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「木下さん、春子はどうして死んでしまったの?」
僕はこの質問をあれから何度も木下にしているような気がする。病室は随分と静かになった。たった一人の人間が居なくなってしまっただけなのに、僕は死んでしまいたいほどの寂しさを感じていた。春子を亡くした僕に生きる意味なんてないのだから、本当に死んでしまってもいいのだけど…… 今はそんなやる気も起きなかった。木下が春子のベッドを掃除している姿を横目で見ながら僕はベッドで今日も朝を迎えた。春子がいない朝を……
「春子さんの手術の成功率は十パーセントにも満たなかった。あの子自身も最後まで、迷っていたわ。けれど、最後に『ただ、生きているだけじゃ意味がない』って手術に踏み切った」
木下も思うところがあるのだろうか、掃除しやすくなったベッドのはずなのに先程から何時間もかけて掃除している。
「僕もその言葉、春子に聞かされました。春子が命を掛けてまでも夢を追いかけられたのは春子が自分自身にその言葉を強く言い聞かせていたからかもしれません。けど、それでも僕は…… 春子にただ、生きてほしかった」
僕が春子の変化に気付いてあげれば、春子の手術を止められたかもしれない。そんな、悔やんでも悔やみきれない思いが今になって心の奥底から溢れてくる。
「そうね。それは私も…… やっぱり寂しい。春子さんの声、笑顔、そして明久君と春子さんが楽しんでいる姿がもう、二度と見られないと思うと…… けれど、あの子言っていたわ」
『木下さん、正直言うとね。私、つい三カ月ぐらい前まではこの手術受ける気なんて更々なかったの。生きることなんて、二の次で夢を叶えて死ねるならそれも本望と思ってた。で、も、明久に出会った。明久と過ごす日が長くなるほど、‘生きたい‘って思いが強くなり始めたの。それに、明久は私に誓ってくれた。私が夢を叶えるまで死なないって…… だったら私も死ねない! 私が生きていれば、明久は死なないから!』
「春子がそんなことを……」
「明久君のことを話しているときのあの子の表情は本当に幸せそうだったわ」
木下は春子の姿をなつかしむかのように目を細めた。
「僕は春子に与えてもらっているばっかりで何もしてやれなかった…… 何も」
「私はそう思わないわ。だって、死のうと思っていた春子さんを明久君は生きたいって思わせた。私には無理だったことよ。きっと、春子さんは明久君から何かもらったから、生きようと思ったのよ」
木下が朗らかな笑顔を向けてくる。木下の言葉にどこか救われながらも、僕は木下が言った何かをすぐには見つけられなかった。
―― 僕は春子に何を与えられただろうか……
「これ、なにかしら?」
木下がそう言って取り出したのは綺麗に包装された小さな白い箱だった。
「この箱、明久君宛になっている。何か覚えある?」
「いえ、特に……」
僕が木下から差し出された箱を見ると、箱のふたの上の部分に僕の名前が書かれていた。
「これって……」
僕はその筆跡に驚いた。なぜなら、その筆跡は間違いなく、春子の筆跡だったからだ。僕は箱のふたを投げ捨て、箱の中に入っていた一通の手紙を取り出した。
「何、その手紙?」
「春子から、僕に向けてだ。春子の手紙だ!」
僕は春子からの手紙を読み始めた。
勝者、明久君へ
明久君が、この手紙を読んでいるということは、私はもうあなたの横で笑っていないということかな。書いている今でもとてもすごく寂しいから、死んだら死ぬほど寂しいのでしょうね。でも、この手紙に悲しいことはないよ。だって、今から、私が明久君を褒めたたえるから。
―― 春子、最初のあのゲームのこと覚えていたのか……
明久君はまず、やさしいです。いつも、私を笑顔にさせてくれました。次に、明久君は責任感があります。木下さんから、聞きましたよ。私が倒れたとき、走って救助を呼んでくれたらしいですね。運動は苦手のくせに、無理をして…… 私を助けて、本当にありがとう。
今、考えると私は明久君から貰ってばっかりですね。私の病院での笑顔、時間、風景、すべて明久君がくれたものです。私は幸せでした。
しかし、残念なことに、私が明久君に一つだけ奪われたものがあります。それは…… 私のファーストキスです。するならするで、もっと雰囲気がほしかったよ。あの後、照れくさくて数日は明久君の顔がまともに見られませんでした。いつも心ドキドキでした。けれど、嫌ではなかったかな。
『うーん。人を褒めるって難しいな。なんか、少し違うような…… あっ、大切なこと忘れていた。』
そこから、なぜか手紙は裏へと続いていた。僕は手紙の指示通り裏を捲ると、一言こう書いてあった。
『明久君…… 私はあなたの生きる意味と共にいますよ』
春子より。
「どんな、手紙だったの?」
僕が春子の手紙を閉じるのを見て、木下は話かけてきた。
「なんか、僕が自分で思っていることと全然違うこと書いてあったよ。でも、素直にそれはうれしいことだった」
春子の手紙には僕の何かが書かれてあった。どれも、自分で納得できるものはなかったけれど、春子が書いた手紙ということに嘘はなかった。
「そう、ならよかったじゃない」
―― 生きる意味と共にいますか……
「木下さん、僕、春子からもらった生きる意味はまだ意味があったよ。春子を生かして、春子の夢を叶える」
「どうやって?」
「確か、僕の肺は健康だったよね」
『エピローグ』
「木下さん、ここですよー!」
「お母さん、すみません。私まで呼んでもらって……」
「いいのですよ。いつもお世話になっているのはお互い様じゃないですか。今日は晴れ舞台を見てやってください」
「はい!」
春子さんが死んでから、三年が過ぎた今、私はまだ看護師を続けている。今日は休日を利用してある患者を診察しに来た。その患者がいる所は病院とは違い、たくさんの声援、熱気に包まれている。
「ここが、あなたの夢の場所なのね。春子さん」
そう、今日私は陸上競技場に来ていた。茶色に染まった、道を何人ものランナーが勢いよく走り抜けていく。みんな腕を振って、足を動かして、心臓をバクバクさせている。
―― ふふ、あの子大丈夫かしら
昨日、患者から来たメールを思い出す。
『絶対、春子連れて来てね!』
たった、一言の頼みごとだったけど決して忘れてはいけないものだった。
―― 分かっているわよ
今、私の膝の上には春子さんの遺影がある。
「春子さんもしっかり見てあげて、あの子の生きる意味を」
トラックに、出てくるゼッケンをつけたランナーたち。場内放送によって一人ずつ呼ばれる名前。そして、私の患者の名前が呼ばれた。
「宮城明久君」
「はい!」
みなさん、今までお読みいただきありがとうございました。まだまだ、改編のある最終回となりましたがここで幕を閉じさせてもらいます。感想やご意見がありましたら、是非書き込みのほうお願いします




