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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

母さん、足を切らないと死ぬんだって

作者: つばこ

 拝啓、親愛なる母さん。


 僕はあなたのことが大嫌いです。

 この世で最も憎い相手の名をあげるとすれば、僕はあなたの名前をあげるでしょう。

 嫌いになった理由なんて、数え上げればきりがありません。

 それはきっと、母さんも理解していることでしょう。

 僕から恨まれる理由もよくご存知のはずです。


 思い返せば、家を出たのは18歳の時でした。

 あなたと一緒に暮らすのが嫌になり、このままでは自分がダメになってしまうと感じたからです。

 自分で言うのもなんですが、よくそれまで耐えたものです。


 あなたは酷い母親でした。

 言葉にすることはとても難しく、思い出すことはつらいものです。

 もしかしたら、記憶の彼方に忘却してしまった思い出もあるのかもしれません。

 それでも、消えゆくあなたに、この手紙を綴ろうと思います。



 拝啓、親愛なる母さん。


 あなたを明確に嫌い始めたのは、僕が思春期を迎えた頃でした。

 もちろん僕も褒められた子供ではありませんでした。


 どうしてもあなたとは馬が合わない。

 話をしていても何も得られるものがない。

 あなたと一緒に歩くことが嫌になり、あなたの指図が雑音に感じ、あなたとはマトモなコミュニケーションが取れなくなったことを理解し始めました。


 それは反抗期と呼ばれる季節的な感情だったのかもしれません。

 僕自身もそう感じていました。

 何せ世の中には「母親」を神のように崇める風習が存在し、お腹を痛めて産んでくれた母親に感謝できない人間は欠陥品のように扱われます。

 時代が変われども、流行りの曲は母への感謝をよく歌うものです。

 僕はそんな風習を吐き気がするほど嫌っていましたが、それが世の大多数の意見であるならば、おかしいのは自分自身なのだろうとも悟っていました。


 大人になれば母親を愛せるのだろう。

 反抗期が終われば、また新しい自分が母親と向きあわせてくれるだろう。

 そんな感情に疑問符を抱かせたのは、あなたの作った借金が判明した時です。



 拝啓、親愛なる母さん。


 あなたは金遣いの荒い性格でした。

 あなたは父親の給料が振り込まれると、パチンコ屋の開店を待つ列に並び、深夜まで帰って来ませんでしたね。

 日付が変わる頃に帰ってくるあなたに「どこに行っていたのか」と尋ねても、あなたは何も言わず寝室に引きこもり、何も答えようとはしませんでした。


 父親の給料を使い果たすと、あなたは家にいるようになり、一日中携帯ゲーム機で遊んでいました。

 その時だけ、僕は面倒な家事から開放されたものです。

 ただ、ひとつ救いがあるとすれば、あなたは家庭が崩壊するギリギリのラインは保っていました。

 金貸しは専業主婦であるあなたにそこまで金を貸さなかった、という理由もあるのかもしれません。


 ある日、僕が家に帰ると、玄関の扉を叩く金貸しと顔を合わせてしまいました。

 運の悪いことに僕は捕まってしまい、母親はどこにいるのかと尋ねられました。

 居場所なんて僕が教えて欲しいぐらいです。

 基本的に金貸しは僕に手を出そうとしませんでしたが、きっとその日は虫の居所が悪かったのでしょう。

 僕の胸ぐらを掴み、明らかな脅しの声を発しました。 


「坊主、こっちは困ってんだ、早くママを呼べや」


 そんなことを言ったと思います。

 残念ながら、その日の僕は虫の居所が悪く、カチンときてしまいました。

 当時は学生でしたが大人顔負けの体格で、腕力にも自信があったのです。


「汚い手で触るんじゃない。やりたきゃやってやんぞ」


 喧嘩をふっかけました。

