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桜色交響曲  作者: 野原四葉
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1話 やっぱり見たんだっ!

 満開の桜の花が躍っている。桜の木は風に揺れて花を降らし、花は美しさを保ちながら舞い地面に落ちる。花は散り際が一番見映えがするというものに納得ができる。空は晴れていない。でも、ここに桜があるからわたしの心は曇らない。

 わたしの前には1人の少女がいて、こちらをチラチラと見ている。目が合う度にわたしは恥ずかしくて目を逸らしてしまうけれど、それでも彼女はわたしに微笑んでくれる。


「……ごめん、急に呼び出しちゃって……」


 わたしが言うと、彼女は無言で頷いてくれる。心の奥底にある言葉を伝えたいのだけれど、それはあまりにも大きすぎて、わたしの喉を通ってくれない。息苦しさがわたしを襲う。


「……あ、あのね…………」



 ――。

 これはわたしが中学2年生の修了式後の思い出で、わたし、一条(いちじょう)ゆかりが覚えているのはここまで。わたしが想いを伝えた彼女が誰だったのか、彼女に伝えたことはなんだったのか、わたしは覚えていない。彼女がどこの高校へ行ったのか分からないし、一言も聞かされていない。

 でも、1つ言えることがある。わたしが引っ越したのだから、もう彼女に会えることはないだろう。


 父と母が亡くなってから気が付くと7年が経っていた。ずっと祖母に養護されていたゆかりは春から一人暮らしを始めた。祖母に迷惑をかけるのが嫌だった、かといってゆかりは家事を上手くできない。家事の手伝いなんて、任されたこともない。毎月、生活できる分のお金は送られてくるけれど、食事は基本コンビニで買った弁当、服は洗濯されることなく部屋中に散りばめられている。



「制服にシワなし。髪型は…分かんない。卓球部以外の部活動の人に勧誘されたら「もう入る部活は決まってるので」……パァーフェクトォ!」


 ゆかりはコップの中のブラックコーヒーを飲みほした。この後からくる苦味には、いつまで経っても慣れることができない。

 甘いのから挑戦しようとしたけれど、コーヒーの知識がなくてどれが甘いのかよく分からない。取り敢えず「無糖」と書かれていたら買わないってだけ。


「んじゃ、行ってきます!」


 ゆかりは誰もいない家でそう言った。頭がおかしいのではない、誰もいないのが寂しいだけ。「行ってきます」を言えば、誰かがそこにいてくれているような気がするからだ。

 

 ゆかりが住んでいるアパートから学校までは徒歩約20分。入学式が9時からで、集合が8時40分。いまが8時ピッタシだから少しくらいなら寄り道しても時間には間に合わせることができる。

 ゆかりが寄ったのは近くの本屋だ。祖母の家の近くにある本屋とは比べるまでもなく大きい。通学路の反対側にも同じくらいの大きさの本屋があるので、お金さえあればいつでも本を買うことができる。唯一このアパートを選んで良かったと思える。


「新刊出てるかな……?」


 ゆかりが迷いもなく着いたのは漫画の新刊が置かれているコーナーだった。ヨウゲツという漫画家の本がお気に入りで、前作の花束を君へは何度読んでも泣いてしまう。6巻の公園のシーンは、公園の前を通る度に思い出すほどに読み込んでいる。


「えっとぉ……あっ、あった!……ステラセラの3巻…やった……」


 登校中に漫画を買って行くと怒られるかもしれない。それでも、いま買わなくて放課後にきた時、既に誰かが本を買って売り切れになっていることを考えると、ゆかりは迷宮入りになる。


「先生に見つからなかったら……大丈夫だよね」


 万が一見つかったとしたら?

 完全に詰みだと想像できる。恐怖のあまりゆかりは本を手に取れず、近くの本棚を何周も回る。


「うぅ……買いたいけど怖いよぉ……」


 ゆかりが頭を抱えていると、壁にかかってある時計が8時20分を指していることに気が付いた。ここから学校まで歩けば約15分ほど。走れば約10分ほど。ほとんど時間がないではないか!


