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湯気の中  作者: 三波直樹
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 福徳スーパーは例年にない売り上げを記録していた。地元テレビの取材が入ったのだ。夕方の報道番組のワンコーナーで大手百貨店と並んで紹介された噂のスーパー、年末商戦などまだまだ先の九月の終わりのことだった。


 放送を録画して近所の知り合いを呼び集めて観賞会をした美幸からの電話が何度もあった。「あんたもっと背筋伸ばしてしゃんとしとったらよかったのに、またテレビ来たときの為にええシャツ買うといたから送るさかい次はそれ着いや。あとネクタイもどないかならんかったんかいな、口に指入れられて引っ張られたみたいに歪んどったやないの。ほんでデレクターさんの名刺もろた? 次はもっとあんたの喋ってる所のテロップ大きくしてもらうようにお母ちゃん言うたろか? せっかくやねんからもっとびっくりマークようさん使ってインパクトつけてもらわな物足りんわ。ほんでな、あんた眉毛整えたほうがええて森さん言うてはったで、最近は男でもそれぐらいするのがエチケットや言うてはったわ。森さん堺東で美容室やってはるから行ったらやってくれはる言うてはったわ、予約なんかせんでもいつでもおいで言うてくれてたで?」たった二分弱の我が子のテレビ出演でも、子を想う母の喜びは計り知れなった。


 ご主人やスーパーの従業員は一時の盛り上がりだと思っていたのだが、放送から二週間が経っても客足が減る様子はなかった。その光景を眼の当たりにした福徳社長の息子は、勤めていたデザイン会社を辞めて三代目を引き継ぐ決心をしたという。そして年齢も近いということで、三代目の教育係としてご主人が抜擢された。役職は副店長になり先代社長の提案で、店先で三代目と一緒に歌舞伎役者の襲名披露のようなイベントをされてしまったという。そのときは運よくテレビの取材はなかったのだが、面白がって撮られた写真がSNSで拡散されて小さなネットニュースになってしまった。ご主人は「外に出るのが恥ずかしい」と言っていたが、これで新しい出会いでもあればいいんじゃないかと僕は思っていた。しかし、そんな僕の思いとは裏腹に、ご主人は仕事に追われる日々を過ごすことになる。


 以前から担当していた青果部門に加えてお店全体の売り上げ管理、三代目とチラシの作成、店舗改装の打ち合わせと大忙しで、仕事から帰って来るとそのままベッドに倒れ込む日もあった。ベランダの自家菜園はすくすくと育っていたが、使う頻度が減ったので小さな茂みになってしまっていた。金子さんのアドバイスで香草をポプリにしたり、プチトマトをドライトマトにしてオリーブオイルに浸けたりして日持ちがするように工夫はしていたが、以前のように食卓に上ることは明らかに減っていた。


 物干し竿にくくられていた風鈴は片づけられ、時折聞こえるビル風と車のクラクションが残暑に混ざって消えて行く。もう十月に入ったというのに、日中はまだ真夏日になることもあった、そんな中ご主人は自分の部屋でパソコンを開いて仕事をしている。集中していて時間に気づかなかったのだろう、インターホンが鳴ると「やってしもた」と言ってご主人はリビングに走って来た。


「ごめん、すぐに下りるわ」


「おう、待っとくわ」


 画面の中で小さな金子さんがワイシャツの襟をつまんでぱたぱたと身体を冷やしていた。ご主人はクローゼットからTシャツとジャージのズボンを取り出して、玄関へ歩きながら着替えた。僕を抱えてドアに鍵を掛け、少し硬くなったファーストミットを脇に挟んでエレベーターに乗り込んだ。一階に着くとロックが掛かっている自動ドアの向こうに立っている金子さんの姿が見えた。いつもと変わらない、時間に忘れられたような同じ顔、同じ服装。待ち合わせをすっぽかされたのに、ご主人を見る表情もいつもと同じだった。


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