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ガチョウのおばさんと美しい白鳥の子

 月の当たりも星の当たりも少ない鬱蒼とした森の中、喧しい鳥の声がどこまでも響き渡ります。


「……こうしてガチョウのおばさんはフォアグラにならずに済んだとさ、めでたしめでたし」


 話が終わる合図にガチョウのおばさんはゆっくりと頭を下げます。

 聞き手のトナカイたちは蹄を叩いて拍手をします。火打ち石のように火花が散り、周りが少し明るくなります。

 一頭の一際角の大きいトナカイがガチョウのおばさんにのんびりとした口調で話しかけます。


「ガチョウどの、とても面白いお話でした。特にアヒルの鳴きマネをするところは最高でした」

「ぐわっぐわっ、ありがとうございますぐわ」


 ガチョウのおばさんはアヒルの鳴きマネをすると周りがまた少し明るくなります。

 ガチョウのおばさんのお仕事はお話をすることです。特に寝る前の子供に人気が高かったのです。

 ガチョウのおばさんは元々森の生き物ではありません。生きていくためにこうしてお話を聞かせる代わりに動物の群れに混ざっては用心棒をしてもらっているのです。


 たくさんお喋りをしたガチョウのおばさんは喉が渇きました。


「すみません、この近くに水を飲めるところはありませんか?」

「星が流れるほうに千歩ぐらい歩いたところに大きな川があったはずです。そこへ行かれると良い」

「教えていただきありがとうございます。ほんの少し席を外させていただきます」

「一羽で大丈夫ですかな? 何ならお供をお付けしますが」

「お気遣いありがとうございます、これ以上のご迷惑をおかけするわけにはいきませんので」


 川で水を飲んだ帰りのことです。川から百歩ほど歩いたところです。

 ガチョウのおばさんが歩いてると大きな樹の下でバサバサと翼がはばたく音が聞こえてきました。それと一緒に聞くから気持ちよさそうなイビキも聞こえてきました。


「あらあら、お仲間さんかしら」


 ちょっとした好奇心で音がした方にガチョウのおばさんは行ってみるとそこには大きな鳥がいました。

 その鳥は全身が茶色く、羽の裏には黒い斑点があります。クチバシは短く、足は水かきがなく、その代わりにそれはそれは鋭い爪が生えていました。その鳥はガチョウのおばさんの仲間ではありません。ノスリと呼ばれる、怖い鳥だったのです。


 ガチョウおばさんは驚いて悲鳴をあげそうになりますが、慌てて羽で口をふさぎます。逃げるために背を向けて走ろうとすると、


「やぁ、美味しそうなお嬢さん。こんばんわ」

「あらやだ、私はお嬢さんなんて歳じゃないわよ」

「そうですか、それなら……美味しそうなおばさん、こんばんわ」


 走りだそうとするもガチョウのおばさんは逃げられません。後ろのノスリに尻尾を咥えられてしまったからです。


「お、お助け〜!」

「……ふん、いいだろう。ワシは昼にしか狩りをしない主義なんでな」


 ノスリがクチバシを離すとガチョウのおばさんは走り出しますが、勢い余って木にぶつかってしまいました。


「ワシは優秀だからな、お前のような鈍臭い鳥なんぞ目を瞑ってでも捕まえられるわ。何よりワシは今、満腹なのだ。しばらくは水以外ノドを通らんのだ」


 ノスリはゲップ混じりに喋り、大きく膨らんだお腹を羽で撫でます。あまりに食べ過ぎて、飛べなくなっていたのです。


「おい、ババア。ワシがなんで満腹か聞いてみろ」

「お助けを〜」

「聞けと言っているのだ、うつけ者め!」 

「は、はい……ノスリ様はどうして満腹なのでしょう」

「よく聞いた、聞いて驚け。ワシは白鳥を狩ったのだ!」

「ひょえっ」

「それはそれは美味であったぞ。歯ごたえがあり、脂こくってな、何より量が多いのが素晴らしい! しかもワシは天才だからな、一羽でも大変なところを二羽も頂いたのだ。本当は一羽を食べてからしばらく我慢しようと思ったのだが、どうも美味すぎてな。しかしもうあの味には飽きてしまった。今度は若鶏を食べてみたいものだ……おい、聞いているのか、ババア。ワシがせっかく話を聞かせてやっているのに」


