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「お兄ちゃんって年がら年中麦茶の人じゃなかったっけ? なんでほうじ茶に変えたん?」
「麦茶のストック切れたんよ、朝飲んじゃったから。金子君がほうじ茶やったら熱湯で淹れても味や香りに変化が少ないお茶やからって教えてくれたんよ。使ってない鉄瓶もあげるって言ってくれてさ、あれで淹れるとお湯が丸くなるんよ」
「ふーん」
彩弥ちゃんはなにか言いたげだったが、ほうじ茶と一緒にその言葉を飲み込んだ。たぶんそれは彩弥ちゃんにとって伝言ゲームだったのだろう。出涸らしで淹れたお茶みたいに薄まった雑学は、彩弥ちゃんには沁みわたらなかった。金子さん本人から聞いていれば、もっと新鮮な反応をしていたんだと思う。
「それにしてもこの雨の中を邪魔やからって傘も持たんと走って来るって、無茶なことするよなあ。お兄ちゃんやなくて金子君がおったらどうするつもりやったんや、あんまり迷惑かけたらあかんで」
その言葉を聞いて眼を細めた彩弥ちゃんの次に発せられる言葉がどんなものなのか、僕の心臓は小さくなって鼓動が早くなった。そして湯呑をテーブルに置いて彩ちゃんが口を開いた。
「お兄ちゃんと比べたら可愛いもんやと思うけど」
強烈、という言葉はこのときのためにあるのだと思った。彩弥ちゃんの一言は、たくさんの出来事を一纏めにした見事な一撃だった。それは僕がご主人と出会う前から、彩弥ちゃんが見てきた二人の関係が今と変わらないことを意味していた。
「そりゃまあお兄ちゃんも金子君には色々世話になってるけど、妹まで一緒になってってなるとさすがに」
「自分のことは棚に上げて私にはあかんって言うの? もう成人してるねんから子ども扱いはしてほしくない、自分の考えがあって行動してるんです」
淡々と語る彩弥ちゃんには眼を瞑ってお茶を飲む余裕があった。ついさっき心配しだしたただけのご主人とは違い、気持ちの準備が整い過ぎていた。迂闊にも口にしてしまった迷惑という言葉がいけなかった。久しぶりに吹かせた兄貴風は、外で荒れ狂う低気圧に飲み込まれてしまった。
「大丈夫、金子さんかお兄ちゃんどっちかはおるってわかってたから。お兄ちゃんも二日続けて早番ってことないし、遅番やったら九時台やったら家におるってわかってたし。休みやったらこの天気でポチのこともあるから留守になることはないってわかってたから」
彩弥ちゃんの読みは冷静で的確だった。
「それでも風邪ひいたらあかんやろ、身体は大事にせなあかん」
「うん。ごめんなさい」
彩弥ちゃんの返事はとても可愛かった。それはご主人の優しさをずっと身近に感じて育ってきた妹だから出てきた言葉だった。彩弥ちゃんにとってご主人を言いくるめることなど簡単に出来ただろう、でもそれをあえてしない所が彩弥ちゃんの兄を想う愛情の表れだった。
「お父さんとお母さん、また二人で旅行に行くって言ってた」
彩弥ちゃんは垂れた前髪を触りながら話し始めた。
「そうなん? ほんまにいつまでたっても仲ええなあうちの親は」
「なんか出雲大社に行ってお兄ちゃんと私の将来の相手をお願いしてくるんやって」
「そんなことしに行くん? なんかプレッシャー感じるなあ」
「そう? 私はお賽銭とか供物とか必要な神様ってどうかと思う。それより相手は自分で決めたいなって思う」
「なんか金子君みたいなこと言うようになったなあ彩弥は」
「そうかな?」
彩弥ちゃんは僕をバスタオルで隠したダイヤモンドの上に乗せて頭を撫でた。将来の相手というのは結婚相手のことなんだろうか、神様にお願いすると出会えるのだろうか、それはご主人のお見合いと同じような感じがした。僕はなんとなくもうお見合いはしないでほしいと思った。どうすればご主人が相手のことだけを考えて好きになれるのか、そんな方法があればいいなと思った。




