教育実習
「先生、お時間よろしいでしょうか。」
昨晩、徹夜で作ってきた指導案を5年1組担任の武田教諭に見せる。
「ん、ああ、どれどれ…うん、まあいいんじゃないか。」
教諭のやる気の無い感じは相変わらずだ。
「んじゃまあ、この案で異分母分数の足し算引き算まで教えてくれ。えーっと確か君は…何時間授業を持つんだったかな?カワサキ君。」
「川上です。先生。それと僕がもつのは2時間です。」
この教諭をみてると、教師という職業は所詮こんなものなのかなと思ってしまう。
小学校6年生のとき、熱心な担任の先生から多大な影響を受けて以来、志した教師の道。今の自分の人格を形成しているもののうち半分は、あのころ学んだものだと川上は今になって実感している。
しかし、この先生をみていると、その理想像が現実によって打ち砕かれそうになる。せっかく待ちに望んだ教育実習だというのに。
いや。
川上は雑念を打ち消すように首をふった。
そんなことはない。確かにこういう先生も世の中にはいるだろう。しかし自分は自分の追い求めた理想の先生をブレずに目指せばいいのだ。
「おーい川上。何1人で首を振ってるんだよ。」
ハッと我に帰って顔を上げると、同じ実習生仲間の集団がこっちに近づいてくる。話しかけてきたのは特に仲のいい森本だ。
見れば武田教諭はとっくに廊下の先を歩いていた。
「川上、今日の夜あいてる?一緒に飯行こうぜ。」
「ん、ああ…うん空いてるな。」
大丈夫、指導案はもう作ったしあとやるべきことといえば授業のシミュレーションくらいだ。そんなに時間はかからない。
「おっし、じゃ決まりな。また連絡するわー。」
そう言うと森本たちは、子どもたちが下校して静かな廊下を大名行列みたいにガヤガヤと歩いていった。
気づけばもう大学2年生なんだな。
小学校で過ごした日々がつい最近に感じられる。全く時間が経つのは早いものだ。川上はその場でしばらく感慨にふけっていた。
***
「てかおまえもう明日授業持つんだろ?」
その日の夕方である。
滞在先からそう遠くない居酒屋で、焼き鳥を食べながら森本が口を開いた。まわりでも他の教育実習生が何人かでワイワイしている。
「ああ。ずっと楽しみにしてたから、期待と緊張がどっちも襲ってくるよ。」
「そっかー。俺は明々後日だからまだちょい時間はあるけど、俺らの中じゃけっこう早い方じゃね?」
「そうかもな。まあ遅かれ早かれいずれは経験することだろ。」
「なになに、川上君もう明日授業なの!?」
森本が口を開こうとすると、賑やかな声が割り込んできた。この人も同じ教育実習生の人だったな。確か名前は南野若菜さん。
「ああ。南野さんはまだなの?」
「うちはまだだなー。川上君って担当クラスどこだっけ?」
「5年1組。みんな授業に積極的だし、やりやすそうなクラスだと思うよ。」
「えっ、5年1組?あのクラスって確かなんか問題があるんじゃなかった?」
「あ、それ俺の担当の先生も言ってた気がする。俺が教育実習初めてで不安っつったら、5年1組を担当するわけじゃ無いしそう心配することもないよって。」
「え?そうなのか?」
2人の言葉に少し不安になってくる。
「んー詳しくは知らないんだけどねー。」
「俺も気になって、なんでですかって聞いたんだけど、言葉濁されちまった。」
「おいおい…。大丈夫かな。」
ここ2週間程クラスのみんなとともに学校生活を送ってきて、そんな問題があるとは思えなかったが。
「まあ大丈夫だ、川上。俺らが授業持つのなんかたった2回じゃん。」
「だよね。じゃあ明日頑張ってね!」
そう言うと南野さんは元の輪に戻っていった。
「んじゃ、森本。俺明日の授業に向けてやらなきゃいけないことあるから、そろそろ帰るわ。」