 相手は大人3人。こちらは学生。

 恐らく相手は本格的な喧嘩に発展するとまでは予想していなかったはずです。

 子供なんて脅して宥められると油断していたのでしょう。

 僕は金貸しの弱そうな1人に跳びかかると、即座に反転し払い腰で地面に叩きつけました。

「おおっ」と金貸しが驚いた声をあげます。

 それだけでは満足できませんでした。もう1人にも拳を振り上げ、奇声を上げながら殴りかかります。

 そのうちの一発が相手の顔面を捉えました。


 瞬間、空気が変わりました。

 まずい、と感じた時は遅かった。相手は本気でキレてしまい、僕を羽交い締めにして、顔や身体を幾度も傷めつけたのです。


 まるで敵いませんでした。

 近所の人たちが警察を呼んでくれた時には、金貸しは既に撤退しており、僕は地面に崩れ落ちて泣いていました。

 口の中を切ってしまい、血の味が充満していました。

 それは屈辱の味でした。

 何の意味もない喧嘩に負け、理不尽な暴力に打ちのめされ、僕は自分が心底嫌になったことを覚えています。


 しかし、何よりも屈辱だったのは、あなたの態度でした。

 駆けつけた警察と帰宅した父親に一部始終を話し、ただあなたの帰りを待っていました。

 あなたはいつも通り、日付を過ぎた頃に帰ってきました。


「今まで何をしていた。子供がお前のせいで酷い目に遭ったんだぞ」


 温厚すぎる父親もさすがに怒っていました。

 あなたは何の話も聞こうとしませんでした。

 黙って、現実から逃げ、寝室に引きこもろうとしました。


「ふざけんな。それでも母親かよ」


 声は背中にすら届きませんでした。

 その時、僕はぼんやりと理解したんです。

 ああ、この人は母親じゃないんだ。きっと人ですらないんだ。この生物に何かを期待するだけ無駄だったんだ、と。



 拝啓、親愛なる母さん。


 あなたは若い頃から糖尿病を患っており、不摂生な生活を医者から禁じられていましたね。

 それなのに借金するほどパチンコで遊び、タバコも吸いたいだけ吸い、酒だって浴びるほど飲み、食事制限なんて守ろうとしませんでした。

 そのためあなたは入院と退院を繰り返すほど身体を壊してしまいました。


 少し元気になればパチンコ。

 金が尽きれば家でゲーム三昧。

 金貸しが返済を求めて家に訪れるようになれば深夜まで帰って来ない。

 やがて身体を壊して入院。

 そんな日々を繰り返していました。


 僕はまだ正義感溢れる学生だったので、あなたの生活態度が心底気に入りませんでした。

 顔を合わせれば説教し、時には暴力だって振るいました。

 話を聞かない母親を殴る度に、心が黒いものに蝕まれるようでした。


 ダメな母親に暴力を振るう黒い快感。

 そんな自分への不快感。

 毎日のように繰り返しても母親は変わる兆しを見せません。

 果てしない無力感に襲われました。


 やがてあなたは僕と接することを避けるようになりました。

 唯一の希望だった父親は温厚すぎる人間で、母親を甘やかせ過ぎたのでしょう。

 何度も母親の更生を求めました。

 ちゃんと説教して欲しい、通帳も渡さないで欲しい、何度も訴えました。

 けれども叶うことはありませんでした。

 僕には理解できませんが、父親はあなたを愛していたのでしょう。



 拝啓、親愛なる母さん。


 そんなあなたが、最後に僕にお小遣いをくれた日のことを覚えていますか。

 僕はとなり町の学校まで自転車で通学していましたが、帰り道、見慣れた背中を通りで発見しました。

 殴り慣れたあなたの背中。

 あなたは見知らぬ男性に甘えるように腕を組んで歩いていました。


「……なにしてんの」


 僕の顔を見てあなたは心底慌てていましたね。

 隣の男性のことを説明した気がしますが、僕の頭には入ってきませんでした。


 そんな予兆はあったのです。

 金の尽きたあなたがどこで時間を潰しているのか。

