が出てきたから。
それにしては意外だ。
わたしと、そして誰かをアリとキリギリスに例える夢を見たなんて。
「と、いうことだ。では一条、14ページの最初から読みなさい」
夢から覚めた矢先、テンプレートとも言える出来事が。
間違えると笑われて、廊下に立たされたりするやつだ。
ゆかりはついさっきまで枕の役割をしていた教科書を手に持って、自分のペースで読み上げた。
「……一条」
「えっ……間違えた?……ですか?」
「……そこは間違えるとこだろ、寝てたんだから」
教室に笑いが起こった。結局は笑われるのか。
目立って笑い声を上げていたのが弥生だった。お腹を抱えて、スペースを存分に使った動きを見せる。
そんな弥生に反比例して、睦月は笑っていなかった。それどころか、みんながゆかりを見ているのに反して、睦月は黒板だけを見ている。
やはり昨日のアレが悪かったか。
「で、授業中に堂々と寝ていたようだが……夢は見たか?夢」
「……見たかもしれません」
「見たかもしれないのなら見たことにしよう」
「はぁ……はい」
「ではいま見た夢を「をかし」という単語を用いて説明しろ」
それは無茶ぶりというやつじゃないか。
なぜ「をかし」なのかも分からないし。
「言っておくが、しっかりと説明できなかった場合成績を下げるからな」
「うげぇ」
「寝ていた時点で成績は下がったからもっと下がるだけだがな」
みんなの視線がゆかりを襲う。
四面楚歌、という言葉が浮かんだけれど、ゆかりは窓際の席なので四面ではなかった。
ここで三面楚歌なんて言っても、無駄だろうし、成績が下がるだけか。
「……を……おかしな夢でした」
「はい、成績ダウン確定」
「冗談です!」
ずっと、頭の中でアリとキリギリスが浮遊している。
そこに趣があるだとか、成績だとかが相まって物事を取り込めない。
「あの……なんか……昔の友達が出てました……をかし」
「……すまんな、無茶ぶりが過ぎた。お前は根っからのバカだ」
そう言い切るなり、先生は授業を再開した。
何も言えずに静かに座るゆかりを、弥生は嘲笑っている。
恥ずかしくて顔を見せないようにと廊下を見る。
一瞬だけ、ガラスの反射で見えた睦月の視線は幻覚だと信じたい。
「いやー良かったよぉ、をかし、をかし」
「やめてよぉ」
分かりきっていたことだけど、弥生はそれをネタにからかってくる。
「何があったの?授業中」
「えとねぇ、ゆかりちゃんがねぇー」
「言わないでよー!」
如月が興味津々に、弥生の話を聴いている。
止めようとしても無駄だと分かったから、抵抗はやめた。
如月なら笑わないだろうと思ったから。
柊姉妹がお弁当を用意しているのを見て、自分ははやく購買で麵麭を買わなければ、と急かされた気になる。
席を立って「購買行ってくる」とだけ言うと、如月が不思議そうに訊いてきた。
「1人で?」
「睦月ちゃんは?」「珍しいね」軽い言葉責めだ。
睦月の名前を挙げられる度に、昨日のことを思い出す。
わたしは触れてはいけないものに触れてしまった。睦月の部屋は見てはいけない、勘ぐってもいけないものなのだ。
それをわたしは騙す形で睦月の部屋に入った。
当然、怒られるた。どうしてあれほど必死だったのか、よく分かった。
「……ちょっとね……喧嘩しちゃった」
今朝、ドアの前に睦月はいなかった。涼んでいたり、考え事をしていたりはしていなかった。ただ単に、いなかった。
学校に着いた時に睦月の姿がなかったのは、わたしが部屋を出るまでずっと待機されていたのかもしれない。
「……嘘ぉ……マジで?」
「……うん」
「なんかあったの?……あっ、何かあったから喧嘩してるのか」
「……あー……えっと……言っちゃっていいのかな?」
「言えないことなの!?」
弥生が椅子から立ち上がった。
突然なことで驚いたけど、如月が弥生の手を引くと、おとなしく座った。
「それは犯罪?」
「いや、悪い事じゃない……うん」
「……睦月の恥ずかしいこととか?」
「う……ん?そうなのかなぁ」
「……さっぱりだわ」
「お姉ちゃんお手上げかぁ」
恥ずかしいことなのかもしれない。
どうして睦月が嘘をついたのか、よく分からない。お金がないことが恥ずかしい?……家に何もないことが恥ずかしい?
