9話 えぇーいいじゃんか、ちょっとぐらい
部活動、というものがある。
ある定められた部で活動することこそ、部活動なのだ。
学校によって部の数と種類は異なるが、野球部、サッカー部、陸上部、テニス部、バスケットボール部、バレー部……くらいはどの学校にもあるだろう。
剣道部や弓道部、茶道部なんてのもあり、それらに所属していると無償に凄いと言われる。
部活動は主に体育部と文化部に分かれる。
野球部やサッカー部のような体を大きく動かす部活が体育部、美術部や吹奏楽部のような激しい運動はしないがある道具を用いて描いたり演奏したりする部活が文化部。
何かに一途になり、苦労と成功を繰り返して日頃の悩み事から目を背くことができる。そしてリフレッシュされた身体で悩み事に挑むと何かと良い結果が出せる。
中にはどの部にも所属しない、一般に帰宅部と呼ばれる人も少なからず存在する。
……クラスで何かと浮く。
それでも部活動の良い点は、自分で自分の特技や趣味に没頭することを選べる、という点だ。
ゆかりたちの通う福根西は1年の入部が迫っている。
各々の特技、好奇心で選ぶ部活動を約3年間続けることになる。(退部なんて、考えないでね)
中学校の頃に所属していた部に入ったり、帰宅部だった子が高校生活こそはと入ったりする中、ゆかりには心から決めたことがある。
「ゆかりちゃんは、何か入るの?」
「お婆ちゃんに卓球教えてもらってたんだ、実績もある。道具は一式持ってるから……わたしは卓球部にする」
「……へぇ……いいよね、そういう風に簡単に決めれて……まぁ卓球部は去年廃部になったらしいけどさ」
「……Really?」
放課後。
いつものように如月が弥生を迎えにきて、さよならを言って別れる。睦月と肩を並べて歩くのが日常となった。
「今日は……風が泣いている……」
ごうごうと音を立てる風を泣いていると例えた。
音の強弱がバラバラで特に定まっていない。その不安定さがいまの自分の心境に似ている。
「何、言ってるの?」
睦月が心配げに病院を指差した。
必要ないよと断ると、異常者は基本そう言うでしょと反論された。
わたしは正常だよと言うと、それも異常者の言い分でしょと言い切られた。
悔しい。
「……感じるんだ。今日の風……悲しんでる」
「だから、何を……」
「分からんやつは黙っとけっ!」
「えっ……えぇ……」
ゆかりが地団駄を踏むと、睦月が脅えた。
身構えられてまた足蹴りされるのだと思うと体が硬直する。ありったけ硬くなって衝撃を抑えてやる。という魂胆。
「……………………何かあったの?」
「……部活……卓球部に入りたかった……」
存分に甘えたくて睦月の胸元に倒れ込むと、睦月はしっかりと受けとめてくれた。
それどころか頭を撫でてくる。
「睦月ちゃんは……入る部、決まってるの?」
「わたし?……は……ないなぁ。帰宅部志望」
「やらないの?やりたくない?」
「いやぁ……部活動なんて内申稼ぎに過ぎないから。部活するくらいなら家に帰って勉強するかどこか行く」
はぁ、と肯定ともとれる反応をする。
そう考えている人もいるんだ、と世界は広いのだと確信した。
自分は、何部に入ろうか?
唯一できる卓球も部がなければできない。他の部は自分のいる場所ではない気もする。
「わたしも……そうしようかな。そうしたら放課後、睦月ちゃんと遊べるし」
「……好きにすれば」
「……嬉しいんでしょ。喜んでるぅ」
「違っ……どうするかはゆかりちゃんの自由だから……」
「ふへへ、またまたぁ」
「もっ、もう!……泣くよっ?」
「いや!ごめん!それは、やめて!ごめん!」
暴力を振るわれるより心の方が傷付く恐れがあるから。
少しやり方を変えてきたのか。
本当は泣きそうにないんだけど、彼女は泣き真似がうまそうだから怖い。変な噂を立てられたくないし、仮でも友達の悲しむ姿は見たくない。
「許さない」
「えっ……えぇ……」
「焦ったんだ?」
悪戯な笑みを見せる彼女の、桃色と桃色の間の白い歯さえ綺麗に見えた。
そんな笑い方もするんだ、と1人で呆けてしまう。
もう少しだけ、あと1分でも、この顔を見ていたい。携帯の待受画面にできる自信はある。大有り。
「……ん?どうしたの?」
「いや……何も…………ちゅき」
「はい?」
敗北だった。
人生で一番はやく、悔しく、好きになれた敗北。
泣き脅しからの笑みは反則だ。耐えられない。
「でも……悪くないね。ゆかりちゃんと遊べるのも」
「やめて!……照れちゃう……」
「かーわいー」
アパートに着くと部屋の前で数分話すのが日課となった。