 気の弱いガチョウのおばさんは気を失いかけましたが何とか我慢しました。

 ノスリは自慢する相手が欲しかったのに、いちいち気を失いかけられてはつまらないので逃がしてあげることにしました。


「ふん、お前にはがっかりだ。もういい、どこにでも行け」

「見逃していただきありがとうございます、それでは……」


 ガチョウのおばさんは頭を下げ、立ち去りました。ノスリの気の変わらないうちに急いで逃げました。


 川から五百歩歩いたところです。逃げ疲れたガチョウのおばさんは羽休めならぬ足休めをするため、木の根に腰掛けようとするとお尻に何か固いものが当たりました。


「あらあら、なんでしょう」


 見てみるとそれは大きな卵だったのです。


「この大きさは……蛇ではないようね、もしかしてノスリさんの……ではなさそうね。どちらのお子様かしら……」


 上を見上げても巣は見当たりません、下を見下げても巣は見当たりません。

 仕方なく卵をもう一度見ると大変なことに気づきます。


「あらあら、よく見たらヒビが入っているじゃない……せっかくお母さんが産んでくれたのに……」


 そう思うと卵のことが可哀想に思えてきたガチョウのおばさんは、


「私で良ければ一晩だけ、留守のお母さんの代わりをしてあげるわ」


 そう言って子守唄を歌い始めます。その子守唄はガチョウのおばさんのお母さんが歌っていたものでした。ガチョウのおばさんは一回しか聞いたことがありませんでしたが、初めて聞いた歌だったため、はっきりと覚えていました。

 走った後でノドが乾いていましたが、その子守唄は夜遅くまで続きました。



 次の日の朝。ガチョウのおばさんは飛び起きました。


「いけない! トナカイさんたちの群れと合わなくちゃ! 朝早くから移動を始めると仰ってたわ!」


 ガチョウのおばさんは走って川と逆の方向へ走ります。

 川から七百歩のところです。無事にトナカイの群れと合うことが出来ました。


「おやおや、ガチョウどの、生きていらっしゃったか。言い忘れてましたが、この辺はノスリが飛んでいると噂を聞いてましてな、どうやら会わなかったようで。いやはや、運が良い」

「それがその、会ったには会ったのですが、何とか見逃してもらいました」

「おおぅ! それはまたなんと運が良い! 今晩その話を聞かせてくだされ」

「お話するにはいいのですが、アヒルの鳴きマネが出てきませんが宜しいですか?」

「はっはっは、構いませんよ。ガチョウどのといると飽きませんな。それで後ろの一羽はガチョウどののお子様ですか? まさか一晩で産んで孵したわけではございませんでしょうに」