そう言って机の上に金をいくらか置くと、席をたった。
「おう。また明日な。」
森本の声が後ろから聞こえた。
川上は少し急ぎめに宿泊先に帰った。
その日の夜は、森本と南野の言葉がずっと頭から離れなかった。
***
次の日。時間はあっという間に過ぎて行き、指導案をキチンと確認する暇もないまま、3時間目、つまり俺の授業の時間になった。
俺は黒板の前に立った。みんなの視線が自分に集まっているのを感じる。やはり、普段後ろから授業を傍観しているのと、実際に前に立つのでは緊張感が全然違う。だが、ここで緊張していてはダメだ。頑張らなければ。俺自身の理想像に向かって。
「はい、じゃあみんな席についたね。」
子どもたちは全員おとなしく座っている。
「よし、じゃあこれから算数の授業を始めよう。」
小学生相手には親しみやすさを感じてもらうために、丁寧語は使わないと事前に決めておいた。
「みんな、これを見てくれ。」
そう言うと俺はあらかじめ用意しておいたマグネット付きイラストを黒板に貼った。目盛付きのコップのイラストが2つ。
「ここにコップがある。このコップにジュースを入れたいんだけど…。」
そう言うと俺は片方のコップのイラストの10目盛中3目盛までオレンジ色の画用紙を貼った。
「これだと、コップの何分の何までジュースが入ってることになるかな。」
「10分の3!」
元気な声が子どもたちから聞こえてくる。
「そう、10分の3だ。なら、こっちのコップにもジュースを入れてみようか。」
今度は大きさは同じものの目盛が5つしかないコップの絵に、2目盛分までオレンジの紙を貼り付ける。
「これは何分の何かな。」
「5分の2!」
みんな元気良く答える。
ここまでは復習だ。テンポ良く進んでいる。みんなの反応が読みにくいのはここから。
「正解。なら、このジュースを一つのコップにあわせてみよう。」
あえて目盛を書かなかった3つ目のコップのイラストを取り出す。そしてそこにさっき使った2枚のオレンジの画用紙を合わせて貼る。
「さて、これが今日の問題だ。これは何分の何?」
「15分の5!」
「10分の7!」
「違うよ、10分の5だよ!」
さすがにこれは意見が割れた。何人かは塾にでも行っているのか、家族から教わったのか、正解を叫んでいるが、その数は決して多くない。良かった、予想通りだ。
「答えが分かれたな。なら、これの解き方を考えてみよう。ちょっと周りの人と話し合ってみてくれ。」
教室内がガヤガヤとなりだす。周りの友だちと好き勝手話させるのは賭けだ。そのうち関係ない話まで始めてしまう。だから話し尽くしたころを見極めて切らなければならない。
頃合いを見計らって、川上は次のステップに行くことにした。
「よし、じゃあみんな一旦話し合いをやめて前向いて!何か思いついたか?思いついた人は手を挙げて!」
バッと何人かの手が挙がる。
さて、誰にあてよう。トップバッターというものは重要だ。そのあとに意見を述べる子どもの指針になる。まずはみんなのリーダー的存在に答えさせるのが無難だろうか。
実習の前半期間に子どもたち、特に目立っている子どもの名前は覚えておいた。その中の1人の名前を声に出す。
「じゃ、まずは海斗!」
今回の授業で、川上は子どもたちを名字でなく名前で呼ぶことにしていた。担任の武田教諭がそうしていることもあったし、その方が距離を感じさせずに子どもたちと接せると思ったからだ。
今当てた海斗は普段から活発で、サッカー少年団にも所属しているらしい、いわゆる体育会系の代表例だ。
海斗はハキハキと話した。
「15分の5だと思う。だって、下の数字…じゃなくて、えっと分母と分母、分子と分子で足し算したらそうなるから。」
しめた。いい間違いをしてくれた。はじめから正解が出てしまうよりずっとやりやすい。
