アリノヨウニイキル
『アリとキリギリス』
夏の間にせっせと働いていた蟻が、夏の間怠けていたキリギリス、餌がすくなくなる冬に蟻はきちんと冬を越し、キリギリスは困ってしまうという、今更ながらに言うまでもなく、働き者のアリと怠け者のキリギリスの話で、アリのように、汗を流しながらせっせと働き、キリギリスのような怠け者にはなるなとの教訓の入った物語だ。
その物語を読まれたのは、幼稚園いや小学校の道徳の時間だったかは忘れたが、その際にゆっくりと、最後に先生が諭すように言ったあの言葉が時たま脳内で再生される。
「蟻のように生きなさい」
あの言葉を素直に受け止めたはずの私は、いつの間にか思春期をえて、多少ではあるが捻くれて高校生になった。
今思えば、あれは物語の事ではないだろう、幼い私たちに蟻のようにとは言わないだろうし、アリさんのようにと普通言うのではないだろうか。
蟻と言うのは、黒く小さく点のように、普段は気にも留められもせずに、せっせと働き、時に理不尽につぶされ、時に害虫として駆除され、時に甘い甘い蜜を求めて、行列をつくり、それを求めるためにせっせっと働いて、動き回って、一生を終える。
そんな蟻になれと先生は言ったのではないだろうか。
そのように生きろと先生は言ったのではないか。
大抵の人間は誰にも気にも留められずに生きて、せっせと働き、何かの拍子に理不尽さをいやと言うほど味わい、害虫のように目の敵にされ、時にサボったり、誘惑にまけ、異性にかまけたりしながらも、日々をどんどん過ごしている。
あの夢見がちな楽観的なキリギリスでさえ、いずれ現実を生きる大抵の蟻になっていく。
今は、羽を伸ばし、高校生活を謳歌しているキリギリスのような私でも、いずれ蟻のようになる事を確信している。
まぁ先生が、道徳的な意味合いでいったのか、私が思っている捻くれた意味でいったのかは、分からないけれども、あの時の先生にもし会う事があれば、言ってあげたい。
「私はきっとキリギリスのように生きた後に、蟻のように生きています」
数年後には、きっと地べたを這いずり回りながら、今のキリギリスのような時代を懐かしみながら、私もきっと蟻として、せっせと働きながら、生きることになるだろう。
人はキリギリスのようには生きれない、生きれたとしても、それはいつまでも続かない。
人は蟻のように生きていく。
それがいいか、悪いかは別として、蟻のように生きていく。