「後ろの一羽? はて、何のことでしょう」


 ガチョウのおばさんが振り返るとそこには灰色の毛を纏ったヒナがいました。一目でヒビの入ってた卵の子だとわかりました。

 なんということでしょう。ガチョウのおばさんはうっかり他の子を孵してしまったのです。


「この子は私が産んだ子ではありません!」

「でも、とてもあなたに懐いていらっしゃるように見える」


 ガチョウのおばさんが一歩歩くと真似てヒナも一歩歩きます。走れば一緒に走ります。


「これは面白い。ガチョウどの、また一つ芸が増えましたな」

「笑い事ではありません。私のような鳥でなしにヒナを育てる資格はありません」

「産んでしまったのなら責任を持って育てなくては、それでこそ鳥でなしではなかろうか?」

「私は産んだのではなく孵しただけです! それに私はカッコウの親ではありません!」

「それならヒナを見捨てればいい。そうだ。ノスリに食わせてやればいい。顔見知りなのだろう?」

「それこそ、本当の鳥でなしです!」

「育てるのも嫌、見捨てるのも嫌。困ったおばさんだ……」


 悩みに悩み、考えに考えた末、ガチョウのおばさんは決心します。


「……間を取って、この子を育ててくれる親を見つけるまで私が育てたいと思います。一羽が群れに増えてもよろしいでしょうか?」

「構いませんよ。我々は世にも珍しいトナカイとガチョウの共生コンビです、仲良くしましょう」

「お言葉ですが、トナカイ様。コンビというのはやめていただきませんか?」

「おや、我々と組むのが嫌なんですか?」

「いえ、とんでもありません。ただ、コンビという言葉がトンビと似ておりまして」


 トナカイたちは蹄を叩いて拍手をします。火打ち石のように火花が散り、周りが少し明るくなります。


「いやはや、このやり取りは何度やっても飽きませんな」


 こうして不安を抱えながらもガチョウのおばさんの子育てが始まりました。ガチョウのおばさんの元、またトナカイさんが少し手伝ってくれたこともあり、みるみるうちにすくすくと大きくなりました。それもガチョウのおばさんより大きくなってしまいました。

 姿形は変わってもヒナは相変わらず甘えん坊でガチョウのおばさんの後ろをくっついて歩きたがります。寝る時は必ず子守唄がないと眠れません。あまりの懐きっぷりにガチョウのおばさんから次第に他の親に育ててもらう考えはなくなり、ヒナを本当の子のように可愛がるようになりました。

 しかし、幸せな日はそう長く続きませんでした。

 いつからか、ヒナがとある方向を眺めるようになりました。その方向には食べ物はありませんし、ノスリも飛んでいません。ただじっと、空の向こうを見つめているのです。

 この異変にいち早く気付いたのは、やはりガチョウのおばさんでした。


「うちの子ったら、最近様子がおかしいんです……大好きなご飯を食べている間も時々あさっての方向を向いているんです」


 その話を聞いて、ピンと来たのは角の大きいトナカイでした。


「あぁ、やっとわかった……あのヒナは、白鳥だ。きっと本能で空を飛びたがってるんだ」


 仲間のトナカイたちも同意します。うすうす、そんな気がしていたのですが、黙っていたのです。黙っていた理由はガチョウのおばさんでした。


「そんなわけありません! あの子は私の子ですよ! 空を飛ぶわけがありません!」

「ガチョウどの、どうか落ち着いて」

「あの子はまだまだヒナなんです! 私なしでは生きていけない、か弱い子なんですよ!」

「しかし今もこうして一羽だけで食べ物を探しに行っている、立派になられたではありませんか」

「あの子ったら私に断りもなく……!」


 ガチョウのおばさんは急いでヒナを探しに行きました。


 ヒナはすぐに見つかりました。浅瀬をのんびりと泳いでました。仲良しの子供トナカイたちも一緒でした。


「こら、勝手に離れたら危ないでしょ!」

「お母さん、僕おなか減ったー」

「もう、餌を探すの下手ね、見てなさい!」


 いいところを見せようとガチョウのおばさんは張り切って水の中に頭を入れますが、餌は見当たりません。さらに深いところを潜ってみても餌は見当たりませんでした。


「ねー、ないでしょう? 最近餌が少なってきた気がするの。それに寒くもなってきた気もする」


 ガチョウのおばさんはヒナの異変を気にするばかり、森の異変に気が付きませんでした。

 だんだんと寒くなり、草や動物が減ってきています。遠くの山がどんどん白くなってきています。

 そう、もうすぐ冬がやって来ます。


「……わかったわ、もうしばらく探していてちょうだい」


 頭が冷えたガチョウのおばさんはヒナを置いて、トナカイの群れに戻りました。

 