隣だから常に同じ家に住んでいるようで、親近感がある。彼女だって否定はできないハズ。というかされたくない。
「今日、こっち来ない?」
「別にいいけど……おもてなしてよ」
「それはキツい」
苦虫を噛み潰した顔を見せると、睦月が鼻で笑った。
バカにしているのか、純粋に面白かったのか、よく分からない。
「……じゃあ……カバン置いたらすぐ行く。20秒くらい?」
「着替えないの?別に時間はたっぷりあるでしょ」
「いや、制服のままで行く。1秒でも長くゆかりちゃんといたいから」
なんだ、それ。なんだ……それ……。なんだそれなんだそれなんだそれ。
なんか怖くなってきた。
なんかそういうそれだぞ、それ。少女漫画とかの台詞だ。男が女に言う、ちょっと気持ち悪い台詞じゃんか。
「……1秒で何ができるよ?」
「え……何か……ストップウォッチを1秒ジャストで止めれる……」
実際何もできない。という結論が出たのは言うまでもない。言ったけど。
でもそれも悪くないと思う。
遊べる時間は長ければ長いほどいい。
「……じゃ」
「待ってるよぉ」
手を振れるほど距離はないしさよならを言えるほど長い別れでもない。
睦月の顔がドアに消えて行くのを見届けて、20秒で何ができるか?を考える。
まず玄関を見渡す。次に廊下、そして部屋に入って、絶望する。
「わたしの部屋……ヤバいな」
チラシを片付けるのに何分かかるものか。
この前、部屋に睦月を招いた時に睦月が少し片付けていたが、底がどこだったかさえ分からなくなっている。
「これゃ……怒られるな」
見計らったのか?と思うくらい、睦月がインターホンを押した。
今日は無理だったなんて今さら言えないし、居留守もできない、招き入れるしかない。
そうも悩んでいるうちにインターホンのチャイムはより激しくなった。
「……うぅ……はいはいドア開いてるので入ってくださぁい」
それから数える間もなく、お邪魔しますと一言添えて睦月が部屋に入ってきた。
散乱している物を見るなりうわぁと鳥料理を生け捕りの段階から始める料理人の一部始終を見るような目をしてくる。
そんな反応を見せる睦月は、やはり制服のままだった。
少し、悔しい。
ラフな格好も見てみたいという、ほんの乙女心だ。
「成長してないじゃないですの」
「やろうとはしてるんですけどね」
「やろう、やろうなんて決めたところでやらなきゃ意味ないよ。というかもっと感じ悪い」
言えるときにはとことん毒舌だなぁ。
なんて、心の中で思う。
自分が悪いということは重々承知している。
「掃除なんて生活の基本なのに」
そう言い捨てながら地面に散らばった新聞紙を拾い始めた。わたしの部屋なのに。さすがにそれは見ていられなくて、わたしも参加する。
「例えば……どうして服が散らばってるのか?を考えてみればいいの」
「ほぉ……理由かぁ……着替える時に脱いで、脱いだ服をまとめておくのが面倒だから?とか。あと洗濯も面倒」
「なるほどね……」
服の山からパンツを取り出した彼女が何か深く考え込んでいる。
それっきり、何も言わない。
「……どうかした?」
「いや……このパンツ、わたしのと同じだなぁって」
「……ピンクの?」
「うん……いま履いてる……見る?」
「見ません」
「見せる気はないけどね」
「……いま一瞬で見たくなった。ヤバい」
結局見せてくれなかった。
不意を付いて見ることもできるかもしれないけど、多分……というか絶対嫌われる。
まぁ本人がそうだと言っているのだから、そうなんだろうな。って程度には。頭に納めている。
「暇なとき掃除に来ようか?」
「いやぁ……それは睦月ちゃんが困るでしょ。わたしの部屋だよ?ここ」
「……ちぇっ」
「なんで舌打ち?」
「……ゆかりちゃんに頼られたい」
「……ほぉ……?」
みるみるうちに床に散らばる新聞紙が机の上に積み重なり、横にある内容量2000ミリリットルのペットボトルの高さを超えた。
新聞紙のくせに中々倒れない。わたしが置くと新聞紙が滑って散らかしてしまうかもしれない。
「……迷惑はかけられないよ」
「なんで?……どうして?」
どうしてだなんて、そんな質問をされても困る。
わたしは友達なら欲しいけど、使用人みたいな人は欲しくない。
上手く言えないけど、友達をこき使いたくない。
「……そう言ってる睦月ちゃんの部屋はさぞかし片付いてるんでしょうねぇ」
「……あったり前じゃん」
「それなら見せてよ、参考にするから」
「それは無理」
快く、断られる。
前に1度、同じような会話をしたことがある。
人を入れたくない理由でもあるのか?