「海斗ちがうよ。10分の7だよ。」
「15分の5だったら半分よりも少ないし。」
他の何人かが口を挟む。
「でもちゃんと足し算したらこうなるんだよ!」
「そうだよ、ちゃんと合ってるよ!」
間違いを指摘されたと思った海斗や、他の何人かが反撃に回る。
このままでは子どもたち同士で議論が白熱してしまいそうだ。その議論の行く末を見守るのも興味があったが、今回は計画通り進めた方がいいだろう。川上はストップをかけようとした。
と、そこで川上は、隅っこの席で明らかに議論に参加していない男子2名を発見した。啓太と隆磨だ。
この2人も海斗と同じ体育会系だが授業態度は正反対で、集中力が切れると遊びがちになることを、川上は既に把握していた。この2人の扱い方ももう考えてある。
「ストップストップ。今二つの意見が出た。15分の5と10分の7。」
そう言って黒板にその二つを書く。
「他の意見は無いか?啓太と隆磨はどうだ?」
そう言って無理やり2人を議論に引きずりこむ。多少強引だが、放っておくと周りの子どもまで巻き込んで遊び出すので、早めにこうしておきたい。
当てられた2人も多少なりとも自分の意見を持ってくれていたみたいだ。啓太が答えた。
「4分の3だと思いまーす。」
「新しい意見だな。どうしてそう思ったの?」
「その図からだいたいそのぐらいかと思ったから。」
あちこちからてきとーじゃん、といった笑い声が漏れる。そこで川上はその意見をフォローした。
「いやいや、結果から予想するのは大事なことだぞ。ありがとう啓太。」
さてだいたい意見が出揃ったか。ここまで、子どもたちの反応の対処を含め、完ぺきに近い程うまくいっている。緊張していた分拍子抜けなくらいだ。
どうですか、武田教諭。チラッと教室の後ろに座っている先生を見たが、つまらなさそうにあくびをしている。
…まあいい。このまま続けよう。
「この3つのうちどれが正解なのかな。」
すぐみんながざわつく。
「よしわかった。じゃあ何かうまいアイデアはないか?ある人!」
さっきよりは少ないが数人の手が挙がる。しかし川上が当てる人物はもう決まっていた。
「じゃ慶太郎!」
メガネをかけていかにも秀才という雰囲気を出している彼は、実際頭がいい。正解に近づくアイデアはいくつかあるが、きっとその中のどれかを言ってくれるはずだ。
「5目盛のコップに入れてたジュースを10目盛のやつに移し替えると4目盛になります。だから、10目盛のコップ4目盛分+10目盛のコップ3目盛分で7目盛分。だから10分の7だと思います。」
おっと正解までいってしまった。
俺はシーンとなったみんなに、少しもったいぶって話しかけた。
「…みんな今のわかったか?」
そして黒板の上であれこれ動かす。
そして今慶太郎が説明したことをもう一度丁寧に説明しなおした。
「…こうなるから10分の7だ。つまり…。」
カッカッと黒板にチョークで式を書く。いい音だ。ここまでとてもうまくいっているので気分がいい。
書いた式は
2/5+3/10=7/10
だ。
「この式がなりたつわけだ。」
そしてそのまま説明パートに入る。
「なぜこうなるかというと、さっき慶太郎が言ってくれたことが大切なんだ。2/5ってのはつまり10目盛に直すと4/10になる。だから…。」
さっきの式に=4/10+3/10という式を割り込ませる。
「こういうことだ。そしたらもうできるよな。同じ分母どうしなら簡単に計算できる。だから答えは7/10!」
今日の趣旨をまとめたところで、今日の内容はほぼ終わりだ。自分でも不思議なくらい時間もピッタリだ。
「じゃあ時間になったから終わろうか。みんな休憩していいぞ。」
みんなが休憩に入る。