「ガチョウどの、お気持ちはわかりますが、やはりあの子を第一に考えるとなるとここらでお別れしたほうが……」

「あなた方に私の気持ちがわかるものですか」

「それはそうですが……」

「私は生きるため、ずっと嘘をついてきました。生きるためには嘘もいといませんでした。自分はガチョウなのにアヒルの鳴きマネをして、本当は嫌だけど、でも生きるために仕方なくやってきました。肝臓ではなく胃が病気になってしまいそうでしたが少しでも長生きをしようと何度も自分を言い聞かせて耐えてきました。これがどれだけ惨めなことだったか、あなた方にはわからないでしょう。あなた方は一度だって牛の鳴きマネをしたことないでしょう。私は一度や二度ではありません。いっそのこと、本当にアヒルになってやろうとかとも思い、石を噛んでクチバシの中の歯を折ろうとも考えました。でも怖くてそれも出来ませんでした。死ぬこともできず、アヒルにもなれない私は、ただ生きていくだけが目的でした。こんな辺境の地に仲間がいるはずもなく、自分の悩みを打ち明けられず子供もつくれずの悲しいだけの喜びのない日を暮らしていたら、ある出会いがあったのです……その出会いは私を変えました。それから毎日羽のない私でも幸せの頂に飛べたのです。きっと今までの苦しみはこの瞬間のためにあったのだと私は思いました。アヒルの鳴きマネをして良かった、飛べる羽が生えてなくてよかった。全てがあの子と会うために有ったのです。ところがどうでしょう、今度はその出会いも風と共に去っていこうと言うのです。ですが、私は……それを受け入れようと思います。あの子が私の知らない土地で私の知らない食べ物を食べて幸せになるのならこれ以上の幸せはありません」


