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「はい、じゃあ白菜の四分の一カットを七十八円で、右下で。はい、お疲れ様です」
今日の左上は下関産の寒ブリに決まった。青果の商品に左上のスペースはそう簡単には回ってこない。チラシに「祭り」と書けばその商品は売れるというのだが、「冬の根菜祭り!」、「白菜祭り!」と書いたところで、文字以外がインパクトに欠けるのは誰が見ても明らかだ。メインの食材を裏で支える野菜のことを考えると、スポットライトが当たらない脇役みたいに耐え忍ぶことが多いのだろうな、と勝手に応援したくなってしまう。
「トータルの売り上げを一番に考えんとなあ。苺のシーズンまで上段は厳しいか」
電話を切り、背もたれに上半身を預けて大きく伸びをすると、ご主人は両手を床に垂らしてそのまま眠ってしまった。
薄い雲がかかって輪郭のぼやけた太陽が傾き、もうすぐ午後の三時になろうとしていた。雪は止んだのだが、風の勢いは強まり、土佐堀川には白波が立っている。
インターホンの音で目覚めたご主人は、慌てて壁に張り付いているモニターへ駆け寄る。
「お母さん?」
壁についた小さな液晶画面の中で騒がしく手を振るその人は、ご主人の母、美幸だった。
「え? なにしてんの?」
「なにしてんのとちゃうでしょ、何回ピンポン押したと思ってるの! はよ開けて!」
美幸の突然の訪問に驚きつつも、ご主人はその勢いに圧倒されて一階のロックを解除した。
なんとか状況を把握しようとするのだが、近づいてくる廊下の足音がご主人の緊張を煽る。とりあえず先手を取ろうとご主人は玄関へと向かい、ノックの音が鳴る前にドアを開けた。
「あっ、明けましておめでとう」
「はい、おめでとう。寒いわあ、中入らして」
押し入るとはこういうことなのだと思った。美幸は頭を屈め、ドアを抑えていたご主人の腋の下に潜り込んで身体をねじ入れた。百八十を超えるご主人と比べればかなり小柄だが、樽のように厚みがあり、見た目の存在感でも負けていない。そして、話し始めると、ミニチュアの機関銃が高い音で弾を繰り出し続けるような口調でご主人をねじ伏せた。
「スリッパないの? あんた今まで寝てたん? 広いわあここ、ほんまに新築ちゃうの? ハンガーある?」
返す言葉が浮かんだと同時に消されてしまう。ご主人が口を開こうとすると、西部劇の決闘シーンみたいに美幸の口も開いた。
「今日は休みで」
「ちゃんとご飯食べてるの? これ、おいなりさん買ってきたから食べ」
勢いよく差し出されたビニール袋の揺れが収まると、ご主人はやっと落ち着いて話すことができた。
「ありがとう。今日はなんで来たん?」
「上本町の新歌舞伎座で川下幸恵の新春公演観てきたんよ。よかったわあ、芸能生活四十周年特別公演やからもう張り切って行ってきたんよほんまに。ほんであんた年末に引っ越したって連絡きてからお正月も仕事で帰ってこられへん言うから見に来たの。ほんならなに? ピンポン押しても返事ないわ荷物あるのに携帯電話カバンの中やから出すのに荷物置かなあかんわでお母ちゃんもう」
「ごめんごめん、朝から仕事してて。昼寝してたから気が付かんくて」
「あんた今日休みちゃうかったん? 休みの日に仕事やなんて、それブラック企業ちゃうの? お母ちゃんが言うたろか? 茂のおっちゃんやろ? 福徳茂」
「ええてええて、ややこしいことせんとって」
美幸をなだめるのは大変だった。わが子を想う母とはこういうものなのかもしれないが、ここまでストレートに言葉にされるとご主人もたじたじになってしまう。体格のせいで美幸の脹脛まで隠してしまうチェスターコートを預かると、ご主人はリビングのカーテンレールにそれを掛け、キッチンの水切り台に伏せてあったグラスがちゃんと洗われているのかを確認している美幸の腕を引っ張り、なんとかテーブルに向かい合わせで座らせることが出来た。やっと落ち着いたと思ったのも束の間、美幸の言葉は重く深く入り込んでくる。