「んぅ……買う!遅れちゃったら元も子もないもん!」


 覚悟を決めて本に手を伸ばす。悩んだり、言い訳を考える暇があるなら買えばいいと思い至った。

 焦っていて周りを見れていなかったからか、隣から伸びる手に気が付かなかった。そのまま、ゆかりの手は隣から伸びる手に接触する。


「えっ、あ……す、すみません!」

「ええっ?あ、いえ……別にどうってことないけど……」


 見てみると、手が触れた人は女性だった。ゆかりと同じ制服を着ていることから、同じ高校の生徒だと分かる。

 奇遇だとか奇跡だとか、そんなこともあるっちゃあるんだなぁ、と思うしかなかった。


「あの……君もステラセラを買いにきたの?」


 そう訊かれて、ゆかりは更に焦ってしまう。


「えっ、う、うん…君もってことは……あなたも買いに?」

「うん、そうだよ……いいよね!葉月ちゃんの漫画!」


 彼女はそう言って軽く飛び跳ねるが、ゆかりには理解に苦しむことがあった。


「は……づき……?ヨウゲツじゃなくって?」

「え?……あぁー、うん、ヨウゲツ!……君、名前はなんていうの?同じ高校だよね?福根西高校!」

「な、名前?……一条ゆかり……だけど」


 ゆかりは軽くお辞儀する。考えてみると、なぜまったく接点のない初対面の相手に名乗ったのか不思議である。

 名前を訊かれたから名乗ったというのは道理に沿っているけれど、それってただ人に流されているだけだから。


「ゆかりちゃん……ね。わたしは白河(しらかわ)睦月(むつき)!えっと……その緑色のバッヂの色って新入生だよね?」

「え、うん……」


 いきなりちゃんを付けられたことには触れず、ゆかりは答えた。


「ふわぁ……わたしも!わたしも新入生なんだ!」


 睦月はいったい何がそれほど喜ばしいのか、ゆかりの手を取って飛び跳ねる。彼女はよく飛び跳ねる子だと、ゆかりが断定した瞬間だ。


「あ、あのさ……睦月ちゃん……喜んでるところ悪いんだけどさ、スカート、めくれてる……」


 どうやら跳び跳ねた時、スカートがカバンに引っ掛かってしまったらしい。睦月はそれを確認すると、ゆっくりと屈み込む。


「えっ、えっ……?」

「……やっちゃった…もうダメ、生きてけない」

「いやっ、大丈夫だから!誰も見てなかったから!」

「……レアリー?」

 

 顔を上げてゆかりを見る睦月は、明らかに泣いていた。それほどショックを受けられるとは思っていなかった。ゆかりは教えたことに後悔する。


「うん……誰も通ってなかったよ……」


 これは嘘だ。睦月の後ろを男性が1人と女性が2人、前を女性の店員が1人通っていた。それでも彼女を元気付けるには嘘をつくしかなかった。


「……何色だった?」

「えっ……水色と白色の水玉……」


 質問の意図が分からず、ゆかりは見てしまったものをそのままの通りに伝える。


「やっぱり見たんだっ!」

「……あっ!」


 睦月は「バカ!ゆかりちゃんのエッチ!」と他の客を考えないほどの大声で言う。何人かが様子を見に来て、何を思ったのかは知らないけど立ち去って行く。


「違うっ、見てないってのは周りの人は見てないって意味なの!」


 ゆかりがどう慰めようとしても、睦月は顔を隠して話を聞いてくれそうにない。


「あ……あの……」

「何!?絶対に許さないからね!」

「いや……学校が……今35分なんだけど…」


 ゆかりがそう言うと、睦月の動きが止まった。それに釣られてゆかりも止まる。高校生が2人、本を片手に静寂している様は想像以上にシュールかもしれない。


「……集合時間ってなん分だっけ?」

「40分……あと5分だけど……」

「ここから学校までなん分くらいだろ?」

「えっと……わたしが走っても10分はかかるかも……」


 それはつまり完全なる死ということだ。車やバイクが無い限り間に合うことはない。ヒッチハイクをしている時間もないし、2人は考えることもできない。

 入学式から遅刻は流石に許されることではないだろう。


「多分、というか絶対……わたしは間に合わない……だから睦月ちゃんだけでも走って行って……」

「いや、わたしも流石に5分で学校までは無理だよ……」


 本を片手に溜め息をつく2人の女子高生は絵面が良くない。ゆかりの高校生活のイメージは、もっと友達とはしゃいでるものだから。


「……取り敢えず走ってこ!2人なら怒られても平気だよ!」

 