 その言葉を聞き、トナカイたちは安堵の息を漏らします。


「それでは、旅立ちの日程はいつにしましょうか。早ければ早いほうが良い」

「それでしたら明日にしたいと思います」


 トナカイたちがざわめきます。


「それはいくらなんでも早すぎてはないでしょうか。あの子にいろいろ話す必要が」

「いいえ、ございません。それはあの子に必要のないものです。あの子に必要なのはあの子の中にある本能のみです」

「そ、そうですか……ガチョウどのがそう仰るなら仕方ありません。子どもたちが寂しがりますね」

「何なら私がお話をしてさしあげましょうか」

「いえいえ、とんでもありません。今晩のお話は要りません。親子水入らずで過ごして下さい」

「ガチョウも白鳥も水辺で過ごす鳥なのに水入らずとは可笑しいわね」

「……」


 いつもは大受けのガチョウのおばさんの冗談でしたが今回ばかりは笑うトナカイは一頭もいませんでした。



 その日の夜のことです。いつものようにヒナは子守唄をねだります。


「お母さん、いつもの歌って」

「今日はノドが乾いてるからダメよ」

「えー、じゃあお水飲んで歌ってよ」

「もうワガママねー。たまには自分で歌ってみたらどうなの。それともあれだけ聞いて、まだ覚えてないの?」

「覚えてはいるよ、覚えてはいるけどお母さんが歌うのが好き」

「そんなこと言って、本当は覚えてないんでしょう?」

「そんなことないよ! 見ててね? 聞いててね?」


 ヒナは歌ってみせます。嘘偽りなく、ヒナは一字一句子守唄を覚えていました。


「歌いきったよ!」

「お上手ね。お母さん、もう一度聞きたいな」

「しょうがないなぁ、もう一回だけだよ? 今度はお母さんだからね?」


 ヒナは歌ってみせます。しかし今度は歌っているうちに眠ってしまいました。


「おやすみなさい、私の愛しい子……」


 ガチョウのおばさんも目を瞑り、眠りに入りました。

 こうして親子水入らずの夜はあっさりと過ぎていってしまいました。



 夜が明けました。いよいよ別れの時です。

 二羽は川の上を漂っていました。身体の大きいヒナはガチョウのおばさんより深く水に顔を入れて、底に生えた草を探します。しかしやはり餌は見つからないようです。


「お腹空いてるの?」

「そうでもないかな、お腹七分目くらい」

「そう、それならちょうどいいわね。今日はね、空を飛びたいと思います」

「えぇ、ガチョウって空を飛べたの?」

「…………えぇ、そうです。そのコツを教えます」

「すごいすごい! どうやったらいいの?」

「カモさんが飛んでいるのを見たことありますね?」

「うん!」

「おおむね、そんな感じです」

「え、それだけなの?」

「それだけじゃありません、カモさんよりたくさん助走してください。あと次が一番大事なのだけど」

「うん、なになに?」

「絶対に後ろを向いてはいけません。後ろを向くとすぐに落っこちちゃうから絶対に後ろを向いてはいけません。それに川が流れ行く方にでっぱった崖が見えますね? ちゃんと前見てないとぶつかるからね? お母さんとの約束ですよ?」

「うん、わかった!」

「いい子でお母さんは嬉しいわ。あとで私もついていくから、好きな方向に好きなだけ飛びなさい」

「……トナカイさんたちは?」


 トナカイの群れは皆森の中からヒナを見守っていました。最後の時まで親子水入らずを守っているのです。


「トナカイ様たちもついて行くから何の心配もいらないわ。それよりも早く、飛ぶところ見たいな」

「わかった。ちゃんと見ててね、お母さん」

「うん、ちゃんと見てるからね……最後まで」


 ヒナは早く飛びたいの一心で母親の一言に気が付きませんでした。

 ヒナは無我夢中で水面を蹴り、大きな翼で羽ばたきます。

 やはりと褒めるべきでしょうか、ヒナはあっという間に大空へ舞い上がっていきました。


「なんて美しいのでしょう……やっぱりあの子は私の子ではないのね……」

「そんなことありません。ガチョウどのが育てなければあんなに美しく飛べなかったのですよ」


 角の大きいトナカイが側まで来て、ガチョウのおばさんと一緒にヒナが飛んで行く姿に見惚れていました。トナカイたちにとってもヒナは家族同然になっていたのです。

 しかし見惚れているのも束の間、森から茶色の影が飛び出してきました。

 それは鳥でした。羽の裏には黒い斑点がありました。飛び出してきた鳥はノスリでした。


「この時を待っていたぜー! 白鳥の若鳥を食べてみたかったんだー!」

「あ! あいつは! 待て、ノスリ! 飛び立ったばかりのヒナを食べるのか!」


 トナカイが追いかけますが、ノスリははるか空の上。立派な角も届きません。


「待って欲しいならここまで来るんだな! まっ、羽のないお前には出来ないだろうけどな!」


 ノスリとヒナの距離は短くなっていきます。ノスリは飛び慣れているので前に早く行けました。


「くそ! なんてことだ! ヒナが一羽になるのをあの野郎はずっと狙っていたのか!」

 