 平凡な専業主婦がなぜ毎日パチンコで遊ぶことができたのか。

 当たり前の事実が目の前にありました。


「そうだ、あんたにお小遣いあげるよ」


 あなたは突然そう言うと財布を取り出しました。

 そっと僕の手に千円札を握らせます。

 千円。それが口封じの金額でした。

 僕は何も考えることが出来なくなってしまい、ただ困惑してあなたと見知らぬ男性の顔を見つめていました。


 今、冷静に考えれば、あの時僕は2人を殴り飛ばしてしまえば良かったと思います。

 それだけのことをしても許されたでしょう。

 だけども、僕はとにかく一秒でも早くその場からいなくなることを選びました。

 下衆な作り笑いを浮かべる母親が、信じられないほど醜く感じました。

 見知らぬ男性を哀れだとも感じました。


 家に帰り、僕は千円札をリビングの上に放り投げました。

 次の朝には消えていました。

 それがあなたから貰った最後のお小遣いでしたね。



 拝啓、親愛なる母さん。


 家を出るきっかけは、あなたが僕の貯金を使い込んだことでした。

 学費にあてるべき貯金をパチンコにつぎ込み空にしてしまいましたね。


 もうダメでした。


 あの時、僕は見切りをつけました。

 世の中には愛することのできない母親がいる。

 お腹を痛めて産んでくれた恩があっても、幾千の物語が母親の尊さを綴っても、神が親子愛の素晴らしさを説いても、僕はあなたと向き合うこともできない。


 母親なんて幻想でした。

 恨みにも似たものを抱いて家を出ました。

 この感情はいつまでも消えることがないでしょう。

 あなたを許すことはできないのでしょう。

 親孝行なんて出来ない欠陥品になったのです。


 家を出て、ようやく僕は開放されたような気がしました。

 時折父親とやり取りすることがあっても、僕はあなたとの接触を徹底的に避けました。


 そして長い年月が過ぎました。




 拝啓、親愛なる母さん。


 そして今、僕はあなたと向かい合っています。


「母さん、足を切らないと死ぬんだって」


 父親からの電話。

 あなたは相変わらず不摂生な生活を繰り返し、人工透析をしなければならないほど悪くなり、もうまともに歩くことすら出来ませんでした。

 あなたがあれだけ愛したパチンコにも行けなくなったのです。

 血液と腎臓が治せないほど悪くなり、骨折した右足は骨が曲がってしまいましたね。

 手術して治すこともできません。

 結果、傷口が膿んでしまい、敗血症になって死ぬ寸前とのことでした。


「足を切ることになり、母さんが弱っている。顔を見せて励ましてくれないか」


 父親の悲痛な願いを聞き、久々にあなたと顔を合わせることにしました。

 久々に見るあなたはすっかり年老いていました。

 ぶくぶくと太り、肌は土気色で、髪の半分は抜けており、相変わらず汚い瞳をしていました。

 僕の顔を見ると、あなたは、


「来てくれたんだね。ありがと」


 と言って、儚げに笑いました。


「具合はどうなの」

「熱があって苦しい。けど、今日は悪くない」

「そう。それは難儀だね」


 久々の母子の会話。話すことはなく続きません。


「お母さん、足を切らなきゃいけないんだって」


 あなたはいかにも悲しげな表情を浮かべました。


「どうしよう。困っちゃった。嫌だよ足を切るの」


 僕は何とも言えない気分になりました。



 それは、お前のせいだろ。

 お前がちゃんと通院もせず、身体に気を使わず、薬だって飲まず、毎日遊び歩いていた結果じゃないのか。

 今だって車椅子がないと外出できないんだろ?

 足が一本ぐらいなくても変わらないんじゃないのか?

 むしろ足を切らなかったとしても、お前は歩けるようになることはないんだよ。

 泣き言を訴えて同情して欲しいのか? 甘い言葉を言って欲しいのか? 可哀想な自分を慰めて欲しいのか? お前との関係を断つことになった理由を忘れたのか? 

