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湯気の中  作者: 三波直樹
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「金子さんは、心配にならないんですか? 兄のこと」


 彩ちゃんは正座して両手を膝の上に置き、テーブルの一点を見つめて金子さんに問いかけた。


「大丈夫やよ、あいつは」


 彩弥ちゃんはやっとその大きな眼で金子さんの顔を見た。部屋に夏の日差しが入って来る。一瞬の通り雨だった。金子さんの表情はとても穏やかで、揺るぎない自身に満ちていた。部屋の温度が徐々に上がって行く、物干し竿にくくり付けられた風鈴が澄んだ音色を響かせた。道路工事の作業音が再び騒がしく聞こえてきたが、彩弥ちゃんの視線はずっと金子さんを見ていた。


「小百合ちゃんは自分の意思で純から離れた、それは事実やよ。それは知ってる。それ以外のことは、少なくとも俺は彩弥ちゃんやほかの人からその理由を聞きたくない」


「どうしてですか」


 納得がいかない。彩弥ちゃんは感情を抑えようとしていたが、時間の問題かもしれない。


「あの子がなんも言わんと出て行ったからやよ」


 風鈴の音が聞こえた。


「小百合ちゃんは言いたくなかった、純にも、誰にも、何も言いたくなかったんやろな。だから純も知りたくないと思う、小百合ちゃん本人の言葉やないとな。想像や推察、少しでもそんなんが混じってたら、嫌やよ」


「金子さんはこの人の肩を持つんですか」


「又聞きの又聞き、伝言ゲーム。そんなんじゃ俺はこの子を本気で嫌いになられへん。彩弥ちゃんも純や俺に小百合ちゃんが出て行った理由を話すとき、自分と同じように怒ったり嫌いになってほしいって思って話すかもしれへん。人のことを悪く言ったらあかんなんてきれい事言わへんで? でも、彩弥ちゃんのきれいな眼に、かもしれないとか、だろうとか、そんな曖昧でにごったものが映ってるのを、俺は見たくないんやよ」


 手入れをしれいなくても整った形の彩弥ちゃんの眉が下がる。どこを見ればいいのか、彼女はわからなくなってきていた。


「彩弥ちゃんは結婚したい?」


「はい」


「それは結婚がしたいから? それとも一緒に生きたい人がいるからなのかな?」


「私は」


 彩弥ちゃんはまた顔を下に向けてしまった。肩をすくめて唇を口の中で噛んでいるように見えた。


「純は結婚にこだわってないと思うな。結婚したいから相手を探すようなことはせへんと思うねんよ。自分の寂しさを埋めてくれるなら誰でもいいなんてことは考えたこともないやろうしね。確かに同年代で結婚してないのはもう純と俺と、数えるのがだいぶ楽になるくらい少なくなったけどさ、俺が知ってる奴らの半分は離婚しちゃった。だからってわけじゃないけど、焦ってもしょうがないことやと思う。だいたい三十くらいで結婚して家庭を持って子供をつくる、それが幸せなんかな? それって誰かがつくった幸せそうな風景のお手本みたいなもんで、そんな感じの生活が幸せなんやって思ってしまってるんかもせえへん。世の中には結婚に向いてない人もいるし、家族が苦手な人もいる、子供をつくって不幸せになることだって現実にはあるし、幸せのお手本通りにやったとしても幸せになれる保証なんてどこにもない。純は気にしてへんよ、そんなこと。あいつは自分が幸せになる方法を、ずっと探してるんやと思うな」


 金子さんの背中には羽が生えていた、この人は自由な人なんだと思った。囚われることがない人なんだ。金子さんの考えは奇をてらうでもなく、斜に構えるのでもなく、空の上から見ていた。掴みどころがない人間という印象を持ってしまう原因はここにあった。人を惹き寄せるのに交わることはなく、いつもどこかへ飛んで行ってしまいそうな雰囲気をいつも身にまとっていた。


「私、みんながなんで昔から金子さんのこと変人って言うのかわかった気がします。それに兄がどうして金子さんとずっと仲良くしてるのかも」


「俺変人って言われてたん? まあ自覚はしてるけど」


「なんか、私この雑誌持って来てなにがしたかったんかわからなくなりました」


「そっか。で、気分はどう?」


「今は金子さんにイライラしてます、わかってて聞いてるでしょそれ」


 彩弥ちゃんは口を尖らせて眼を細め、わざとらしく不細工な顔をつくって見せた。金子さんと話すと女の人はみんなこんな顔になってしまうのだろうか。


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