俺も黒板に貼った小道具を回収して、教室を出た。どっと疲れが押し寄せてきた。やはり緊張していたのだ。
しかし、やり遂げた自信もある。自分の中では合格点だ。これでまた理想の教師像に一歩近づけた。
すぐに武田教諭に師事を受けにいく。
「先生どうだったでしょうか。」
「ん、まあ良かったんじゃないか。」
相変わらず適当な先生だ。
「クラス全体の授業への関わり方、啓太と隆磨の態度、慶太郎のあの解答…。レベル3ってとこか。実習生にしては上々だな。」
ひとり言のように武田教諭がボソッとつぶやく。
「え?」
その言葉が川上の心に引っかかったが、聞き返したときには武田教諭はすでに先をスタスタと歩いていた。
***
「良かったじゃん!それは間違いなく成功だろ!」
その日の晩はまた昨日と同じ居酒屋に入った。森本が手放しに絶賛してくれる。今回のメンツは川上と森本、そして帰りがけに偶然あった南野の三人だ。
「うん、ほんとうまくいったんだねー。やるじゃん!」
南野にバンバン背中を叩かれる。
川上は少し赤くなって言った。
「ああ、自分で言うのもなんだけど良かったかな。これは自信になりそう。」
「また明日もあるんだろ?気抜かずに頑張れよ。そして俺もいよいよ明後日かー!」
森本も緊張と高揚感が入り混じった声で叫ぶ。
「そうじゃん。森本も頑張れよ。」
「あっお前ちょっと上から目線っぽいじゃん!このやろ!」
笑いながら森本が殴る真似をしてくる。
「そうだぞ、コノヤロー!」
南野も便乗する。
居酒屋に笑い声が響き渡った。
その日食べた焼き鳥は昨日よりもいっそうおいしく感じた。
***
そしてまた次の日がやってきた。
ここで気を抜いてはいけない。まだ自分の持つ授業はあと一時間残っているのだ。
だが、必要以上に恐れることもない。昨日と同じように落ち着いて進めれば、自分の教え方でも十分通用する。自信を持て、川上。
川上は自分にそう言い聞かせた。
しかし、意気揚々と2時間目の授業を持った俺は愕然とした。
昨日とはまるで違うみんなの態度。授業に関心などほとんど無いようだ。何人かは消しゴムをデコピンで弾いて落とし合いをして遊んでいる。無理やりあててもだんまりだ。
頼みの綱である海斗や慶太郎も一応答えてはくれるが授業を変な方向に導いてしまう、トンチンカンな返事しかしない。
「どうしたんだ、みんな。なんかあったのか?」
俺はパニック状態に陥りかけていた。無論みんなは答えない。聞こえるのはヒソヒソ声だけだ。
…やっぱいきなりレベル6は早かったかな。
…かもね。昨日完ぺきだったからいけるかもって思ったけど、何しろまだ教育実習生だもんね。
「……おい、みんな何の話をしてるんだ?」
「先生。」
見ると、1番前の席に座っているかわいらしい少女がこっちを向いてニッコリ微笑んでいる。
彼女は確か…昨日授業についていききれず、何回も首をひねっていた生徒だ。だがなぜだろう。彼女のノートにはどうみても2次方程式の問題がかわいらしい文字で書かれている。つまり中2から中3の内容。しかもどうやら全問正解しているようだ。
どうなってる。まさか昨日のは………演技?
「先生、声とかははっきりしてるしやる気もあるけど、この教え方じゃまだこのレベルはクリアできないよ。」
その少女はコソッとそう囁いてくれる。
このレベル……?ふいに昨日の武田教諭のひとりごとを思い出した。
ーーーレベル3ってとこか。実習生にしては上々だな。
昨日はレベル3…。今日は……レベル6……。クリア……?
カタン。
持っていたチョークが床に落ちた。
体から力が抜けていく。
………そうか、俺がこのクラスに授業をしていたんじゃない。
このクラスが俺に授業をしていたんだ。
最後まで根気良く読んでいただいて本当にありがとうございます。