 そう言った彼女には落ち込んでいる表情がなく、ただゆかりの目を見つめている。あまりにも見られるものだから、ゆかりは恋に落ちる気分を味わうことになった。


「……赤信号みんなで渡れば怖くない……ってか?」

「んぅ、そうかもしれないけど……青になってから渡るのが普通でしょ」

 

 そうと話していると、時計が38分を過ぎていることに気が付いた。


「……ねぇ、睦月ちゃん。結局遅れるんならさ、走らなくてもよくない?」

「なに、その考え……親の顔が見てみたいんだけど……」

「えぇー変なのぉ?別にいいと思うんだけどなぁ……」


 ゆかりの中では、少し遅れると結構遅れるでは、両方同じ遅れるなのだ。多少違うとしても、ゆかりにはそんなことを気にする精神力というものが欠如している。


「いいから、走るよ。歩かれたら困るから手繋いで走るから」

「えぇー、睦月ちゃんが困ること、なくない?」

「あ、る、のっ!」


 睦月は強引にゆかりの腕を掴んで引っ張った。そのまま引きずられるようにして2人は店の外へ出る。


 店の外に出た時には、ゆかりの制服の袖は少し伸びていた。


「痛いよぉ!もっと優しくして!」

「……ゆかりちゃん、考えてみてほしいの。もう間に合わないのは確実、でも走って行けば、ちょっとでも早く着けば、先生に許されるかもしれないじゃない?」

「怒られるのは確定じゃん」


 ボソッとゆかりが言うと、睦月は頬を膨らませた。焦れったくて、ストレスがたまっていくのが分かるような、少し痛い目。そんな目に負かされたゆかりはしゅんとする。


「ゆっくり行って1時間怒られるか、走って行って30分怒られるかだったら、断然30分怒られる方がまだいいよね!?」

「それは30分だけど……」


 ゆかりが気の込もっていない声で言うと、睦月は「ね?そうでしょっ!?」と喜ばしそうに飛び跳ねる。


「……あっ。パンツが……」


 ゆかりが指を差すと、睦月は赤面しながらスカートを直す。そして呆れたように「ゆかりちゃんのエッチ」と理不尽極まりなく言った。


「ねぇ、睦月ちゃん。もう40分を回ってるんだけど……」

「どっかの誰かさんが歩いて行こうとか言うからよ!」

「違うもんっ!お腹が痛いだけだもん!トイレに寄りたかったの!」


 ゆかり曰く渾身の嘘だ。睦月の(うつむ)きながら戸惑う様を見ると、信じ込んだのだとゆかりは確信する。だが、睦月は顔を上げて「……嘘付いたらステラセラの3巻買い占めるよ?」と言った。


「そ、そんな……営業妨害だ!鬼!睦月ちゃんの外道!」


 とんだ水掛け論を繰り広げていると、ゆかりと同じ制服を着た女の子がゆかりの肩を軽く叩いた。


「あ、あの……君たち、福西の新入生……だよね?」

 

 よく見ると、彼女は2人の制服に着いている緑色のバッヂとは違い赤色のバッヂを付けている。たしか緑色が1年生で、青色が2年生というのを聞いたことがある。つまりこの人は3年生なのだと見て取れた。


「え、はい……そうですけど……?」

「えっとね……あの……高校までの道、教えて……」


 おどおどとした態度は気にしないが、質問の意図が分からなかった、2年間も学校に通っているハズなのに、なぜ通学路を訊ねるのかが理解に苦しむ。


「……ご、ごめんね、忘れっぽい性格で……昨日始業式があったばかりなんだけどね……友達が風邪引いちゃって、友達が一緒じゃないと登校もできないんだ……」


 それは重症だ。ゆかりと睦月は入学式の時間より、彼女の物忘れの酷さが心配でならない。


「でも……新入生の子に訊くのは先輩としてダメか……」


 そうとだけ言い、学校とはまったく違う方向へと歩いて行く。


「ちょっ、ちょっ……案内しますから、思う存分頼ってくれていいですから!」


 そんなお先真っ暗な彼女を見て、睦月が彼女を引き留めた。


「……君は、優しいんだね」


 その子は睦月の手を取りながら涙混じりの声で言った。


「……案内がてら学校に行ける。一石二鳥だね」


 睦月の手を握る彼女は、少し明るい顔を見せた。エスコートする睦月には何かと母性を感じる。ゆかりは2人を後ろから見つめながら口笛を吹く。

 そしてわたしたちは怒られることを忘れて学校へ向かうのだ。

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