だったら相談してくれればよかったのに。
「隠し事されてたとか?……嘘つかれたとか」
「あっ……それ。それかも」
「かもだもんなぁ……まぁそう仮定しようか」
で。
という、その一言で話は進んだ。
「なんの嘘をつかれた?」
「……だからぁ、それを言っちゃってもいいのかなぁ……ってぇ」
「いいよ!睦月いないし!」
「いや……でもぉ……」
「……何がそんなに気がかりなの?悩んじゃうくらい」
「えっとねぇ……もうこれ以上、睦月ちゃんに嫌われたくない」
照れくさい仕草でそう言うと、柊姉妹はお互いを見つめ合った。
少しの間を置いて、「そっか」と如月が言った。
「友達傷付けたくないもんね」
「……うん」
「その気持ち分かるよ」
「お姉ちゃんにそんな感情が?」
「うっさいな」
少し気が楽になって、肩の力が抜けていた。
このまま睦月との仲も良くなっていたら、というのが、今の気持ち。
そればかりはわたしが努力するしかないか。
「わたし、睦月ちゃんとしっかり話するよ」
「いいね、それ」
如月が指を鳴らすと同時に、弥生がスマホを机に置いた。
“通話中”と画面にある。
その下には“むつき”とある。
正直目を疑った。そして段々と込み上げてきた感情で顔を染める。
「なんで!?」
「実はずっと通話中でしたー」
「弥生……それは意地悪いぞ」
一部始終聞かれていたのか。
スマホからボソボソと聞こえる声は睦月の声だと分かったけど、何を言っているのかまでは聴き取れない。
「睦月ちゃんごめん!ホントごめん!わたし何も言ってないから!ね?」
『そんなの知ってる!聴いてたから分かる!』
「……ほ」
『ゆかりちゃん……人通りのないとこに行って。通話中のまま!』
「えっ……急にっ」
『はやく!』
「はひぃ!」
わけも話されず急かされて、ただ足音だけが鳴り響いた。
人通りのないところとはどこか、考えたのだけれど、この考える時間が睦月に怒られるかもしれないと思って、勢いで教室を飛びだした。
取り敢えず自分の知ってる場所を回ってみたけど、どこも誰かしらいるものだった。
電話越しにごめんね、とか、もう少し待って、とか、何回も謝る。
必死に走っていて何分待たせているかは分からない。
らちが明かなくて、向こうから指示があるのを待ってみた。
すると数秒して、睦月の声が聞こえた。
『お……』
「え?」
『……もういい』
その言葉を最後に、通話が切れた。
あっ、と小さな声が出た。
通話の画面から元の画面に戻って、弥生と睦月のメッセージが目に入った。
既読『どしたの?』
既読『今日おかしいじゃ
ん』
『何があったと思う。』
既読『ゆかりちゃんと喧
嘩』
『正解。』
既読『まじか』
既読『内容は?』
『…(^_^)☆』
既読『逃げた!』
『……………。』
既読『あ、』
既読『ちゃんと聴いてて
ね』
『えっ?』
……睦月が教室を出てから、弥生はずっとメッセージを送っていたのか。
睦月は内容を話したがらないとみた。
だからあの時、柊姉妹に言わなくて正解だったのだ。
そして今、わたしがもう少しでも急いでいれば、そのことについて話せたかもしれないのに。
廊下の端に座り込む。
やってしまった。かけ直す勇気もないのに、わたしは。
このままどんな顔をして教室に帰ればいいのか分からない。
「死んだ」
5限目はサボろう。
今日は厄日だ。このままだと明日も、明後日も、明明後日も……その次はなんだ。明明明後日かも。
ふっ。
でもこんな日が続いて、取り返しがつかなくなったら……。
やだな。