 トナカイは頭を下げます。水面にその立派な角が浸かりましたが、深々と頭を下げます。


「すまない、ガチョウどの! 私が馬鹿なばかりに!」


 しかしいくら謝ってもガチョウのおばさんの返事はありません。それもそのはず、ガチョウのおばさんはヒナを助けるべく走りだしていました。


「まだ、私は諦めません! あの崖から飛び立てば、ガチョウの私でも届くはず!」


 ヒナが高く飛び上がった姿を見てもガチョウのおばさんの愛は消えません。

 しかしガチョウのおばさんの水かき付きの足では崖にたどり着くまで時間がかかりすぎてしまいま

す。

 そこに後ろからトナカイがものすごい早さで追いかけてきます。


「ガチョウどの、角に乗って下さい!」

「で、ですが、その角はご自慢の角ではありませんか! 岩にぶつけても折れなかったのでしょう?」

「この角は家族を守るためにある角です! 今、使わなくては角の名折れです!」


 ガチョウのおばさんは角に掬われます。


「しっかりとおつかまり下さい、飛ばしますよ」


 トナカイはガチョウのおばさんを角に乗せて、森の中を走っていきます。木と木の隙間を抜け、幅のある小川をも軽々と越えて行きます。


「まるで飛んでるみたいだわ……」

「いいえ、跳んでるだけですよ」

「トナカイ様、本当にありがとうございます。いろんな動物の群れを見てきましたが、ここまでしてくれるのはあなた方が初めてです」

「何を仰る、これぐらい牛の鳴きマネに比べれば軽いものです」

「今のうちに謝っておきます、先日は無礼なことを言ってしまい申し訳ありません。本当にいろいろ助けてくださってありがとうございます」

「とんでもない! ガチョウどのと過ごした日々は我々にとってかげがえのない物です! 謝らないで下さい、我々の仲ではありませんか」

「我々は世にも珍しいトナカイとガチョウの共生コンビですか?」

「そうです、まさしくその通りです! ガチョウどのから言っていただき光栄です!」

「……トナカイさん、私はまた嘘をつきました。本当はあの子と別れるのは最高の幸せだと思いません。本当はずっと一緒にいたいんです。たとえあの子が不幸になったとしても私はあの子とずっと一緒にいたいと思っています」

「しかしこうして今もヒナを助けようとされている! ご立派ですよ!」

「ありがとう、トナカイさん……本当にありがとう」


 一羽と一頭の前が明るくなってきます。もう少しで森を抜け、崖に着きます。

 空では今にもノスリがヒナに牙を立てようとしていました。


「トナカイさん、お願いします!」

「ガチョウどの、お達者で!」


 トナカイが足を止めると同時に大きく頷きます。すると角にひっかかっていたガチョウのおばさんはノスリに目掛けて飛んで行きました。

 ガチョウのおばさんは必死に羽ばたきます。生まれて初めて、たくさん羽ばたきました。

 しかし、じわじわと落ち始めていました。どんなに羽ばたいても飛びたくても上には行きません。

 後もう少しなのに、ガチョウのおばさんのクチバシは届きません。


「あっはっは、そのまま地面に落ちちまいな! この空け者が!」


 ノスリに馬鹿にされようともガチョウのおばさんは羽ばたくことを諦めません。

 諦めてはいけない、諦めるものか!

 そこに突然、大きな追い風が吹きました。その風に後押しされてガチョウのおばさんはノスリに目掛けて飛んで行きます。


「な、なにぃ!?」


 ガチョウのおばさんのクチバシはついにノスリを右足を咥えました。

 ノスリは左足で抵抗します。

 鋭い爪が何度もガチョウのおばさんの顔を傷付けます。しかしガチョウのおばさんは離しません。


「なぜだ、なぜ、離れないんだ!」

「それは、私がアヒルではなくガチョウだからよ!」


 ガチョウのおばさんのクチバシの中の歯はしっかりとノスリの足に刺さっていたのです。ガチョウのおばさんが諦めないかぎり、絶対に離れることはありません。

 次第に風は止み、今度はノスリが落ちる番になりました。


「そ、そうだ、こうしよう! ワシがお前の家来になって、望んだものを何でも獲ってきてやろう!」

「……お生憎様、私はもうお腹いっぱいなのよ」


 ガチョウのおばさんとノスリは森の中へ落ちていきました。枝が何本も折れる音がしてからしばらくして、森には静寂が戻りました。


 

 その頃、何も知らないヒナは母親の約束通りにずっと前向き、そして叫んでいました。


「お母さん、空ってすっごい気持ち良いんだね! 僕どこまで飛んでいける気がする!」


 後ろに母親が飛んでいる思い込んでるヒナは何度も空に話しかけます。


「あとお母さん、僕ね、子守唄の続き考えてみたんだ! 今から歌うから聞いててね!」


 何も遮りのない空の中、美しい鳥の産声がどこまでも響き渡ります。

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