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「年齢のことです」と小声で石井さんが言うと「それは二十七か八かな、手を見るとそうだと思う。大丈夫、僕はお尻が好きだから」と真顔で金子さんが返した。
「大丈夫じゃないですよ、今年で二十八です、それに、Dです」
「当てちゃうんよね、ごめんな。そんなに赤い顔してたら、蝶々がお花と勘違いして蜜を吸いに飛んでくるかもしれへんよ?」
「村田さんの話してたそのままの人ですね」
「そうなん? 村田からはどう聞いてたん?」
「なにを考えてるのか全然わからない人って言ってました」
石井さんは口を尖らせて僕を膝の上に乗せ、少しだけ荒っぽい手つきで僕の頭を撫でた。僕の爪切りを始めた石井さんを見て金子さんは黙って笑っていた。
「金子さんから見て、村田さんってどんな人ですか?」
「村田は大人やよ、俺と違ってね」
僕の右前足の爪を切り終わり、石井さんは黙って話の続きを催促していた。このとき、金子さんは何を感じ取っていたんだろう。ようやく口を開いて出てきた声は、確かに若く見える見た目とは釣り合わない、不思議な平穏さを持っていた。
「あいつはいつも人のことを考えれる人間やし、大切なものが何かをちゃんとわかってる人間やと思う。どんなことに対しても真面目で忍耐力があって責任感もあるしね。俺に出来ないことをあいつはちゃんと出来る」
金子さんに出来ないことっていったいどんなことなんだろう。ご主人には可哀想な気もしたが、僕には見当がつかなかった。
「ただあいつは今、水の中にいるんやろな、息継ぎをしたらいいんやけど、真面目やからな。酸素が少なくなると段々頭がぼんやりしてくる、それでもまだ泳ごうとしてるように見える」
「金子さんは、村田さんがそうしてるのをわかっていて、止めないんですか?」
僕にはなんのことを話しているのかわからないけど、本当にご主人が息をしないで泳ごうとしているのなら、僕は石井さんと同じ気持ちだった。
「俺が止めるときは間違ってることをしてるときだけ、村田は必要なことやと思ってやってるんかもな。俺は村田のことを信じてるから、大丈夫やと思うんよ」
「村田さん、いつも金子さんの話をするときに私に言うんです、金子君は答えを持ってる人やからって。私、その言葉の意味がいつもわからなくて不思議に思ってたんです。そんな人がこの世の中にいるのかなって。もし本当にそんな人がいるなら、私はどんな質問をしようかなって考えたりしてました。もし会えて、私の知りたいことに答えてくれたとしたら、どんなに幸せなんだろうって」
僕の爪を切り終わった石井さんは、なぜか淋しそうな眼をしながら僕を撫でていた。石井さんが言うように、ご主人は金子さんに会うと前に進むことが出来たように思う。何かにぶつかっては止まり、金子さんの言葉が道を開いてきた。石井さんのぶつかっているものとはどんなものなんだろう。その答えを、金子さんは持っているのだろうか。
「湊子ちゃんはわかってると思うけど、その答えは俺の口からは聞きたくないと思う」
石井さんの体が一瞬強張り、そして力が抜けていくのを感じた。それは石井さんが訊きたかった答えを金子さんに見透かされてしまったからだろう。つまり、その答えを導き出す質問までも金子さんは見抜いてしまっていた。勉強が出来なくてご主人と同じ大学を中退したとは思えない、生き物は食べたもので性質が変わるというから、もしかするとこの人は誰も知らないものを食べているのかもしれない。料理人とは仮の姿で、本当は魔法使いなのかもしれないと思えてきた。