このわたしでも招き入れてるというのに。
「……どうして?……カーテンだってずっと閉めてるし……」
「わたしはそういう人なの」
「……怪しい」
「怪しくなーい」
「何か隠してるでしょ?」
「……してない」
「ほら!いま動揺してる!」
睦月が目を逸らしながら、瞬きを繰り返して否定した。
隠し事をしていることは見え透いているけれど、確信的な、何を隠しているか?が分からない。
「……そういやさぁ、いまそのパンツ履いてるんでしょ?……言ってたよね、さっき」
「……うん……?」
「他には?どんなパンツ履いてるの?」
「……え……おパンツですか?」
「ちょっと変だけど、うん。おパンツですよ」
「パンツは……く、黒……と青」
「3つだけ?」
「……あっ、そうそう、白のも……」
「……4つ?」
「……を2つずつ……」
本当にそうなら問題はないか。本当にそうなら。
ふーんと適当に相づちを打った。
それだけ?という顔でこっちを見る睦月に、核心に迫ろうかどうか考えた。
「布団は?どんな柄?」
「……青」
「私服って何色が多い?」
「……黒?とか青を薄めた感じの」
「好きな食べ物は?」
「……ラー……パン?食パンとか」
「パンツの数は?」
「にっ、は……8!」
いま、絶対2と言おうとしていた。確実に。
睦月が挙げたパンツだって、同じものを2つだとか、当てつけな感じがする。
カラーリングだって黒青紫の3色ばっかだし。
「……何?」
「……睦月ちゃん……」
お互いに見つめ合って、考えをまとめる。
ゆかりの中では、睦月は嘘というか、何か、誤魔化している。的な。多分、何かを隠している。
「……睦月ちゃん」
「何?」
「睦月ちゃん」
「だからなんなの!?」
「ごめん!」
それ以外のことは何も言わず、玄関まで走った。
睦月も最初は何をしているのか分からずにいたけれど、次第に理解したのかわたしを追って走る。
靴を履いている時間もない。ドアを開けて、左に曲がって、そして、隣の部屋のドアを開ける。
102号室のドアはすんなりと開いた。睦月がすぐ横だという理由で鍵をかけなかったのだろう。
「ダメっ!入っ……ちゃっ……」
玄関は至って普通。片付いているというよりは、何も物を置いていない。靴が1足あるだけでそれ以外の物は見当たらない。
廊下を進んで左に浴室があり、トイレがある。ここは流石に見られない。
「ゆかりちゃん、出て」
「えぇーいいじゃんか、ちょっとぐらい」
「ちょっとでもダメなの!」
玄関まで走り切った睦月が入念に否定する。
否定をするだけで特に何かを説明するわけではないので、頭を傾げるだけで廊下を進んでいく。途端に睦月が走り出して、急かされるようにリビングへのドアを開けた。
「……あれ……?えっ……ん?」
睦月の言ったことは正しかった。部屋は散らかっていない。自分の部屋とは比較するまでもなかった。
でも、それどころではない気がした。
散らかっている、散らかっていないという話ではなく、そもそもの、根本的な、決定的といえる話。
「……なんもない……」
布団や机、机の上の飲み物以外には何もない。テレビも、椅子も。自分の部屋にあるものは基本的にない。
「……だから見られたくなかったんだ」
「台所に……」
「何?」
「まな板も包丁も……料理器具がないよ……なんで……」
悪いことだとは分かっている。それでも確認せずにはいられなくて、冷暗所を開けた。
カーテンを隔てた日の光で少しだけ中が見えるけど、冷暗所の中には何もない。
普通、油や調味料とかがあるものだろう。家庭科の授業でジャガイモや玉ねぎは冷暗所に入れると習ったはずだ。
それでも、どこにもない。
「この前ケチャップが切れてるから買うって、言ってたよね?」
「……うん」
「……どこ?」
「ない……どこにもない。強いて言うなら店」
「……なんで」
「それくらい分かってよ」
買うと言っていたケチャップは本当は買っていなかった。ということか。
でもどうしてそうなるのか?
理解したくてもできない。もう自分は理解しているのかもしているのだけど、受け入れたくないだけなのかもしれない。
「なんで、買ってないの?……嘘をついたの?」
「……前も言ったじゃん」
「……何を?」
「家出してるって、わたし言ったよね……家具を買ったり食事を摂ったり、そんなことできるお金なんてあるわけないじゃん……違う?」
睦月は少し不機嫌だった。眼差しが怖い。
何をされるのか分からなくて、ただその場で立ち尽くす。
「言ってくれれば良かったのに」
「ヤだ」
「……なんで」
「……友達に……迷惑をかけれるほど、わたしは弱くない」
付け足すように「帰って」と言われた。
そうやって、強さをアピールするところが嫌いだ。平然と普通を装って、1番傷付いてるくせに頼らない、そういう睦月が大嫌い。
「……睦月ちゃんは」
「何?」
「……ごめん、何もない」
「……そう。じゃあ、もう帰って」
断ることだってできたハズだ。何か言ってやることだって、わたしにはできる。できた。
でも、できなかった。
ごめんという言葉を何度か連呼して、自分の部屋に帰っただけで、今日という1日が終わった。
何もできなかった自分が憎い。
相談してくれなかった友達が鼻につく。
だからって、今一度話せる気もしない。2度と睦月の部屋には行かないだろう。2度と睦月と買い物になんて行かないだろう。
そしていつかは。
そんなこと考えたくない。