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湯気の中  作者: 三波直樹
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 僕はテレビを観るようになった。地上波だと突然始まるCMや効果音に僕が驚くので、BSやCS放送を流してくれている。ご主人が仕事で家にいない間、寂しくないようにという心遣いだ。

小百合ちゃんはご主人と一緒に住んでいるのではなく、不定期で家に来る。大抵は土曜日の夕方に来て泊まるのだが、それ以外の日はいつも突然だった。


 ゴミ収集車の回転板が粗大ゴミを騒々しくプレスして、奥へ奥へと飲み込んでいく音が年季の入った窓を振動させる。ベッドの下以外に隠れる場所がないワンルーム、人間の男の一人暮らしには広すぎず、狭すぎもしない。大通りからも少し離れ、近所の高校のクラブ活動が終われば、その後は隣に住んでいる男性のいがらっぽい咳払いが夜中に聞こえてくる。お世辞にも閑静かんせいな住宅街とは言えないにしろ、贅沢を望まなければこれといって不便に感じることもない。

    

 小百合ちゃんが来るときは足音ですぐにわかるのに、ご主人の場合はいつもドアが開くまで分からない。大きいのは身体だけのようで、気配と髪の毛は相変わらず薄い。僕はお風呂上がりのご主人の頭は意識的に見ないようにしている。分厚い胸板に、僕の身体よりも太い腕、腰に巻かれたバスタオルからは、そんな上半身を支えるのに相応しい闘牛のような脚が生えている。それなのにご主人は、洗面台に前屈みになって自分の姿を情けない表情で眺めている。そんな心と身体の均整きんせいがとれていないご主人を見ていると、妙な安心感と親しみが湧いてくるのだ。


 小百合ちゃんの機嫌はすぐにわかる、良い時は「ポチー」と家に入ってくるなり高い声を出す、それ以外が悪い時だ。無言で家に入り、冷蔵庫を開けてため息をつく。そしてトイレに入って出てきたら、「また髪の毛」と言い、床に落ちているご主人の抜け毛をしばらく見つめる。ベッドに腰掛けてテレビを地上波に変え、数回笑うとスマートフォンを充電してお風呂に入る。複雑に混ざり合った匂いになって出てくると、ご主人に夕飯の買い出しを頼むメールを送る。一時間程すると、ご主人が買い物袋を下げて帰ってくる。小百合ちゃんが袋の中を覗き「これじゃなくて新商品なかった?」とか「お腹空いた、早く温めて食べよ」と言う。「ピッピッピッ」と三回電子音が鳴るとご飯の時間だ。テーブルに幾つかのトレーが並べられ、二人はそれぞれ自分の前に置いた料理を食べていた。違う種類のカップスープに、違う種類の惣菜をつまみ、先に食べ終わったご主人が小百合ちゃんの残したおかずを食べた。


 ご主人は小百合ちゃんが家にいないとき、僕のご飯に鰹節をかけてくれる。「市販の餌でちゃんとバランスとれてるからそんなん駄目って小百合は言うけど、美味そうに食べるもんなポチは」と言って、小分けされた鰹節を僕と分け合って一緒に食べていた。


 ご主人の考えはこうだ、「猫は魚が好き」短絡的な発想だけど的外れではない、やっぱり香りが違うのである。でも、この秘密が小百合ちゃんに見つかってしまうことも多々あった。僕の頭に鰹節が付いたままで、それを見つけた小百合ちゃんはご主人の抜け毛を見るときと同じ眼で僕を見た。こうなったらもうベッドの下か、カーテンの裏で騒ぎが収まるのを待つしかない。猫用の鰹節に変えても関係なく「掃除が大変やねんから、トイレの猫砂も粒がおっきいやつに変えて」とのお達しが下った。小百合ちゃんがする掃除はスリッパで床をって歩くことで、ご主人のようにフローリングワイパーを掛けるのとは違っていた。


 ご主人の仕事はスーパーの店員さんらしい。大学を卒業して、お父さんの知り合いが経営している地元のスーパーに就職して九年になるという。福徳スーパー、僕はまだ字を読むのが苦手なのだが、とても縁起の良い名前だという。それでも大手の進出でお得意さんが取られているらしく、青果部門の主任を任されているご主人は、最近「はいお客様、はい」とはっきりした寝言を言うようになった。早番だと七時に家を出て夜八時には帰宅、遅番は十時から夜の十一時、忙しいときは日をまたぐこともある。一応週休二日になっているそうなのだが、曜日は決まっていないらしい。自分の意思とは関係なく不規則な生活になってしまいがちなのに、仕事から帰って来るとまず最初に僕を撫でてくれるのが嬉しかった。


 そして、休みの日はいつも僕と一緒にいてくれる。中学校から高校、大学まで同じだという金子さんと近くの公園でキャッチボールをするときも、僕を自転車のカゴに入れて連れて行ってくれた。


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