 今だって僕は、お前への恨みを忘れてない。



 そんな言葉を飲み込んで、


「足を切れば生きていけるんだよ。まだ良かったじゃない。死ぬよりはマシだよ」


 と、出来る限り優しく言いました。

 あなたは悲しげに微笑んで僕に手を伸ばします。

 手を握って欲しいようです。

 僕は汚物に触れるような思いで手を握りました。


「そうだね。ありがとう。あんたもたまには家に帰ってきてよ。あんたがいないと寂しいよ」


 よく言うぜ、と思いました。


「時間があればね」


 僕は出来る限り世間一般の子供を演じきり、母親の病室を出ました。

 病室の入り口に除菌用のアルコールがあったので、何食わぬ顔で掌にこすりつけます。

 何度も洗浄しても、生温い母親の温もりが消えません。


「どうだった、お母さん」


 父親がやって来て尋ねました。


「思ったより元気そうだね」

「今は落ち着いてるけど、昨日は泣いちゃって大変だったんだよ」

「そう」

「お前が来てくれたから嬉しそうだよ。前向きに手術を考えてくれたかもな」


 僕は父親を睨みつけ、心の中で呟きました。



 違うね。あの人は変わってないよ。

 都合の悪い事から目を背けて逃げているだけ。

 僕との思い出なんて、自分にとって都合の良い所しか覚えてない。

 昔からそう。逃避してしまえば辛いことを見ないですむから。

 そんなところが吐き気がするほど嫌いだった。

 それを思い出したよ。



 僕は廊下から母親のベッドを眺めました。

 何とも醜い姿のように見えます。

 カフカの変身に出てくる虫はあんな物じゃないかと感じました。

 好きなことを好きなだけやって、健康や家庭を犠牲にしても好きなことだけを追い求める。

 その末路は鳥肌が立つほど醜いものでした。


 そんなあなたの姿を見て、ただひとつのことを願います。




 拝啓、親愛なる母さん。


 きっとあなたは数年以内に死んでしまうのでしょう。

 今のあなたが片足を失えば、長生きできるとは思えません。

 それまでに、どうかそれまでに。

 僕に世間一般でいう母親らしさを見せてくれませんか。


 色々なことがあっても僕は生きています。

 沢山の人と出会い、美しい物を目にして、悲しい夜もあったけど楽しい時間を過ごしたこともありました。

 それは全てあなたが僕を産んでくれたからなんです。

 そこから全てが始まり、僕は生きていられます。

 生を実感する度に、この世界に存在できたことを感謝しているんです。


 ですが、あなたと僕のささやかな因縁は、その感謝だけでは埋めきれない溝を作り出してしまいました。

 だからこそ、どうか一言だけでも、過去の自分が愚かだったと、僕に伝えてくれませんか。

 過去の自分と向き合ってくれませんか。


 それはとてもつらいことでしょう。

 見たくもない自分の姿でしょう。

 だけどね、僕とあなたの関係は、それを精算しなければ前に進めないのです。

 どんな言葉でも構いません。

 もし一言だけでも聞くことが出来れば、僕はあなたの全てを許せるでしょう。


 どうか、あなたを許す機会を与えてくれませんか。

 どうか、母親は素晴らしいと、僕に感じさせてくれませんか。

 どうか、過去の愚かな僕の過ちを、あなたに懺悔する機会を与えてくれませんか。




 拝啓、親愛なる母さん。


 いつまでもお体に気をつけて。

 全快の日の早からんことをお祈りしています。

 謝罪の言葉を聞くまで、僕はあなたが死ぬことだって許しませんから。


 敬具。



(おしまい)

ご愛読いただきありがとうございます。

不快な気分にさせてしまったら申し訳ございません。

何かひとつでも心に残るものがあれば幸いです。

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[一言] まだすべてを読んだわけではありませんが、血のつながりはいい時もあれば気持ち悪くおもうこともあるんだなと感じました。
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